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『正信念仏偈』『正信偈』を読経(拝読)する時に大切にすべきこと

もくじ

【正信念仏偈】様々なご縁で拝読されて浄土真宗で最も親しまれている読経

親鸞聖人は御在世中にたくさんの書物をお残しになられました。

中でも、『顕浄土真実教行証文類』という書物が主著であると言われております。

その主著の中に「正信念仏偈」と親しまれているお言葉があります。

※実は、浄土真宗でのお経とは、浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)のことを言います。ですので、「正信念仏偈」は正式にはお経ではありません。

浄土真宗のお経本の多くが、「正信念仏偈」ではじまることが多く、本願寺でも毎朝お勤めされますし、毎朝お勤めされる地域も多くありますので、最も耳に残りやすく、最も親しまれやすいのでしょう。

読経するという行動だけではなく信心を賜ることが本当に大切なこと

この「正信念仏偈」が日常のお勤めになったのは、浄土真宗本願寺派八代目宗主である蓮如上人という方によります。

蓮如上人は、宗祖親鸞聖人が著された「正信念仏偈」に、宗祖が七五調の和歌で阿弥陀如来のお救いを讃えられた「ご和讃」を加えて、「正信偈和讃」とし、文明五(一四七三)年に木版をおこし、日常での勤行とされました。

蓮如上人御一代記聞書』という書物に、

蓮如上人、幼少なるものには、まづ物をよめと仰せられ候ふ。またその後は、いかによむとも復せずは詮あるべからざるよし仰せられ候ふ。ちと物に心もつき候へば、いかに物をよみ声をよくよみしりたるとも、義理をわきまへてこそと仰せられ候ふ。その後は、いかに文釈を覚えたりとも、信がなくはいたづらごとよと仰せられ候ふ。

蓮如上人は、年少の方に対しては、「ともかくまずお聖教を読みなさい」 と仰せになりました。また、その後は、「どれほどたくさんのお聖教を読んだとしても、繰り返し読まなければ意味がない」と仰せになりました。そして、成長して少し物事がわかるようになると、「どれほどお聖教を読んで漢字の音などをよく学んだとしても、書かれている意味がわからなければ、本当に読んだことにはならないと仰せになりました。さらに、 「お聖教の文やその解釈をどれほど覚えたとしても、信心がなければ何の意味もない」と仰せになりました。

このように、

「読経すべきである」
「繰り返し読経すべきである」
「意味がわかるようになるべきである」

そして最も大切なことは・・・

「信心を賜ることである」

ということを、蓮如上人は仰っておられます。

私たちが「正信念仏偈」をお勤めさせていただく時も、単に読んで終わらせるのではなく、意味を理解し、そこに示されている自分こそが本当の救いの目当てである阿弥陀如来の御心を知らせていただくことが大切なのだと知らされます。

「正信念仏偈」「正信偈」実は、どちらの使用も正しい

なお、ここでは「正信念仏偈」という名前を用いておりますが、一般的には「正信偈」と言われることの方が多いようです。

宗祖の主著である『顕浄土教行証文類』には「正信念仏偈」という言葉が出てきますので、正式名称は「正信偈」ではなく、「正信念仏偈」というべきでしょう。

もちろん、宗祖は「正信偈」という名称も使用されております。

『尊号真像銘文』という書物の中で「正信念仏偈」の一部を解釈されるのですが、そこでは、

「和朝愚禿釈親鸞「正信偈」文」

と述べられております。

ゆえにどちらも正式名称ではありますが、『尊号真像銘文』は「正信偈」の解釈であり、その原文は『顕浄土教行証文類』でありますので、原文の「正信念仏偈」を今ブログでは用いております。

親鸞聖人が「正信念仏偈」を書かれた理由とは?

『顕浄土教行証文類』とは浄土真宗のみ教えを体系的にまとめられたものであります。

ですから、「正信念仏偈」を書かれた意図は、「私たちに浄土真宗のみ教えを伝えるため」と考えるのが普通ですが、「正信念仏偈」を書かれる宗祖の言葉からは、「伝道」という言葉一つでは決して終わらせることのできない重みを感じます。

そこでは、次のように述べられております。

是以為知恩報徳披宗師釈言夫菩薩帰仏如孝子之帰父母忠臣之帰君后動静非己出没必由知恩報徳理宜先啓又所願不軽若如来不加威神将何以達乞加神力所以仰告{已上}

ここをもつて知恩報徳のために宗師(曇鸞)の釈(論註・上 五一)を披きたるにのたまはく、「それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし。また所願軽からず、もし如来、威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を乞加す、このゆゑに仰いで告ぐ」とのたまへり。{以上}

 ここで、宗祖が尊敬なされた七高僧の一人である曇鸞大師の言葉を引用されます。

「菩薩が仏に帰依するありさまは、あたかも孝子が父母の恩を知り、忠臣がその君后の恩を知るがゆえに、自分自身の立ち振る舞いをむなしくして、ただ父母・君后のためにすべての行動をするようである。菩薩は仏の恩を知り、徳に報いる心があるために、まず恩を受けた仏に何事によらず、その感謝の意を申し上げるのである」と語られております。

阿弥陀如来への御恩は、教師の教え子に対する愛情であり、母親の子どもに対する愛情にもたとえられます。教え子や子どものことを想い続けておられる親の心のもとで育まれるものです。教え子や子どもが、自然と愛情を感じるのと同じように、阿弥陀如来の大悲の御心は自然と私たちの心を揺るがしていきます。

このような阿弥陀如来の大悲の御恩と、そしてその御恩に対する感謝のままに書かれたのが「正信念仏偈」であります。

また、阿弥陀如来の大悲のはたらきは宗祖の時代だけのものではありません。

今を生きる私たちに変わらず届いております。

宗祖が報いずにはおれなかった阿弥陀如来の大悲の御心を、「正信念仏偈」をともに拝読させていただくことで、みなさまとともに味わっていければと思っております。

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