親鸞聖人が尊敬された七高僧の一人である天親菩薩
天親菩薩造論説
天親菩薩、『論』(浄土論)を造りて説かく、
天親菩薩は『浄土論』という書物を著して、次の事柄をご教示くださっております。
ここからは、インドの天親菩薩の功績を讃えられております。
※七高僧の中でも、龍樹と天親のみが、「菩薩」という敬称で讃えられております。
天親菩薩はインド名を「ヴァスバンドゥ」といい、婆薮槃頭と音写し、新訳では「世親」といわれております。
天親菩薩の生涯
天親菩薩は西暦400年頃に、プルシャプラ(現在のパキスタン・ペシャーワル)で、3人兄弟の次男として生まれました。初めは部派仏教の説一切有部で出家し、学問においても修行においても並ぶものはいないと言われ、説一切有部の教えを論述した『倶舎論』は部派仏教の思想の集大成ともいわれております。
天親菩薩は、もともとは大乗仏教について「大乗はお釈迦さまの説かれた教えではない」と批判しておりました。そのことを心配しておられたのが兄の無著菩薩でありました。
無著菩薩は天親菩薩にたびたび手紙を出して、自分中心の考え方を捨てて大乗仏教を学ぶようにと忠告しましたが答えはありません。
ついに、「重病だから、すぐに来るように」という使いを出しました。
驚いた天親菩薩は急いで駆けつけましたが、無著菩薩は病気らしくありません。天親菩薩は不思議に思っていると、無著菩薩は「私は今、心の病気にかかっている。それはお前がお釈迦様のみ教えを誤って解釈し、大乗の教えを非難しているからであり、心配のあまりに寿命が縮まりそうだ」というのです。
さすがの天親菩薩も反省し、無著菩薩から大乗の教えを受けるようになりました。
聡明な天親菩薩はすぐに大乗の教えがすぐれていることをさとり、大乗仏教を非難してきた罪から、舌を噛みきろうとしました。
すると無著菩薩は「お前が舌を噛み切っても罪は消えない。間違って使ってきた舌を正しく使いなさい」と諭し、天親菩薩は大乗仏教に転向されました。
そして『唯識論』、『諸大乗論』の註釈などを行い、部派仏教では五百部、大乗仏教では五百部、合わせて千部でありますから、「千部の論主」と称されるほど、多くの著作を残し、80歳でその生涯を閉じられたのであります。