お坊さんとして活動させていただくと、法事の準備に関する質問をいただくことが多いです。
「お仏壇の飾り方」や「法事の規模」、「お布施の額」など、本来の法事の意味である「阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただく以前に、法事を勤めるまでの準備段階で、迷うことが多いので本末転倒であります。
今ページでは、そのような「迷いやすい法事の準備」について、質問される機会が多い内容を中心に記していきます。
しかし、今ページだけで「法事の準備は絶対に大丈夫!!」とはならないと思いますので、わからない事などは、お手次のお寺の住職にお尋ねください。もしも、住職に尋ねづらいという方がおられましたら、下記までお気軽にお問い合せください。
蝋燭(ろうそく)は何色が正しいの?
蝋燭の色に関する質問は特に多く感じます。
法事の施主さまだけではなく、仏具店の方から聞かれることもあります。仏具店からも質問されるのは、さすがに不思議に感じましたので、蝋燭の色を迷われる理由を聞かせていただきました。
すると、
- 「聞く人(お坊さん)によって答えが違う」
- 「本で調べてもバラバラ」
そのような答えが返ってきました。
有り得ないことですよね(^^;;
これでは、
「親戚の方が来られるから失敗はできない」
「そんなことも知らないの?」って言われたらどうしよう・・
という不安を拭うことはできません。
しかし、なぜ答えがバラバラな現象が起きているのでしょうか。
その答えはたった一つです!
それは、、、
土地によってルールが違うからです!
実は、お坊さんによって答えが違うというのは、「誰かが間違えたことを言っている」のではありません。
全員が、それぞれの土地で長年やってきた答えを言っているだけなのです。
考え方によってはすべてが間違いかも知れません。
しかし、それぞれの土地での正しい答えと言えるでしょう。
結局、ロウソクは何色なの?
ズバリ!!
法事を勤めるお坊さんに聞いてください!!笑
お坊さんに聞きづらかったり、聞きたくない事情がある方がおられるかも知れません。そのような方は、
相談しやすい親族の方と一緒に決めてください。
みんなで相談して勤めるのが法事の本来のかたちであります。
法事の準備も、親族の方々との絆を深める一つのキッカケと考えたいですね(^^)
お花と蝋燭は一対必要?
一対というのは、お花と蝋燭が二つずつ対に置かれている状態です。
このような飾り方を五具足と言います。
このような、お花と蝋燭が一つずつの飾り方を三具足と言います。
このように、同じ高さにお花と蝋燭と香炉を置くのは決まりですので守っていただきたいのですが、五具足も三具足も正式な飾り方であります。
つまり、法事では、必ずしもお花とロウソクは一対必要ではありません!
法事の時は普段より豪勢に飾るため、五具足にされる事が多いです。しかし、たまに五具足ではキツキツになるような小さなお仏壇にも関わらず、一対置かれている場合があります。
そのようなお仏壇を拝見した時に、「お仏壇の主役は阿弥陀さまなのに、お花やお供え物が主役になってしまっているのではないか?」ということを感じることがあります。
法事の時に普段より豪勢にするのは素晴らしいことだとは思いますが、お仏壇の大きさを考慮した飾り方をした方がいいのではないか?と、私なんかはいつも感じます。
法事では誰を呼んだらいいの?
お坊さんって、こういうことも聞かれるんですよ。
この答えはたった一つです。それは、
施主様が決めることであります!
ですので、本当はこのブログで書く内容ではありませんが、相談されることが非常に多い内容なので思うところを書かせていただきます。
その相談内容は、
葬儀以来、連絡を取っていない遠く離れている「故人の兄弟」や、「故人の息子や孫」に声をかけるべきかということです。
その家の事情でありますので、僧侶である私が答えを出せることではありません。そのような質問をいただく時、「声をかけづらい」、「簡単にしたい」という施主様の気持ちを感じることもあります。
僧侶として、そのような気持ちを最も大切に聞かせていただきながらも、一つだけ必ず伝えることがあります。それは、
法事を勤めるということだけは伝えてください!
実は、僧侶として活動していると、「親戚の法事で声がかからなかった」という相談を受けることもあります。施主様の気持ちとは裏腹に、「故人の法事はしっかり勤めたい」と思われている方もおられます。
そのような些細なことから人間関係が悪くなることも多いので、せめて葬儀に来られた親族には伝えるようにしてはいかがでしょうか。
何回忌の法事でも同じようにん全員に声をかけてください!
「三回忌までは全員に声をかけたけど、七回忌は人数を減らそうと思う」
そのような言葉を聞く時にも、施主様の様々な気持ちを感じますが、必ず遺族や親族に声だけはかけるようにしてください。
声をかけずに人間関係が悪くなることはありますが、声をかけて人間関係が悪くなることはありません。
むしろ、良い方向に向かいます。
遺族親族間の人間関係で、気疲れされておられる方も多いことだろうと思います。
人それぞれの生き方がありますので、そのような人間関係について僧侶として口出しするべきではありません。
しかし、故人のいのちのご縁を通して人間関係が悪化することは、故人に失礼なことであると、私なんかは感じます。
負担は大きくなるかも知れませんが、「故人が残された法事という尊い仏縁」を、なるべく多くの方で勤めたいものであります。
合掌