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臨終勤行は「限りある命」と「絶対の安心」を知る仏縁|讃岐寺ブログ

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本来の「臨終勤行」は故人様が阿弥陀さまに感謝する仏縁

香川県では「臨終勤行」よりも「マクラ経」という呼び名の方が馴染み深いかも知れません。

命を終えたら最初にお坊さんが勤めます。しかし、お坊さんがお勤めをするのは臨終勤行の本来の意味合いでは緊急処置です。

本来は亡くなる故人様が最後にお経に説かれている「すべての命を見捨てない阿弥陀さまのお救い」をよろこび、安心の中に命を終えていくための勤行です。

[char no=”4″ char=”お年寄り夫婦匿名 左”]親族が亡くなったからお経あげてくれない?[/char]

そう依頼されることがあります。しかし、この発想は、本来の意味合いとは違っているんですね。

臨終勤行では、阿弥陀さまへの感謝の気持ちを大切にしたいものです。

臨終勤行では、故人が教えてくれていることを一緒に考えたい

臨終勤行の際に「慣習だからお勤めをする」のではなく、命を終えた故人様が教えてくれていることを考えるべきです。

そうすることによって、故人様の死を通して、私達の死を見つめることもできます。

1、故人様は命に限りがあることを教えてくれている

[char no=”3″ char=”4050代の夫婦”]明日の命は保証されていないなぁ[/char]

その真実を知っている方は多いですが、身近な方の死を見つめなければそのことを実感できません。

また、臨終勤行の際に「故人様の死」を考えるよりも「私の死」を見つめるのが大切なことです。

誰もが必ず死を迎えます。

そのことを故人様が自らの姿を通して教えてくれているのですから、いつか私が迎える姿として命を終えた故人様に生前の感謝を申し上げるのも大切なことだと思います。

※「生前」って不思議な言葉かも知れません。「生まれる前」と書きます。仏様の世界に「生まれる前」という意味です。別れではなく、「仏様の世界に生まれて仏になって一緒だね」と思える素敵な言葉です。

2、命に限りある私達を放っておかない存在を教えてくれている

臨終勤行では読経しますが、浄土真宗の読経は、読経の言葉を通して阿弥陀さまの救いを受け取るご縁です。

※言葉が難しいからお坊さんがいるのですが・・・

つまり、必ず命を終えていく私たちを放っておかない阿弥陀さまがおられることを臨終勤行では聞くべきです。

必ず命を終えていく私達ですが、「阿弥陀様がおられるから大丈夫」という安心を故人様が教えてくれていると受け取らせていただきましょう。

臨終勤行が必要になったらいつでも讃岐寺にご相談ください

讃岐寺スタッフは、スグに駆けつけられるように24時間対応しております。

でも、最も大切なことは・・・

浄土真宗は「いつ死んでも大丈夫」という教えではありません。

阿弥陀さまをよりどころに前向きに歩むための教えです。

できる限り長生きさせていただいて、阿弥陀さまへの感謝の日暮しを多くさせていただきましょう!

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