実は、法事にお客は一人もいません。
それにも関わらず、施主様ばかり大変な思いをしていることが非常に多いです。
また、浄土真宗では最も主役となるべき方がおられます。しかし、あまり周知されていないような感じがします。
そこで、この記事では法事の主役を明確にして、みなさまが法事で困らないようにしたく思っております。
この記事を読むことで、主役が明確になった法事を安心して勤めることができるでしょう。
法事の準備は本当に大変
法事は準備の方が考えることが多いと聞きます。
メインとなるお勤めの準備だけではなく、食事の手配や品物の準備。遠近各地の皆様への連絡など、法事一つを執り行うためにしなければならないことはたくさんあります。
お坊さんも当家にとって数年に一度の大切なご縁として、緊張しながら向かう時があります。
法事が終わった後、当家の方が「本当にありがとうございます。故人もよろこんでいると思います」って言ってくれることがあるんです。
そんな時に、「あれっ?」と思ってしまうことがあります。
法事の主役を明確にしましょう
浄土真宗というみ教えでは、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただきますので、すべての仏事の中心は阿弥陀さまです。
では、法事の時の主役は人間では誰でしょう?
法事中に聞くと、「祖母」という答えが返ってくることが多いですが、実は、浄土真宗の法事では私たちが主役であります。
法事の準備を主だってされた施主さま、祖母と仲の良かった近所の方々、いつも祖母と仏さまのお話をされていたお坊さんなど。法事にはたくさんの方が関わりますが、その主役は私たち全員です。
何故ならば、
祖母の死を無駄にせず、祖母の死をご縁として、私たちが阿弥陀さまのお心を聞かせていただくのが法事であります。
ですので、法事の参拝者は招待客ではありません。
法事にお客さんはいません!
法事に招待客は一人もいません。
確かに、法事を勤める時は、その家に住んでいる方が中心となってご縁のある方を招き、段取りもすべて決定することを求められます。
しかし、施主さまだけが故人とご縁のあった方ではありません。
たとえば、故人の子どもは全員が故人と何にも変えられない血縁というご縁があります。
離れて住んでも、血縁が切れることはありません。みなともに法事の施行者であります。
ならば、法事にかかる費用も折半するべきではないでしょうか。
法事に決まった主役はいなければ、準備も全員でするべきであります。
誰もが故人と思い出があり、故人をご縁として阿弥陀さまのお心に出遇わせていただく立場ですもん。ちなみに、僧侶も同じ立場です。
僧侶もともに出遇わせていただくのですが、みなさまで一緒に阿弥陀さまのお心に出遇うためのお手伝いが僧侶のいる意味です。
法事を通して、みんなで故人を思い出しつつ、みんなで阿弥陀さまのご縁を恵まれていることをよろこばせていただきましょう。
みんなで一つのことをよろこべることって、日頃の生活では有るようで無いですもん。
ともに恵まれているよろこびを与えてくれるのが浄土真宗であり、みんなで同じ方向に向ける法事の素晴らしさだと思います。