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すべての命が阿弥陀如来の救いの対象。他者と比較する必要ありません

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すべての命が阿弥陀如来の救いの対象です

一切善悪凡夫人
聞信如来弘誓願


一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、

善人も悪人も関係なく、どのような方であっても、阿弥陀如来のお誓いを聞き信じるならば、

ここでは、「善悪凡夫人」と示されております。言葉の通りですと、「善い人も悪い人も」ということであります。

しかし、「善悪凡夫人」の前に「一切」とあります。

「一切」とは、「すべての方」という意味でありますから、「対象にならない方は一人もいない」ということであります。

どのような方も放っておかないんだよ

そんな阿弥陀如来のお誓いの尊さを感じるところであります。

阿弥陀如来のお救いをそのまま聞かせていただくままが信心です

「正信念仏偈」でも、この句は『仏説無量寿経』の内容を讃えられている箇所であります。

その『仏説無量寿経』には「本願成就文」という、非常に大切なお言葉があります。

※「本願成就文」とは、阿弥陀如来の四十八願の中でもご本意である「本願(第十八願)」を意訳されたものであります。
「本願成就文」では、信心をいただくちょうどその時である「機受の極要」が説かれており、浄土真宗の信心のあり方を示す重要な根拠となっております。

その「本願成就文」の冒頭では、次のように阿弥陀如来のお救いを聞いて信じよろこぶ身になることが、お浄土に生まれさせていただく正しき因になることが示されております。

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念・・・

私たちが、名号南無阿弥陀仏となってはたらき通しの阿弥陀如来のお救いを聞いて信じよろこぶ心が起こるそのとき・・・

阿弥陀如来のお救いを聞き信じる身となって救われていくことを示されたのが、「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願」という二句の内容であります。

それでは「何を聞く」のでしょうか。

親鸞聖人は主著である『教行証文類』に、

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。

聞く内容は「仏願の生起本末」であると明確に示されております。

仏願の生起本末」とは、阿弥陀如来があらゆるいのちを救うための願(仏願)をおこされた理由(生起)と、その願を成し遂げられ(本)、現に私たちにはたらき続けておられる(末)ことをいいます。

つまり、

「阿弥陀如来は、煩悩を抱えて救われ難い私を救うために、あらゆるいのちを救うというお誓いを建てられました。そして、そのお誓いが成し遂げられ、阿弥陀と名乗り、私たちにはたらき続けてくださっておられる」

という「仏願の生起本末」を疑いなく、そのまま聞かせていただくことを「聞」というのであります。

親鸞聖人は『一念多念文意』に次のように示されております。

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

「聞」とは、疑いの心がなくなった状態でありますから、聞いたままが信心であり、それを「聞即信」といいます。

ここで注意したいのが、「聞いた」という私の意識が因となって往生するのではありません。

もしも、私の意識が往生に関わるのであれば、信心とは、私の心によって作り出したものとなってしまいます。また、「いつ聞いたか覚えていないといけない」という誤った見解に陥ってしまいます。

『教行証文類』に、

「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。

と、「信心」とは、私の心で作り出すものではなく、阿弥陀如来のお誓いのままに賜るものであることを明確に示されております。

私の信心まで阿弥陀如来によって誓われております。ですので、私の手柄ではありません。

ゆえに、「聞く」ことを私の手柄として考えて、他人と「私は信心がある」「あの人は信心がない」といった見解が間違っていることは明らかであります。

私の心を「大丈夫」にするのが信心ではなく、「大丈夫」のままが私に届いていることを聞かせていただくのが信心であります。

ご信心は賜りものだから、他人と比べるべきではありません

他人と信心の有る無しを比較しあって傷つけ合うことほど悲しいことはありません。

大丈夫のままが、今、南無阿弥陀仏というさとりのすがたをあらわし、私たちのもとにいたり届いている。お互いに、お念仏を称えられる身までお育てをいただいてよかったですね

そのように、みなさまで一緒によろこび合えることこそが本当に大切ではないでしょうか。

一切善悪凡夫人」と示されているように、区別差別なきみ教えでありますから、それを受ける私たちが仏教を利用して他人を傷つけるのだけは止めないといけない。

自分自身のすがたを省みさせていただくところであります。

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