「浄土真宗では何のために法事をするの?」
そのような質問をいただくことがあります。
一般的に、法事といえば追善供養の意味合いがあります。
※追善供養とは、私たちがお勤めすることによって、亡くなられた方を供養することです。
しかし、浄土真宗では、阿弥陀さまのおはたらきによってお浄土に生まれさせていただき、仏のいのちを賜ります。
ですので、追善供養の意味合いはありません。
それでは、なぜ浄土真宗では法事を勤めるのでしょうか。
浄土真宗での法事は「私たちが出遇うご縁」
浄土真宗の法事とは、亡くなられた方を偲びつつ、私たちが仏さまのご縁に出遇わせていただくことです。
Wikipediaでは次のように示されております。
年忌(ねんき)とは、祥月命日、また、その日に営まれる仏事のこと。日本の仏教において、定められた年に故人に対して営まれる法要を、年忌法要(年回法要)という。追善供養のために営まれる。
浄土真宗では追善供養だとはいわず、仏法にふれる機縁の法要としている。
年忌 – Wikipedia
法要(ほうよう)とは、
- 本来の意味は、仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ。つまり仏法の要点・肝要を知ること。
- その後、上記の用語が転用され、法事・仏事・法会などの儀式祭礼などの仏教行事一般のことをいうようになった。
日本では、しだいに供養(追善供養)のことを指すようになり、その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。
法要 – Wikipedia
つまり、浄土真宗以外は亡くなられた方のために法事をするけど、浄土真宗は私たちのために法事をするということがわかります。
亡くなられた方への想いは大切!
浄土真宗での法事の意味を初めて聞いた時、一つの疑問がありました。
「私たちが仏様のご縁に出遇うため」に法事をするならば、亡くなられた方を置いてけぼりにしているような・・・
亡くなられた方へのご遺族の想いから法事は勤められます。
法事が「私たちのため」であっても、その想いは大切にしなければなりません。
だからこそ、法事のご縁に、「亡くなられた方が仏様のご縁に出遇わせてくれている」という事実をあらゆる方と共感できればと思っております。
決して亡くなられた方は置いてけぼりではありません。
亡くなられた方への想いから勤めていたと考えていた法事ですが、実は亡くなられた方が私たちを仏様の前に座らせてくれていたのであります。
僕は、法事とは還相回向のご縁だと思っております。
還相回向??浄土に生まれて終わりではない
還相回向とは、阿弥陀さまのおはたらきによってお浄土に生まれさせていただき、今度はこの世界に還ってくるおはたらきのことです。
お浄土に生まれるだけではなく、還ってくるところまで阿弥陀さまに誓われております。
つまり、法事は還相回向ならば、亡くなられた方がこの世界に還ってきて、私たちをお仏壇の前に座らせてくれていると捉えられます。
そこまで先にお誓いになられ、私たちを救うためにはたらき続けておられるのが阿弥陀さまであります。
法事のご縁では、それほどの阿弥陀さまのお救いを賜っていることをみんなで一緒によろこび、いっぱい楽しみましょう!
法事は「行儀よくするため」の修行の場ではありません
法事は「すべてのいのちが目当ての阿弥陀さまのおはたらきを楽しむご縁」ですので、修行の場ではありません。
大人しくするのではなく、みんなで大きな声でお経を読んで、みんなでワイワイしながら楽しめたらと思います。
「法事中は静かにしなさい!」と怒る方を見た時に悲しくなることがありますが、行儀良くすることばかり考えなくて大丈夫ですよ。
亡くなられた方が残してくれた法事というご縁だからこそ、大切に、そして、楽しみたいですね!