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救いを信じる心も念仏を称える心もすべて阿弥陀如来の願いのまま

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浄土真宗の法義は信心正因(信心こそ正しき因)であります

正定之因唯信心

正定の因はただ信心なり。

ただ信心一つで私たちは救われていくのであります。

この句は浄土真宗のみ教えの根幹である「信心正因」を明確に示されたものであります。

浄土真宗の信心は日常生活で使用される信心とは別物です

浄土真宗の信心ってわかりづらいようです。

その理由の一つとして、私たちは人生の中で、「誰かを信じる心って大切!」と教えられて育つからでありましょう。

確かに、「人を信じられない人生」って悲しく感じますよね。

社会に出て、様々な人と出会い、段々と信じられなくなってくることはあるかも知れません。

しかし、「人を信じる心は必要ないんだよ!」と教育を受けることはありません。

浄土真宗の信心は「私が頑張って信じる」ことで成立するのではありません。

先に阿弥陀如来が「かならずすくう」という御心のままに、私たちにはたらき続けておられるのですから、頑張るのではなく、そのまま受け入れさせていただくより他にありません。

私の心を「大丈夫」にしてもすぐ壊れます。

でも、自然と生じさせてくれる「大丈夫」という心は壊れることはありません。安心させてくれます。

信心も念仏も阿弥陀如来に願われているから皆一緒です

浄土真宗で説かれる阿弥陀如来のお救いとは「無条件の救い」であります。ならば、「何もしなくていいんだよ」というお坊さんがいてもいい筈でありますが、そのようなことをいう方は一人もおりません。

阿弥陀如来のお救いは無条件でありますが、「信心正因」と言われておりますように、「信心が救いの正しき因」であります。

実は、阿弥陀如来の御本意のお誓いである「本願」に私の信心まで誓われております。

「本願」では、次のようにお誓いになられております。

設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法

わたしが仏になる時、あらゆるいのちが心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。

あらゆるいのちを疑いなく願いを信じ(信心)、お念仏を称える身に育て(念仏)、仏さまの国に生まれさせる(往生)というお誓いであります。

私が阿弥陀如来のおはたらきを信じることも、お念仏を称えることも、すべて阿弥陀如来により誓われていることでありました。

つまり、阿弥陀如来のお心を聞かせていただき、「大丈夫だ!」と思う心が大切であると受け取るのが信心ではありません。

阿弥陀如来の疑いようのない「大丈夫」なままの誓いを、そのまま疑いなく聞かせていただくことが信心であります。

ですので、信心とは、阿弥陀如来の心であります。

よく、「誰々の信心は〜〜〜」といったお話を聞くことがあります。

しかし、阿弥陀如来より賜るものでありますので、決して、他人と信心の量を競ったり、それを利用して傷つけ合うためのみ教えではありません。

救いに必要なものはすべて阿弥陀如来によってご用意されていたことを、ともによろこばせていただく生き方を浄土真宗は与えてくれます。

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