近頃、葬儀が営業活動の場になっている気がしてなりません。
人の命の終わりのご縁ですから、たった一度しか訪れないご縁であります。
ですので、非常に重要なご縁です。
だからこそ、葬儀を務める意義を明確にする必要があります。
この記事を読むことで、葬儀の意義を明確にして、みなさまが安心して葬儀に参列できればと思います。
様々な感情が湧き上がる葬儀という命のご縁
「お坊さんって人が死ぬことに慣れるんでしょう?」
そう聞かれることがありますが、絶対に慣れません!
むしろ、慣れてしまったらご遺族の方々のお気持ちを受け取れなくなりますのでお坊さんとしてお勤めしてはなりません。
時には、ご遺族や近所の方々と一緒に涙を流しながらお話を聞かせていただくこともあります。
故人様が残された色々な感情が湧き上がる葬儀のご縁を、皆で一緒に大切にしたいなぁ
いつも、そう感じながらお勤めさせていただいております。
お坊さんとして皆様のお気持ちを大切に勤めさしていただいておりますが、その中で感じていることをお伝えさせていただきます。
日本人には難しいですが、「人の目」よりも「葬儀の意義」を大切にするべきです
現代では、葬儀の意義を深く考えず、単なる「お別れ会」になっているように感じます。
浄土真宗総合研究所の満井秀城先生は、「浄土真宗の葬儀の意義」について次のように定義されております。
浄土真宗としての葬儀とは、世の無常に思いをいたし、自らの死苦に向き合う場であるとともに、愛別離苦の悲しみに向き合いながら、念仏者として歩んで来られた故人を偲び、故人も、そして後に遺った者も、ともに阿弥陀如来の慈悲の中にあることを再確認する仏縁であり、仏徳讃嘆と、本願に遇えたことへの報恩感謝の儀式
つまり葬儀とは、故人様の死を通して、私達にも必ず死が訪れることを知らされるとともに、私達をお救いくださる阿弥陀さまへの感謝の想いで勤めさせていただくご縁であります。
しかし、そう思って葬儀に参列しておられる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。
実は、
「ただ参列者に頭を下げているうちに終わってしまいました」
と聞くことがあります。葬儀の意義や、故人様や仏様の救いを考えずに、周囲の目ばかりを考えて終わるのは虚しいことです。
確かに、普段は着ることのない真っ黒い喪服を着ないといけないのが慣習になっておりますので、身体も固くなってしまいます。
しかし、葬儀本来の意義を大切にするためにもっと自由にするべきだと思います。
人目を気にする日本の文化では難しいことかも知れませんが、葬儀の場くらい社交辞令を離れられればと思います。
参列者も柔らかな雰囲気でご遺族に接する配慮が必要だと思うところであります。
故人様が教えてくれていることを大切にしたい
葬儀のご縁では、故人様は命を終えても私達に教えてくれていることがあります。
それは、ご自身の姿を通して必ず命を終えることを教えてくれております。
葬儀の時に、
「誰一人として明日の命は保障されていないんだよ」
「命を終える時を選ぶことはできないんだよ」
「だからこそ、毎日を大切に生きなきゃいけないんだよ」
そう故人様が教えてくれていると葬儀のご縁で考えられれば、故人の命のご縁がより大切なものになります。
更に、仏教では故人様ではなく「私の命の限界」を聞きます。故人様の命のご縁を通して、私自身の命が終えていくことを大切に聞きたいものです。
浄土真宗では故人様に「さようなら」と告げる必要はありません
決して死を避けることはできません。
「思い通りにしたい」とどんなに良い病院に通っても必ず命を終えるときはやってきます。
思い通りにならない苦悩を抱えて生きなければならない私達の為に立ち上がったのが阿弥陀さまという仏さまです。
阿弥陀さまによって仏の命を賜ったならば、ずっと私達と一緒です、
故人様に「さようなら」ではなく「これからも仏としてずっと一緒なんだね」
そう思えることが故人様だけではなく、私達の安心になるのではないでしょうか。
浄土真宗の葬儀で「安心」するために大切なこと
より良い浄土真宗の葬儀を勤めるために大切なことがあります。
それは、浄土真宗の葬儀の中心を明確にしておくことです。
葬儀の中心は命を終えた故人様と思われる方もいますし、全てを決める喪主様と考えられる方もおられるかも知れません。
しかし、中心は個人様でも喪主様でもありません。浄土真宗では阿弥陀さまを中心に勤めます。
もちろん故人様や喪主様の為と思って参列するのは大切です。
だからこそ、葬儀の中心は阿弥陀さまだと捉えてください。阿弥陀さまが中心だからこそ故人様は仏にならさせていただいたんだと知らせていただくことができます。そして、故人様だけではなく喪主様や参列者の方々。「すべての命を見捨てない阿弥陀さまがおられるんだね」と一緒に安心することができます。
阿弥陀さまへの感謝の想いで勤めさせていただく葬儀こそ、全員が一丸に慣れる素晴らしい儀式であります。