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念仏者は他者を導くことよりも他者とともによろこぶ生き方が大切

もくじ

自ら願い、自ら修行し、他者に勧める念仏者の生き方

源信広開一代教
偏帰安養勧一切

源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。

源信和尚は、お釈迦さまの説かれた教えを広く学ばれて、ひとえにお浄土へ生まれることを願い、また世のすべての人々にもお勧めになられました。

「正信念仏偈」に出てまいります七高僧の全員に共通していることでありますが、私たちを教化するためにあらわれたのではありません

自分自身が、阿弥陀如来のお浄土へ生まれたいという願いを持ち、私たちにもお勧めになられております。

源信和尚が送られた人生を振り返ってみます

源信和尚は、天慶5(942)年、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれた方でありました。

父は質実な性格であり、7歳で死別されております。母は仏道を求める心が強く、後に出家し念仏に励んだとも伝えられております。出家された年は諸説あり定かでありませんが、源信の聡明性と信仰心の篤い母の影響が強かったと考えられております。

出家し比叡山に登られた源信和尚は、中興の祖慈慧大師良源(通称、元三大師)の下で修学し、「学業既に成り、仏道の英雄となり、論議決択、世に絶倫」と讃えられるまでになりました。

そして、15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれ、下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送ったところ、母より「送るところのもの、喜ばざるにあらざるといえども、遁世の修道わが願うところなり」という厳しい誡めを受け、母とのすべての縁を切り、横川の恵心院にこもって、仏道修行に励まれました。

晩年に至るまで、著述の製作と念仏の実践に努められましたが、寛仁元(1017)年、阿弥陀如来の手から引いた五色の糸を自らの手にし合掌しながら、龍樹菩薩の『十二礼』などを唱え、76歳で往生されました。

源信和尚自身がお浄土に生まれることを願い、私たちをお導きくださりました

源信和尚の功績を、今回の句では「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」と讃えられております。

「一代教」とは、お釈迦さまが八十年の生涯を通じて説かれた教えのことで、仏教全体を指す言葉であり、「広開」とは、広く、全般にわたって究められたということであります。

源信和尚はお釈迦さまの説かれた教えを広く学び究められ、そしてお浄土への往生を願われ、他の人々にも勧められましたのであります。

そのような源信和尚を讃えられたのが「源信広開一代教 偏帰安養勧一切」の二句であります。

そのような源信和尚のお心を、今、私たちがいただいております。

その源信和尚のお勧めを私ごととして受け取らせていただきましょう。

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