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言葉や概念に執われ、有無への執われを生きる今こそ大切にしたいこと

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龍樹菩薩が仏教の教えをより明確にされました

悉能摧破有無見

ことごとくよく有無の見を摧破せん。

龍樹菩薩は、有るとか無いとかに執着するような人間のはからい心をすべて打ち破られました。

摧破」とはうち砕く、論破するといった意味であり、「有無の見」とは、有の思想・無の思想の二者どちらもということであります。

一般的には、霊魂や死後の世界はあるのかないのか。あるとする立場を「有の見(常見)」といい、ないとする立場を「無の見(断見)」とされております。

有無への執われから離れた世界があります

親鸞聖人は、有無の見、人間の偏見を「わがはからひのこころ」と指摘されました。それは人間的思考であり理性的思考のことであります。

この「わがはからひのこころ」という有無の見を捨てて、仏教のみ教えを聞かせていただきましょうと喚起されております。

仏教の思想である「」の理論は龍樹菩薩の『中論』などの著作によって果たされました。

龍樹菩薩は、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証されており、この因果関係をお釈迦さまは「縁起」と説明されております。

さらに、因果関係によって現象が現れているので、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性)はないことを明かしており、すべての存在は無自性であり、「空」であると論証されています。

龍樹の「空」はこのことから「無自性空」とも呼ばれております。

しかし、空である現象をどう認識し理解するかについては、概念や言語を使用することが考えられます。龍樹は、人間が空を認識する際に使う「言葉」に関しても、仮に施設されたものであるとします。

この説を、既成概念を離れた世界と、言語や概念によって認識された世界を、それぞれ第一義諦と世俗諦という二つの真理に分別されます。

言葉では表現できない、この世のありのままの姿は第一義諦であり、概念や言葉で表現されたお釈迦さまの教えなどは世俗諦であるとし、これを二諦説といいます。

無我説を固定化してしまった結果として主体の存在概念が捉えられなくなっていた当時の仏教の思想を、龍樹は「無」と「有(有我説)」の中道である「空」(妙有)の立場から仏教の本来のみ教えに軌道修正したと言えるでしょう。

※中道といっても、「真ん中」という意味ではありません。
「有(唯物思想)」、「無(唯信思想)」も離れて、「有るのでもない」「無いのでもない」と、人間の固定観念を徹底的に否定したものの見方を「中道」と言います。

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