この世に仏教の教えをお伝えくださったのがお釈迦様であります。
お釈迦さまが説かれた教えは8万4千とたとえられるように数えきれないほどの数があります。
そのようなお釈迦様が最期に「自灯明 法灯明」という言葉を残されました。
この言葉には、私達にとっての灯明(よりどころ)とすべきものが明確に示されており、迷いの人生を生きるヒントにもなります。
そこで、この記事では「自灯明 法灯明」と説かれたお釈迦様の真意を探り、私達の人生にいかに活かしていくべきかをお伝えします。
この記事を読むことによって、私達の人生のよりどころが明確になり、私達が向かっていく方向性も明確になることでしょう。
【お釈迦さまの最期の言葉】何をよりどころに生きるべきなのか?
お釈迦さまが80歳になられて、亡くなろうとされている時に、弟子が「お釈迦さまが亡くなった後、私は何をよりどころに生きればいいのでしょうか?」と尋ねました。
その時の答えが「自灯明 法灯明」です。
「自分自身を灯明」「法を灯明」と読むことができます。
自分自身を灯明として、不安の尽きることのない人生を、自分自身をよりどころとして人生を歩みなさい。そして、法灯明。法、つまりみ教えをよりどころとしての人生を歩みなさい。
ということであります。
他人ではなく自分自身を拠り所としないと、他人の意見にばかり引っ張られる人生を歩むことになってしまいます。
自分の人生の主人公は自分自身なので当然のことでしょう。
しかし、自分だけではなく、法(教え)を拠り所として生きることで迷いのない人生を送ることができます。
本当の人生の指針は人間関係の会話からは生まれてきません。
なぜならば、すべての方が自分の経験や思考だけを頼りにしているからです。
法はそのような性質のものではありません。さとりを得られたお釈迦様の言葉なので、決して変わることのない真実であります。
今回のお釈迦様の言葉を大切に、自分自身と教えを拠り所に、迷いの中でも指針がある人生を歩ませていただきましょう。
【自分自身を拠り所】人生は孤独。自分の足で歩まなければならない。
私たちの人生は誰とも変わることはできません。
誰とも変わることのできない人生を、ただ耐えていくのはつらいだけです。
だから、他人に甘えて、他人の判断をよりどころにしてしまうことがあるんです。
他人に意見を求めることは悪いことではありません。
むしろ、他人の意見を大切に生きることは大切なことだと思います。
でも、私たちの人生は誰とも変わることができないんです。
今までのみなさまの人生もそうだったように、最後の最後には自分の足で生きていかなくてはなりません。
最終的な決断は他の人の考えではありません。
私の考えをよりどころに生きなくてはならないのが真実です。
そんな孤独を歩む私に真実の法をお伝えくださったのがお釈迦様でありました。
【教えを拠り所】誰とも変われない人生の絶対の支えがあります
阿弥陀如来のお救いという法をお伝えくださったのがお釈迦様でありました。
つまり、阿弥陀如来という仏様を拠り所にして生きる人生をお伝えくださったのがお釈迦様であります。
誰とも変わってもらえないから、くじけそうになることももちろんあります。
しかし、そのような私のよりどころとなる法はもう届いております。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
口から出てくる言葉が仏さまそのものであり、私に至り届いている証拠でもあります。
阿弥陀如来のお救いがあるからこそ、辛く悲しい人生を、自信を持って前を向いて歩むことができる。
絶対の支えをよりどころとする人生を歩むことができる。
そんなメッセージが「自灯明 法灯明」というこの言葉に込められていると味わうところであります。