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法然聖人はすべての命を見捨てない仏の心をお伝えくださりました

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すべての命を救う願いを弘められた法然聖人を讃えられております

本師源空明仏教
憐愍善悪凡夫人

本師源空は、仏教にあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。

法然聖人は、仏教のみ教えを深く学び極められ、善人も悪人もすべての方々を哀れまれました。

ここからは、親鸞聖人の師匠であります法然聖人(源空)の功績を讃えられます。

私は、今回の句の「憐愍」という言葉にはいつも感動させられます。この言葉には「哀れむ」といった意味があります。

法然聖人がすべての方々を哀れんでおられたことは間違いないでしょう。

しかし、誰よりも、親鸞聖人自身が法然聖人に救われた感動を表現されておられるのではないでしょうか。

「本師」である法然聖人の哀れみによって、阿弥陀如来のお救いに出遇うことができたというよろこびを強く感じます。

紆余曲折がありながら教えを伝えられた法然聖人の生涯

法然聖人は、長承2(1133)年、美作国久米南条の稲岡庄(現在の岡山県久米南町北庄)に、押領使の漆間時国と、秦氏君(はたうじのきみ)との子として生まれた方でありました。

保延7(1141)年、9歳の春、父の時国が、荘園の監督者である明石源内定明の不意の夜討ちによって殺害されてしまいますが、その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られ、修学をはじめられました。

しかし、法然の非凡な才能を見抜いた観学は、天養2(1145)年、法然13歳の時、比叡山西塔北谷の源光にあずけられました。しかし、久安3(1147)年に源光はこれ以上教えられることがないとして、比叡山の皇円の下で得度し、天台座主行玄を戒師として授戒を受けられました。

久安6(1150)年には皇円のもとを辞し、比叡山黒谷別所に移り、叡空に師事し、修行して戒律を護持する生活を送ることになりました。その後保元元(1156)年に京都東山黒谷を出て、清凉寺(京都市右京区嵯峨)や醍醐寺(京都市伏見区醍醐東大路町)などに遊学されましたが、再び比叡山に帰られ、黒谷の経蔵にこもって一切経を閲覧されました。その閲覧は5回に及んだと言われております。

やがて承安5(1175)年、43歳の時に善導の「一心専念弥陀名号行住座臥不問時節久近念念不捨者是名正定之業順彼仏願故」『観経疏』の文を感得して、ついに浄土門の専修念仏に帰せられました。

その後、専修念仏を奉ずる立場に進んで浄土宗を開き、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘められ、この年が浄土宗の立教開宗の年とされております。

建久9(1198)年、66歳の時に、専修念仏の徒となった九条兼実の懇請を受けて『選択本願念仏集』を著されました。

建永2(1207)年、75歳の時に、専修念仏停止が宣下されることとなり、法然は還俗させられて土佐(実際は讃岐)への流罪に処せられました。

建暦元(1211)年11月には勅免があって東山大谷へ帰られましたが、翌2(1212)年の1月25日、大谷の禅室にて、ついに80歳の生涯を終えられました。

親鸞聖人が示された単なる師弟関係を超えた唯一の関係性

『教行証文類』「後序」にも、法然聖人に認められたよろこびや、法然聖人の命終について著されております。

『高僧和讃』では阿弥陀如来の化身であると讃えられており、ただの人として捉えていなかったようにも思われます。

現代で浄土真宗のみ教えを学ぶ者にとっても、法然聖人の教学は特に注目されますが、それだけ親鸞聖人が法然聖人の教えに忠実に生きておられたからでしょう。

蓮如上人も、法然聖人について、『正信偈大意』の中で他の七高僧よりも詳細に示されております。

「本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人」といふは、日本には念仏の祖師その数これおほしといへども、法然聖人のごとく一天にあまねく仰がれたまふひとはなきなり。これすなはち仏教にあきらかなりしゆゑなり。されば弥陀の化身といひ、また勢至の来現といひ、また善導の再誕ともいへり。かかる明師にてましますがゆゑに、われら善悪の凡夫人をあはれみたまひて浄土にすすめ入れしめたまひけるものなり。

法然聖人がこの世にあらわれてくれなければ、阿弥陀如来のみ教えが広まることはなく、煩悩を抱えた凡夫は誰一人として救われなかったことを示されております。

また、ここで詠まれている「善悪凡夫人」という言葉の中心には親鸞聖人自身がおられることを忘れてはなりません。

すべての凡夫を救うために法然聖人があらわれたように示されますが、親鸞聖人自身が比叡山で苦しまれ、法然聖人によって阿弥陀如来のみ教えに導かれ、そのままのよろこびを私たちに伝えてくれました。

阿弥陀如来のみ教えを当たり前のように聞かせていただいている現実をよろこばせてもらいつつ、ともに「尊いみ教えに出遇えてよかったね」と言い合えたら素敵だなと思います。

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