お釈迦さまの目的は阿弥陀如来の救いを伝えることでした
如来所以興出世
唯説弥陀本願海
如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
お釈迦さまがこの世にあらわれたのは、ただ阿弥陀如来のお救いを説くためであります。
ここでの「如来」とは、仏教のみ教えをお説きになられたお釈迦さまのことであります。
お釈迦さまとは、この世にお出ましになられた唯一の仏さまであり、お説きになられたみ教えは八万四千と喩えられる程の膨大な数であります。
それはそれは様々なみ教えを説き、様々な言葉を残されました。
しかし、そのお釈迦さまのご本意はただひとつ。
阿弥陀如来のお救いを説くことであったことを今回の句では讃えられております。
お釈迦さまは迷いの世界を憐れみ、この世にお出ましになられました
『仏説無量寿経』では、お釈迦さまはどのように紹介されているのでしょうか?
その部分を引用します。
兜率天に処して正法を弘宣し、かの天宮を捨てて神を母胎に降す。右脇より生じて七歩を行くことを現ず。光明は顕耀にして、あまねく十方を照らし、無量の仏土は、六種に震動す。声を挙げてみづから称ふ、「われまさに世において無上尊となるべし」と。
(中略)
算計・文芸・射御を示現して、博く道術を綜ひ、群籍を貫練したまふ。後園に遊びて武を講じ芸を試みる。宮中色味のあひだに処することを現じ、老病死を見て世の非常を悟る。国と財と位を棄てて山に入りて道を学す。服乗の白馬・宝冠・瓔珞、これを遣はして還さしむ。珍妙の衣を捨てて法服を着し、鬚髪を剃除し、樹下に端坐し、勤苦すること六年、行、所応のごとくまします。
(中略)
微妙の法を得て最正覚を成る。釈・梵、祈勧して転法輪を請ず。〔成道せられし菩薩は〕仏の遊歩をもつてし、仏の吼をもつて吼す。
兜率天で正しい教えをひろめ、その宮殿から降りて母の胎内に宿りました。やがて、右の脇から生まれて七歩あるかれました。その身は光明に輝いており、すべての世界を照らし、 数限りない仏さまの国は様々に震動しておりました。そこで声高らかに、「わたしこそ、この世で最も尊い者になるであろう」と述べられました。
(中略)
算数・文芸・弓矢・乗馬などを学び、ひろく仙人の術を極め、数多くの書籍にも精通し、 広場に出て武芸の腕をみがき、宮中では欲望の中に身をおく生活をしておりました。やがて、老・病・死のありさまを見て、この世の無常をさとり、国や財宝や王位を捨てて、さとりへの道を学ぶために山に入られました。そこで乗ってきた白馬と身につけていた宝冠や胸飾りを王宮に帰らせ、美しい服を脱ぎ捨てて修行者の身なりとなり、髪をそって樹の下に姿勢を正して座り、六年の間、他の修行者と同じように苦行に励まれました。
(中略)
ついにすばらしい真理を得て、 この上ないさとりを成しとげられました。そのとき梵天や帝釈天があらわれて、すべてのもののために説法するように願いますので、仏となったお釈迦さまはあちらこちらに足を運び、説法を始められました。
ここに続いて出てくる『仏説無量寿経』の言葉が、親鸞聖人が「如来所以興出世 唯説弥陀本願海(如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり)」と示された根拠になっております。
そこでは、次のように説かれております。
如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。
お釈迦さまは、この上ないお慈悲のお心で迷いの世界を哀れみになられました。この世に現れた理由は、仏教のみ教えを説いて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからであります。
お釈迦さまが「世に出られた本意」でありますので、「出世本懐」と呼ばれております。
※ちなみに、浄土真宗では、ただ阿弥陀如来だけへの帰依をすすめておりますので、「如来」とは阿弥陀如来のことを意味することがほとんどであります。
しかし、ここでの「如来」とは、お釈迦さまのことを意味しております。「正信念仏偈」の中で「如来」の語が8ヶ所でてきますが、そのうちの3ヶ所がお釈迦さまのことであります。
お釈迦さまによって伝わった万人が平等に救われる唯一の道
この世にあらわれた如来であるお釈迦さまによって阿弥陀如来のお救いが説かれたのですが、ここでは、阿弥陀如来のお誓いである「本願」に「海」を付けて、「本願海」と示されております。
これは、どこまでも広く大きい名号の功徳を「本願の海」と表現されているのであり、阿弥陀如来のお誓いの絶対性を讃えられております。
お釈迦さまの説かれた膨大な数の経典の中でも、『仏説無量寿経』に説かれる阿弥陀如来のお救いこそが、万人が平等に救われていく唯一の道であります。
そして、その阿弥陀如来の功徳のすべてを込められた南無阿弥陀仏の名号を伝えることこそが、お釈迦さまの本意であります。