
みなさまは、そのような言葉を聞いたことはないでしょうか。
私は小さな頃から、この言葉をよく聞いてきました。
今になっても、大人が子どもにそう伝えているのを目撃することがあります。
そして、お孫さんと一緒にお墓やお仏壇を掃除しているすがたを拝見すると心が和むような思いになります。
そんな時に・・・

そう思うことがあります。
何かのキッカケがなければお墓やお仏壇の方向になかなか向かおうとは思えません。
気付いたら、損得の感情などの自分の利益ばかりを考えて、本当に大切な仏さまのお心を知ろうとできないのが人間の性根かも知れません。
そんな私が、お盆やお彼岸になれば、当たり前のように掃除をはじめます。
仏縁に触れる一つのきっかけとなっていますね。
私たちの体と心を仏さまの方に向かせてくれる一つのご縁として、お盆やお彼岸は大切にするべきだと思わされます。
しかし、みなさまと考えたいことがあります。
みなさまのご先祖さまは、お盆やお彼岸だけにかえってこられる方なのでしょうか?
浄土真宗では先祖供養する必要はありません!

お坊さんという職業柄、お盆になると必ず「13日に迎えに行って16日に送り出す」という言葉を聞きます。
時には、

という風に依頼されることもあります。
それは、「先祖のためにお参りすること」であり、いわゆる「先祖供養」というものです。
「先祖のため」という想いが私たちを歩ませてくれておりますので、その気持ちは否定するものではなく大切なものだと思います。
しかし、浄土真宗というみ教えでは、阿弥陀さまのおはたらき一つでお浄土に生まれさせていただき、仏としてのいのちを与えられるのですから、私たちが供養する必要はありません。
自分の力では仏になることができない私を放っておけずに、私を救うための願いを起こされたのが阿弥陀さまであります。
自分で仏になることができない身が、他者を供養することはできないでしょう。
ご先祖さまは、阿弥陀さまのおはたらきによってこの上ないさとりを開かせていただいておりますから、私と別にいるのではありません。
お墓に向かおうとも、お仏壇に向かおうともしない私の「南無阿弥陀仏」のご縁となって、私たちにはたらき続けておられます。
つまり、特定の日だけかえってくるのではなく、私とずっと一緒ですから、供養する必要はありません。
お盆やお彼岸のご縁を通して、ご先祖さまを思い出しつつ、お墓やお仏壇の前で、ともに阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただければと思います。
そうして私が出遇わせていただく。
それこそが、亡き人のいのちを無駄にしないことにつながってくるのではないでしょうか。
