
「自由気ままな人」
そう捉えられることが多かった庄松さん
でも本当は、
とても頭の回転が早かったでしょう
浄土真宗のみ教えと合致するような
「たとえ」がたくさん残されております
しかも、
会話の中でのことでありますので、
即興ばかりだと思われます
自信満々に進んでも、結局は真実を見通せていない私であります
「私が迷っている」のではありません。
「私自身が迷いの存在」なのであります。
真実のない私に、「南無阿弥陀仏」という真実を与えてくれたのが阿弥陀さまでありました。
「闇のあるうちは迷うが、闇が晴れたら迷わぬだろう」
庄松さんが東植田村の西丸新造の家にて御法座を開いた時、あらゆる土地からたくさんの同行が集まりました。その中に、西植田村葛谷の谷ますと同村廣間の宮本たみの二人が庄松さんの法話を聞きに来られ、夜の十二時頃、仏法の話をしつつ帰っていたが、道に迷って帰ることができなかった。そこで新造の家に戻ると、「もう夜があけてあるぞ」と言われ、「そうでありた」と言いながら、無事に家に帰り着き、再び新造同行の家へ来た。そのことを庄松さんに言うと、大笑いしながら「闇のあるうちは迷うが、闇が晴れたら迷わぬだろう」と言われました。
迷っていることにすら気付くことができずに迷っている私のすがたを、庄松さんの言葉が教えてくれているようです。
私の頭で考えて、真実に進もうと思った時点で迷いです。
だって、私自身が真実を見極められない迷いの存在なんですもん。
親鸞聖人は、阿弥陀さまのおはたらきを「恵日」と喩えられました。
どこまでも明るく照らす太陽の光を喩えられています。
真っ暗なところをさまよっているような、迷いだと気付かずに迷っている私に、「南無阿弥陀仏」という真実の道があることを阿弥陀さまは知らせてくれております。
迷いの中にいる私を真実の道に進ませ、浄土に導こうと、常に照らし続けておられる阿弥陀さまです。
本当は、何も迷う必要なんてなかったですね。
疑いようのない「南無阿弥陀仏」を恵まれていますもんね。
「この向こうの山の南に阿波という国があるぞ」
大川郡五名山村字日下の鈴竹というところに、駒造という方がおられました。籠で庄松さんを招待して法座を開いた時、その中の一人が「地獄や極楽がありとはいえど、目に見えぬゆえ疑いが晴れぬ」と言うと、庄松さんは「この向こうの山の南に阿波という国があるぞ」と答えました。
見えないからないのではない、
「見えぬけれどもあるんだよ」ということを庄松さんは教えてくれています。きっと、この話の中の「向こうの山」が、私たちのはからい心なんでしょうね。
私は、このお話を味わう時に金子みすずさんの「星とたんぽぽ」という詩を思い出します。
海の小石のそのように夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、
だァまって、春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
私たちが阿弥陀さまと向かい合う時も、
「見えない」のか、「見ない」のか、
ともに考えたいですね。
浄土真宗のご法義も、こんな身近なもので喩えていただければわかりやすいですね
浄土真宗に知識は必要ありません。
庄松さんも知識を付けようとして聴聞していたのではないでしょう。
自然と身に付いていったのです。
そして、身近なものを通して阿弥陀さまのお心をよろこび、遊んでいたのだと思わされます。
「雑行雑修の鼠が出おったな今発願猫にとらしてやる」
南亀田村のある家での法座の時、座敷の天井に鼠が騒ぎ出すと、庄松さんは「雑行雑修の鼠が出おったな今発願猫にとらしてやる」と言われました。
「雑行雑修の鼠」とは、「自らの努力によって救われようとする」私たちのはからい心であり、「発願猫」とは、「あらゆるいのちをすくう」という阿弥陀さまのお誓いのことであります。
私のはからい心は、私の努力によって無くすものではありません。阿弥陀さまのおはたらきにより、自然と消えていくものです。
それにしても、猫を阿弥陀さまの誓いに喩えられるという視点が、やはり庄松さんは世間の思考では計り知れないところがありますね。
「庄松はここにおるぞ」
香川郡羽床村の津村恆治が「法性身とはなんのことでしょうか」と尋ねると、庄松さんはすぐに隠れて、「庄松はここにおるぞ」と、声のみで姿を見せませんでした。その時、皆あきれよろこびました。
「法性身」とは、色も形もない真如法性という、阿弥陀さまのさとりのすがたそのものであります。
その阿弥陀さまの私たちをすくい取ると言うはたらきのままが、南無阿弥陀仏となって私たちに到り届いております。
「庄松はここにおるぞ」の声は、「南無阿弥陀仏」となって届く阿弥陀さまのさとりのすがたそのものですよね。
私がいる場が、阿弥陀さまのお救いの場であることを実感させていただくところであります。
「摂取不捨とはこれなりこれなり」
庄松さんがある寺に逗留しておられた時、住職が「摂取不捨というはいかなる意味ぞ」と尋ねると、庄松さんは立ち上がって、大声をあげて手を広げました。住職は、庄松さんが大声あげてたったので、難しいことを尋ねたから、庄松さんの血の気が上がったと思い、その場を逃げると、後より住職を追いかけまわします。
住職が本堂の前から裏堂へ逃げると、庄松さんは裏堂へ追いかける。裏から表、表から裏、ついに奥へ逃げ、部屋へ隠れ、中より戸を引き閉め、「やれやれ、今後庄松に難しいことは問うまい、此処へ隠れたは知るまい」と思っていると、庄松さんの「住職、ここにおる」という声とともに、戸を開き、「摂取不捨とはこれなりこれなり」と言われました。住職は「逃げて逃げて逃げ回った我を、ついに逃げさせぬのが摂取不捨であったか」と、とてもよろこばれたそうです。
「摂取」の言葉に、親鸞聖人は次のように説明を加えられております。
摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。
摂はをさめとる、取は迎へとる
今回の庄松さんと住職のやりとりは、この説明通りであります。
「そなた一人を見捨てんぞ!」という、
阿弥陀さまの御心を、私事としてともに聞かせていただきましょう。
「それはおらがよろこぶと、人が拾って喜ぶのじゃ」
ある時、庄松さんと勝覚寺の住職で次のような会話がありました。
住職「往相回向のご利益を知っておるか」
庄松「彼方の御仕事を己が知ったことか」
住職「それでは還相回向のご利益は」
庄松「それはおらがよろこぶと、人が拾って喜ぶのじゃ」
私が信心をいただいたのも、阿弥陀さまの御心をよろこぶ方々のよろこびが、そのまま伝わってきたからです。
私たちが浄土真宗のみ教えを聞き、阿弥陀さまの御心を知らせていただくには様々なキッカケがあると思われます。
お葬式や法事という仏縁。あるいは近所の方々のよろこびが伝わってきたという方がおられるかも知れません。
決して生きている方が還相のはたらき(信後還相)をすることはありません。
阿弥陀さまのおはたらきにより浄土に生まれさせていただき、仏としてこの世界に還ってきて、無限の救済活動をさせていただく。
浄土に往くのも還るのも如来のはたらきであります。
浄土真宗のみ教えをよろこぶ先代の方々のお育てにより、今、私が出遇わせていただいているように、今度は私のよろこびが後世に伝わっていく。
そうして、「南無阿弥陀仏」の御心は途切れずに伝わってきました。
先代の感謝ももちろんですが、阿弥陀さまへの御恩を思わせていただき、何よりも、今、私が浄土真宗に出遇わせていただいている現実を味わいたいものであります。