
庄松さんは、
ただ純粋によろこんでいたように見えて、
み教えを大切にしていないお坊さんや、
お救いをよろこんでいないお坊さんを、
厳しく戒められた言動も
多く残されております。
きっと、
仏さまを遠くに置いて、
お坊さんとして活動している、
真似事僧侶を許せなかったのでしょう。
阿弥陀さまのお救いは他人事ではないことを知らされました。
お坊さん自身が、本当に阿弥陀さまのお救いをよろこんでおられるか、庄松さんは敏感に感じておられたようであります。
「人に伝えるため」に仏教を学ぶのではなく、「私の救い」として聞かせていただくてはなりません。
そのことを、私自身が大切にするため、私への戒めとして下の言動を掲載いたします。
京都一条の浄教寺脇谷覚行師の言葉
私も庄松に意見をせられ、この親心ということを気づかせて貰うたのである。
ある時、本山より讃岐の塩屋別院へ差し向けられたことがある。午後の法席がすんで間も無く、風呂の案内を受け、すぐ向かってみれば、手拭がないので、「持ってこいよ」と呼んだ。
ところが間のぬけたような男が来た。幸いと思い、「背中をすこし流してくれ」と頼んだら、物をも言わず、ごしごしこすりながら、「美味いものばかり喰らうて、籠に乗って歩き、此奴につくい奴じゃ。よう肥えとりくさる。鬼が食うたら甘かろうなぁ」と小言を言いながら流していた。
それを聞いて私は、「こんなことを言う者はないはずじゃが、ともかく土地の訛りがあることじゃで、確かなことはわかりかねる。一度聞いて見にゃならぬ」と思い、浴衣を着ながら涼んでいるところへ、今の男が前を通りた。
そこで呼び留めて、「先ほど、背中を流しながら言うていたことは、一寸わかりかねたで、なんと言うことじゃ。はっきり言うてみよ」と聞いた。
すると、「あなたは法を痩せさせて我が身を太らせておるから言うたのじゃ。今日の説教など、一言もこの私には徹しなんだ」と言ってくれた。
この一言が胸へ五寸釘を打たれたような心地がした。後にその男の名を聞いたら庄松であった。それより我身の出離と言うことに気づき、この心話ということが知られたのである。
ゆえに庄松の上京の節は、寺へ連れて帰り、相談をしたことじゃ。どうも庄松は常並の御方ではなかった。御聖教の御心のわからぬことを聞くと、「もう一遍聞かせ」と言うたが、二遍聞かせたら、「わかった」とすぐ話してくれた。
此世の事については、此上なしのバカであったが、仏法となったら、とても及ぶべきではなかった。」
脇谷覚行師は、非常に有名な布教使さまでした。
しかし、阿弥陀さまのお救いを人に伝えるという意識が強くなってしまい、「自分自身の救いとしてよろこぶ」法話ではなくなっていたのでしょう。
庄松さんの戒めによって、教化者として慢心していた自分自身の心に気付かされたのでありました。
他人に何かを勧める時も、自分自身が素晴らしいことと思っていなければ、絶対に伝わりませんよね。
阿弥陀さまのお救いが心の拠り所となっていなければ、他人に勧めても伝わっていくはずがありません。
この庄松さんの戒めを私への戒めだと受け取り、真剣に仏法と向き合っていかなくてはと、私自身、焦りまくりであります。
お寺で仏教のお話やお念仏の声が聞こえないことに、庄松さんは悲しく思われていたでしょう
お寺の中に仏法を全く感じず、お念仏の声も聞こえてこない。
もしも阿弥陀さまがいらっしゃるならあり得ない状況です。
仏法を聞く場であるお寺で、誰も仏法をよろこんでいない。
本当に阿弥陀さまがいらっしゃるか不安になってきますよね。
そんな不安のままに、庄松さんはお寺を訪ねました。
それが下に掲載するお話です。
「おらの疑いのおきたは、此の世で一番可愛いは妻や子じゃ。佛の仰せに嘘がないなら、妻や子を一番に手合わせにゃならぬ。寺へ来てみると佛法は無い。人に勧めるだけで、ないものをあるように教えておるのではないかと思われてならぬ。それでも本当にあるのであろうか」
夜十二時頃に、「開けてくれ開けてくれ」と言いながらある寺の門を叩く音が聞こえたので、お寺の住職は葬儀を言いに来たのかと思い門を開けてみると、いつも出入りしている庄松さんでした。
住職「こんな夜中に何の用で来たのか」
庄松「誰もおらぬか」
住職「この夜中に誰がおるものか、何の用で来た」
庄松「本当に誰もおらぬか、おればこのまま帰る、本当におらぬか」
住職「おらぬというたらおらぬ」
庄松「一寸御待ち。今晩不審でならぬことありてきた。他ではない。地獄極楽は本当にあるか聞かせてくれ」
住職「バカ言うな。仏説に嘘があるか。お前のような同行が何を言うのじゃ」
庄松「それは本当か。確かなところを聞かせてくれ。どうも疑いが晴れぬ」
住職「佛の仰せに嘘があるか。確かにある」
庄松「おらの疑いのおきたは、此の世で一番可愛いは妻や子じゃ。佛の仰せに嘘がないなら、妻や子を一番に手合わせにゃならぬ。寺へ来てみると佛法は無い。人に勧めるだけで、ないものをあるように教えておるのではないかと思われてならぬ。それでも本当にあるのであろうか」
そう言うと住職は、思いがけないことを指摘されたので、自身の不法義を恥じながら「庄松、勘弁してくれ。よう意見してくれた。心改め出離を求めるぞ」と慚愧しつつ喜ばれました。
庄松さんは本当に不安を感じていたのでしょうか?
何より阿弥陀さまの御心をよろこび続ける生涯を送られたのが庄松さんであります。
庄松さんは、不安だったのではなく、住職を戒めるために訪れたのではないでしょうか。
住職に、お願いだから、「お寺のものが中心となって、阿弥陀さまの御心をよろこんでおくれ」という庄松さんのメッセージのように感じます。
次の話で、そのことが更に明確にされています。
「寺の内職には信心をせよ」
ある寺にて、住職は銀細工、坊守は真田紐をうつのを見受けて、庄松さんは「寺の内職には信心をせよ」と言われました。
生計が成り立たないお寺が、現代は特に増えています。
浄土真宗のお寺は、過疎と呼ばれている場所にあることが多いです。今後、さらに兼業にお寺が増えていくでしょう。
ただ、おそらく副業の方が中心になってしまっては、余計にお寺では生計が成り立たなくなっていきます。
阿弥陀さまを心の拠り所として生きる方々が、副業をメインにすれば減っていく可能性が多くなります。
すると、お寺はただの建物であり、葬式仏教と呼ばれても何の否定もできません。
お寺目線の話はここまでにしておきます。
庄松さんは「信心をせよ」と仰いました。
これは、信心をいただいた上で、お寺本来の仕事である「布教活動をしておくれ」という戒めでしょう。
布教活動に精力を注ぎ込んだ上での副業なら、庄松さんは何も言わなかっただろうと思います。
阿弥陀さまの御心を聞かせていただき、「布教せずにおれない」という心持ちになりなさい!
そのような庄松さんのメッセージかも知れませんが、庄松さんにとっては、僧侶の信心に疑うときが多かったのでありましょう。
お寺内でケンカが起こることは、庄松さんにとって悲しいことであったようです
ケンカは必ず起こります。お互いが自己中心だから、ケンカは必ず起こります。
仏法を聞かせていただく中で、自分の痛ましさを知らされていきます。
気付けば自己中心に物事の判断をしていき、人との争いが絶えることはありません。
そんな私の痛ましさを知らされていきます。
お寺の中でケンカが起こることは、庄松さんにとって非常に悲しいことでありました。
「菩薩さんのケンカは、今が見始めじゃ」
庄松さんは、60歳前後の頃、木田郡のある寺に滞在して色々な御手伝いをしておられました。ある日、寺の住職と坊守が、何かの行き違いで騒がしく夫婦喧嘩を始めました。庄松さんはそれを見て「菩薩さんのケンカは、今が見始めじゃ」と言われました。
ケンカをする時は、自分を省みずに、相手の悪さばかり指摘するところから始まる場合が多いです。
自分の悲しさを知らされるはずの念仏者同士がケンカすることは悲しかったでしょうね。
「菩薩さんのケンカは、今が見始めじゃ!」
この言葉は、聞く人によって、「戒め」でもありますし、「お諭し」でもあります。
みなさまが言われたら、どのように感じるでしょうか?