小学生時代のお小遣いは100円でした。

当時、5円チョコっていう5円玉の形のチョコレートが近所の駄菓子屋さんにあったので、

えいかいえいかい

1ヶ月に20個も買えるやん!!

そうよろこんでいたのですが、サッカーの部活の帰りにジュースを買いたい僕にはどうしてもお小遣いが足りませんでした。

そこで親に頼み込んで家事を手伝ってお駄賃を貰うことにしました。

家事手伝いでお駄賃をもらう

100円がお小遣いの僕のお駄賃はなんと50円でした。

お手伝い2回でお小遣いと同じ額が稼げるんですよ。

えいかいえいかい

家中のお手伝いしたら大金持ちやんけ!

僕はそうよろこんでいたのですが、そんなにお手伝いの数はありませんよね。

休日は基本的に部活動だったので、学校から帰ってきてできることと言えば、

  1. 食後の皿洗い
  2. 風呂掃除

それくらいなんです。

しまいには、いつもと角度の違うリモコンの位置を少し直して50円ねだって怒られることもありました。

社会って厳しくないですね。

同じようなことを考えていたたかし君っていう少年の「お母さんの請求書」というお話があります。

お母さんの請求書

たかし君は僕が小学生の時と同じように、お小遣いが欲しくて困っていたんです。

「どうにかして、お小遣いをもらえないかなぁ」って迷っていて、一つの画期的な方法を思い付いたんです。

ある日曜日の朝、朝食の時間にたかし君は二階から降りてきて食卓に付き、静かにお母さんのお皿の横に一枚の紙を置きました。

お母さんは、その紙を読んで、一瞬不思議そうな顔をしましたが、すぐに穏やかな顔に戻って繰り返しその紙を読んだんです。

お母さんへのせいきゅう書

お使い代  100円
おそうじ代 200円
おるす番代 200円
合計    500円

読み終わった後、お母さんは何も言わずににっこり笑いました。

昼食の時、たかし君が二階から降りて食卓に着くと、お母さんはたかし君のお皿の横に500円を置きました。

たかし君はそれを見て、「よしよし」と心でよろこびました。

ところが、お金と一緒に小さな紙切れが置かれていました。

その紙には次のような内容が書かれていました。

たかしさんへのせいきゅう書

親切にしてあげた代     0円
病気の時に看病してあげた代 0円
洋服や靴やおもちゃ代    0円
食事代や部屋代       0円
合計            0円

たかし君はその手紙を繰り返し読みました。

すると、自然と涙が流れてきました。

たかし君は涙を拭いてお母さんの元に行き、500円を返してこう言いました。

「これからは請求書はなしで、何でも手伝わせてください」

自己中心な自分を思い続けてくれている親心

お母さんの優しさが、たかし君の心を揺り動かしました。

自己中心的な自分を責めるのではなく、それでも思ってくれている。

そんな親心がたかし君に届いた時、たかし君は自らの恥ずかしさを感じています。

でも、恥ずかしさだけではないでしょう。

そんな恥ずかしい自分を思ってくれている方がいる。

恥ずかしさとともに、絶対の安心に包まれているよろこびがあったことでしょう。