仏教では「恩」という言葉を大切にしているんです。

親鸞聖人も、阿弥陀さまのお育てに出遇われたよろこびを語られる場面でも、

仏法をお伝えくださったお師匠さまのご恩の深さを仰ぎます

ただ仏様のご恩の深いことを思うばかりであります

っていう意味の言葉で表現されております。

『教行信証 後序』

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をふ。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。

「恩」という言葉そのものには「めぐみ」という意味があるのですが、親鸞聖人は阿弥陀さまのお育て、諸師たちのお示しのご恩を恵まれたことを有難いことだとよろこばれるままに私たちにみ教えをお伝えくださった方だったんでしょうね。

そのよろこびが「恩徳讃」に示されていると味わうところです。

「恩徳讃」 〜返しきれないご恩の中で、力強く歩む人生〜

「恩」という漢字の成り立ち

「恩」という感じは「因」と「心」という漢字の組み合わせです。

今の私が生きている「因」(もと)を知る心のことなんです。

「因」という漢字には、大きな布団の上で大の字に安心して休んでいる様子をがあらわされていますよね。

その布団の下に「心」という漢字を付けて「恩」なんです。

つまり、私たちが生きているということは、様々な方の「心」(支えや優しさ)があったからです。

決して自分一人で成長することは誰もできません。

そんな、色々な方のめぐみ(恩)をよろこばせていただく意味が「恩」という漢字には含まれているんです。

運が悪いかどうか

「あなたは運がいいですか?」

パナソニックの創始者である松下幸之助さんは面接でそう質問されていたようです。

「運が悪かった」と答えた人は、どんなに優秀な人材でも落としていたそうです。様々な方の支えによって生かされていると実感しているならば、「運が悪かった」とは言えないですよね。

色々な苦難があるのが人生です。

でも、苦難に襲われた時に立ち直ることができたのは「人の支え」があったからです。

そのことを気付ける人生は本当に幸せな人生でしょうね。

堂々と「運がよかった!たくさんの人に支えられる人生だった!

そう思えるような人生観を持ちたいものです。

知恩 感恩 報恩

恩を知り、恩を感じ、恩に報いる。

恩を知ることがなければ、恩を心で感じることはできません。

恩を感じられないならば、その恩に応える生き方をしようと思うことはできません。

きっと、恩徳讃をよまれた親鸞聖人は恩を知り、恩を感じ、恩に報いるという人生を全うしたんでしょうね。

ただ、私たちの価値観と違うことがあります。

それは、阿弥陀さまの恩はいくら報いても返しきることができません。

返しきることのできないほどのご恩を賜っている尊さをお念仏称えながらあらゆる方とよろこび合いたいものです