
皆様の前でお話をしている時、緊張して心臓がバクバクしてしまう時があります。
でも、法話をしている時は安心なんです。
だって、静かにお話を聞いていただいているのに、勝手に僕が緊張しているんですよね。
仏様のお話をしている時に僕のことを攻撃しようと思っている方はいないですしね。
もしも、僕を攻撃しようと見ている方がおられたら、不安ばかりです。
まるで「あおり運転」されているように感じるんでしょうね。
あおり運転の怖さ
あおり運転についてはニュースを見ただけでも怖さが伝わってきますよね。
いつ被害にあってしまうかわからないので、乱暴な運転をされている方からは避けないといけませんよね。
張り合いを持とうとして一生後悔するような結果を招かないとも限りません。
すべての方を放っておかない阿弥陀さまのお話をしている私が言ってはダメですが、おかしな運転をされる方とは「関わらない方がいい」ですよね。
あおり運転をされる方には特徴的な性格があるそうです。
敵意帰属バイアス
あおり運転をする方の心理について調べてみると「敵意帰属バイアス」という言葉がよく出てきます。
「敵意帰属バイアス」とは、相手の普通の言動に「悪意や敵意があった」と感じてしまうことです。
道を歩いていて誰かにぶつかってしまった時「わざとぶつかってきやがって!」と感じることや、極論を言えば誰かと目があっただけで「睨んできやがった!」と感じることも敵意帰属バイアスに当てはまります。

僕も、法話中に皆様が優しい眼差しで見つめてくれているのに、緊張していると睨んでいるように感じることも「敵意帰属バイアス」が・・・というお話は置いておきましょう。
僕は、あおり運転に「敵意帰属バイアスは関係ないだろう!」って思っていました。
人を困らせてもいいという自己中心的な想いで、単なる自己満足のためにしていると思っていました。
しかし、茨城県で起きたあおり運転での事件で、容疑者は普通に走っている車のことを「前を走る(被害者の)車が遅くて妨害されたように感じ、あおり運転をした」と供述していたそうです。

「敵意帰属バイアス」も本当のことなのかも知れないなぁ
そう感じました。
あなたには「敵意帰属バイアス」はありませんか?
しかし、この「敵意帰属バイアス」は他人事ではありません。
「敵意帰属バイアス」は極端に敵意や悪意を感じることですが、無意識に相手を悪者にしてしまうのが私の本当のすがたでしょう。
相手は何も考えてなくても、話の内容が自分にとって都合の悪いことばかりだったら敵意や悪意を自己中心に感じてしまいます。
敵意帰属バイアスが全くない人はおそらく一人もいないでしょう。
でも、敵を作る人生って楽しくないですよね。
どうせ生きるなら笑いながら生きたいじゃないですか。
浄土真宗は、一緒に笑うよろこびを教えてくれる教えなんです。
浄土真宗のお説教はみんなで一つのお救いを聞けるから安心
自己中心に「敵意帰属バイアス」を感じてしまうかも知れません。
そんな私たちを同じように救おうと誓われたのが阿弥陀さまであります。
阿弥陀さまのお救いの前では敵はいないんです。
また、味方もいないんです。
敵や味方といった分別なくすべての命を見捨てないお救いです。
南無阿弥陀仏が溢れでるお互いの現実を今日もよろこばせていただきましょう。

今日も、あおり運転のように、皆様から「敵意帰属バイアス」を感じながらお取り次ぎする恥ずかしい私であります。