
「お坊さんの法話」って、
どのようなイメージでしょうか?
「むずかしいお話」
「おもしろくないお話」
そんなイメージをお持ちの方がおられるかも知れません。
話を聞くことや、
長い文章を読むことに、
疲れを感じる方もおられるでしょう。
ですので、
今ブログでは、
「一口法話」として、
主観的な文章を書いていきます。
みなさまといっしょに、
「阿弥陀さまがいてくれてよかったね」
そう思えたら素敵だなぁと思います。
合掌
お仏壇って、なぜあるのでしょうか?
みなさまは、そのような疑問を持ったことはありませんか?
お仏壇とは、阿弥陀さまのつくられたお浄土というさとりの世界をあらわしております。
「阿弥陀さまってどんな仏さまだろう?」
そのようなことを考える機会がなかなか無いのが、忙しい日々を生きる私たちであります。
そんな私たちが、亡き方を通して阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただく尊い場がお仏壇であります。
お仏壇を中心に、ご法義を大切にした心豊かな家庭生活を過ごせれば素敵だと思います。
浄土真宗でのお仏壇がある理由は、そこに集約されます。
でも、人によってお仏壇の捉え方が違うかも知れませんよね。
「お仏壇は、子どもの教育をする場です!」
「お仏壇は、亡くなった方を思い出すための場です!」
そのような言葉を聞くことがあります。
どうやら、お仏壇の中心は阿弥陀さまであるはずが、私たちの気持ちが中心に変わっているようであります。
お仏壇の前で思うことも千差万別であることに、お坊さんをしていたら気付かされます。
それでは、お仏壇の心得をお聞かせください。これも、その家のルールがある可能性がありますので人によって答えは様々でありましょう。
ちなみに、加茂仰順和上が「お仏壇に対する心得」を尋ねられた時、下の三つに分けて返答されました。
1、 お仏壇は、家庭における聖なる窓であり、朝な夕な礼拝することによって、おのづから、うやまい、つつしむこころが培われるものであります。すなわち、有難いから拝むとか、有難くないから、拝まないとかということではなく、拝みよりますと、有難くなるものです。
2、 まことにお仏壇の御前は、私自身の姿を知らせていただくお照の場所です。ここに坐らせていただきますと、自分の心が、高ぶり、怠けており、乱れていることを知らせていただきます。だから御給仕は形式であってはなりません。お灯明を点ずるのも、お華をお供えするのも、お香を薫ずるのも、お仏飯をお供えするのも、心を尽くしていたさねばなりません。
3、 お仏壇は、家では最も大切なところへ安置せねばなりません。如来は、家庭のご主人です。従って家庭は、如来の家であります。また自分の生活は、如来への御給仕であります。それゆえにわが家へ如来を安置するのではなく、如来の家へ私たちが置いていただいているのです。
『安心座談』より引用
この三つの返答はお仏壇の心得でありますが、ここからお仏壇の意義というものを知らされますよね。
この三つの返答を大切に、家庭内でも仏壇を中心とした生活をさせていただき、心安らかな生活を送ることができれば理想的だと思います。
お仏壇とは、それほどの場所であります!
今一度、家庭内でお仏壇の意義について話し合われても面白いのではないでしょうか?