
慎重に生きるのが日本人の性かも知れません。しかし、時には思いっきりを求められます。
そんな時に動き出す勇気を、今回のアドラーの言葉が教えてくれます。
勇気がない人は悲観主義。勇気がある人は楽観主義。リスクをわかった上で楽観主義を選んでいるのだ。
皆様はこの言葉からどのような印象を受けるでしょうか。
【楽観主義と悲観主義】どちらが行動的でしょう
一般的には、「楽観主義」という言葉はあまり良い意味では使われていないイメージがあります。
私自身、「楽観主義ではなくて、ちゃんと考えて行動せぇ」と色々な方に言われながら育ってきました。しかし、今回のアドラーの言葉では、「勇気がある人は楽観主義」とありますように、楽観主義がプラスの意味で捉えられているように感じられます。
アドラーは楽観主義について次のように説明されております。
楽観主義者は、性格の発達が全体としてまっすぐの方向を取る人のことである。彼らはあらゆる困難に勇敢に立ち向かい、深刻に受け止めない。
この説明から、「楽観主義」は私達と同じような捉え方をされていることがわかります。
また、「悲観主義」については次のように説明されております。
悲観的な世界観の勢力範囲の中で、彼らの眼差しは常に人生の影の面に向けられ、楽観主義者よりも人生の困難を意識し容易に勇気を失う。
最後に「楽観主義者よりも人生の困難を意識し容易に勇気を失う」と出ておりますが、この言葉から楽観主義との比較を感じることができます。
悲観主義者はアレコレ考えてしまうばかりで行動することができませんが、楽観主義者はスグに行動することができます。
物事を判断する時には慎重にならなければなりません。しかし、慎重と臆病は全く別物です。
慎重に物事を判断する中で臆病になっていないか。動き出す勇気を損なっていないかを自分に問うことを大切にしましょう。
【目的論】私たちの言動全てに目的があります
今回のアドラーの言葉は「目的論」の考え方と重なる部分があります。
悲観主義者の方が慎重になるのは致し方ないことですが、その時の本人の感情に焦点を当ててみましょう。
「動かない」という目的はないでしょうか。
慎重から臆病になってしまう時、無意識に動かない理由を探してしまいます。
一歩踏み出せば人生は変わるのに、「動けない」と言い訳してしまうこともあります。
悲観主義と言われる時こそ、自分自身の言動の目的を考えてみることも大切です。それだけで前向きな目的に向かう人生を歩めるのではないでしょうか。