「10円玉の価値」私にとって価値のあるもの。

インターネットで「ようこちゃんの10円玉」というお話を見つけました。

普通に感動するいいお話なのですが、何度も読んでいると浄土真宗の教えにも関わる要素があるように思いました。

えいかいえいかい

その人にとって本当に必要なものこそ価値があるんだなあ

そう感じました。

ようこちゃんの10円玉の内容

ようこちゃんの10円玉

ようこちゃんはある教会に預けられておりました。その教会では、親のいない子供や、親がいても子供を育てられない事情がある家庭の子、そして知的障害のある子を預かっていたそうです。

ようこちゃんはお母さんは亡くなっていて、お父さんは病床に入っており、少し知的障害があったのでその教会に預けられていました。

ようこちゃんが15歳になった時、ある試験が出されました。

ようこちゃんの目の前に、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉を差し出されて「どのお金が一番価値があるでしょうか?」と問題を出されました。

ようこちゃんは迷わずに「このお金が一番価値がある!」って10円玉を取りました。

先生は困った顔をして、「この中では、この500円玉が一番価値があるのよ」ってようこちゃんに教えました。

また後日、ようこちゃんに同じテストをしました。それでもようこちゃんは「これ!」って10円玉ばかりを取るのです。

困った指導員がようこちゃんに聞きました。

なんで10円玉ばかりを取るの?

するとようこちゃんは「このお金があったらお父さんとお話ができる」そう答えました。

実は、その教会には10円玉しか使えない公衆電話があって、ようこちゃんは、毎晩、10円玉を使ってお父さんと会話をするのが楽しみでした。

公衆電話は10円玉しか使えないので、10円玉以外のお金はようこちゃんにとっては価値はなかったんです。

※500円玉があったら10円玉50枚に両替できるやん!ってツッコミはやめてください。

ようこちゃんはお父さんの声を聴けるお金さえあればよかったんです。

一般的には500円玉の方が価値があるけど、ようこちゃんにとっては無意味なお金です。

これは浄土真宗の教えにも通じるものがあります。

立派な修行ができない私が賜る南無阿弥陀仏

仏になるための修行はたくさん説かれてあります。

でも、どこまでも自分中心から離れることのできない私には修行することはできません。

仏様を観ずることも説かれてますが、とても心を一つに仏様を観ずることはできません。

それでは私は救われないのでしょうか?

そんな私のためにお念仏一つを阿弥陀さまが選んでくださったから救われます。

立派な修行ができればいいですが、立派な修行ができない私にとって、そんな修行に価値を求められないんです。

阿弥陀さまが与えてくれた南無阿弥陀仏一つを称える行いこそが、私にとって最も価値のあるものであります。

えいかいえいかい

立派な修行のような500円玉よりも、一般的には価値が劣っているように見られる10円玉のようなお念仏こそが私に必要でした。

一生罪を作るものにお念仏を与える仏様の真意が説かれた『観無量寿経』はなかなか面白いです。