庄松さんが教えてくれた「子ども・若者ご縁づくり」

えいかい
「庄松さんが教えてくれた」という題名にしてますが、僕が庄松さんの言動のおかげで納得できたことを図々しくつぶやいてみます^^;

子ども・若者ご縁づくり」っていうのは、浄土真宗本願寺派によりはじめられた運動のことであります。

浄土真宗本願寺派のホームページでは、次のように説明されております。

「子ども・若者ご縁づくり」とは、「青少年教化活動」そのもののことです。

全寺院で推進している「キッズサンガ」をさらに展開すると共に、特に若者層(中学生・高校生・学生・社会人など)への働きかけを強めていこうとするものです。年齢や地域などそれぞれのおかれた状況を把握し、若者も手を合わせお念仏申すご縁を「つくり」、そのご縁を「つなぎ」、そして「深める」ことに取り組んでいきます。

ここで、「キッズサンガをさらに展開」と示されております。

キッズサンガ」って難しそうな名前ですよね。

横文字っぽいこの名前にも大切な意味があるのでつぶやきます。

「子ども・若者ご縁づくり」よりも、「キッズサンガ」という言葉の方が先だった!!

「キッズサンガ」とは、どのような運動のことなのでしょうか。

浄土真宗本願寺派のホームページでは、キッズサンガの説明も兼ねて、「子ども・若者ご縁づくり」についてさらに詳しく次のように説明されております。

キッズサンガは「ご縁のある大人たちが全ての子どもと接点を持ち子どもとともに阿弥陀さまのご縁に遇っていこう」と、浄土真宗本願寺派(宗派)が全寺院を挙げて2007年から始めた取り組みです。

2014年から若者層(中学生・高校生・学生・社会人など)へ働きかけを強めていくために、これまで「青少年教化活動」としていたものを「子ども・若者ご縁づくり」としたうえで、「キッズサンガをさらに」展開していこうと新たな歩みを始めました。

宗派では「子ども・若者ご縁づくり推進室」を開設し、全寺院を挙げて生まれたての赤ちゃんから、40歳未満の方々に「手を合わせ、お念仏申す人」になってもらうことを目標に、そのご縁を「つくり」、そのご縁を「つなぎ」、そして「深める」ことに取り組んでいます。

この「ご縁づくり」は「次世代と共に」ご縁に遇っていくことを大切にしています。

ここで「キッズサンガ」とは、

ご縁のある大人たちが全ての子どもと接点を持ち子どもとともに阿弥陀さまのご縁に遇っていこう

という運動であることを定義されております。

つまり、キッズサンガを実践するのはお坊さんだけに限らないんです。

浄土真宗のみ教えと何らかの縁のあるすべての方々で一緒にすべての子ども達と「阿弥陀さまのご縁に出遇っていきましょう!」っていうとっても前向きな運動であることがわかります。

「阿弥陀さまのご縁」って、どういう意味なんだろう・・・

実は、法話を聞かせていただくことも、合掌させていただくことも、お寺に参っていることも、すべてが阿弥陀さまのご縁であります。

すべてが南無阿弥陀仏に出遇わせていただくご縁であります。

今、私は、当たり前のように阿弥陀さまのお話を聞かせていただき、お念仏称えさせていただいておりますが、こんなに不思議なことってありません。

仏さまの方に向かうよりも、遊ぶことやお金儲けのことを思い悩むような生涯を送り、仏さまに背を向けて生きてきたのが私でありました。

そんな私が阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただいていること自体が、阿弥陀さまのおはたらきによるものであります。

いつも私と一緒にいてくれる、本当の人生の支えとなる阿弥陀さまのご縁をいただくと、「一人でも多くの方とよろこんでいきたい」そのような気持ちにさせていただけます。

そうして、お互いに阿弥陀さまのご縁をいただいた現実をよろこび合えるのが浄土真宗のお寺って場所の存在意義であります。

みんなが座る場所が広くなっている浄土真宗のお寺が、絶対的な居場所だと思います。
日頃の生活では苦しいことがあっても、浄土真宗のお寺では、全員が同じように笑い合えます。

 

お寺を通して人が平等にふれあうことができます

大人はテレビや新聞、子どもはゲームや宿題、そして携帯電話の普及に寄り、大人も子どもも区別なく同じ方向を向く時間も少ないのが現状だと思います。

現代では、そうなって当然な環境かも知れませんが、どんな時代になろうとも、お寺って場所は自然と阿弥陀さまの方向を向ける場所であります。

そのような浄土真宗のお寺に、お寺に関わりのある方々はもちろんのこと、浄土真宗のみ教えに縁のある方々も含め、阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただいたすべての大人で、すべての子ども達に「一緒に阿弥陀さまのご縁に遇っていこう!」という運動そのものが、本当のお寺の在り方であり、世代を超えてすべての方の笑顔を生んでくれると思えてなりません。

阿弥陀さまの救いの目当ては、すべてのいのちであります。

大人も子どもも、年齢も性別も関係ありません。

ならば、キッズサンガも対象を狭めるはずはありません。

子ども会などの限られたイベントだけをいうのでもありません。

大人と子どもが接するすべての機会が、「ともに阿弥陀さまのご縁に出遇っていこうよ!」というキッズサンガの実践の場と言えるでしょう。

つまり、「子ども・若者ご縁づくり」とは?

上に挙げた浄土真宗本願寺派の説明から抜粋しますと、

「子ども・若者ご縁づくり」とは、「青少年教化活動」そのもののことです。
全寺院で推進している「キッズサンガ」をさらに展開すると共に、特に若者層(中学生・高校生・学生・社会人など)への働きかけを強めていこうとするものです。


若者層(中学生・高校生・学生・社会人など)へ働きかけを強めていくために、これまで「青少年教化活動」としていたものを「子ども・若者ご縁づくり」としたうえで、「キッズサンガをさらに」展開していこうと新たな歩みを始めました。

ここから読み取れるのは、

キッズサンガを展開し、若者層への働きかけを明確にしたもの

ということであります。

しかし、浄土真宗本願寺派のホームページに掲載されている「子ども・若者ご縁づくり」の願いでは、次のように示されております。

「手を合わせお念仏申す人になってもらいたい」

この言葉を拝見した時、「ムムムっ!どういう意味だろう!」って僕は不思議に思っていたことがあります。

えいかい
キッズサンガの「ともに阿弥陀さまのご縁に出遇っていこう」と、子ども・若者ご縁づくりの「手を合わせお念仏申す人になってもらいたい」って、どうつながるんだろう・・・

勉強不足な僕はそうずっと思ってました。

ともに出遇う」と「なってもらいたい」は、意味的にも大きく違いますよね。

何が違うか。大人の立場が違います。

ともに出遇う」であるならば、子ども達と同じ目線で、ともに阿弥陀さまの方向を向こうという意味が伝わってきますが、「なってもらいたい」という言葉からは、どことなく子ども達に対して上から目線に聞こえてしまう気がするのは私だけでしょうか。

さらに、浄土真宗本願寺派の説明文でありますが、

宗派では「子ども・若者ご縁づくり推進室」を開設し、全寺院を挙げて生まれたての赤ちゃんから、40歳未満の方々に「手を合わせ、お念仏申す人」になってもらうことを目標に、そのご縁を「つくり」、そのご縁を「つなぎ」、そして「深める」ことに取り組んでいます。


この「ご縁づくり」は「次世代と共に」ご縁に遇っていくことを大切にしています。

という、

「手を合わせ、お念仏申す人」になってもらうことを目標に、そのご縁を「つくり」、そのご縁を「つなぎ」、そして「深める」ことに取り組んでいます。


この「ご縁づくり」は「次世代と共に」ご縁に遇っていくことを大切にしています。

先ほど挙げた二つのことが書かれているように感じておりました。

キャッチフレーズの大切さを実感させていただけます。

一般企業でも、キャッチフレーズや宣伝文句はとても大切にされています。一言で印象を残し、インパクトを与え、意味を通じさせる大切さを感じます。

お寺でもそうだと思います。

目指して行く方向性を役員の方々と話し合い、門信徒さまにもアンケートを取った上で、「いつでも寄れる場所」、「みんなの心のふるさと」のようなキャッチフレーズを付けたら、門信徒さまにとって、もっとお寺が身近になると思っております。

アンケートを取って、「みなさまで一緒にお寺を作っていきましょう」とした場合です。お寺関係者だけで決めたら、逆にお寺が遠い場所になるとも思っております。

「子ども・若者ご縁づくり」のキャッチフレーズから、私は、「なぜ二つのことを書いているの?」という疑問が湧いてきました。

しかし、そんな私の疑問を破ってくれたのが妙好人の庄松さんだったんです。

庄松さんが子ども達に阿弥陀さまの御心を伝えるためにしていたある言動が私のモヤモヤをスッキリさせてくれました。

そのシーンの庄松さんはとてもユニークですが、考えれば考えるほどに、「子ども・若者ご縁づくり」という運動も中心は阿弥陀さまだけど、「庄松さんの言動の中心はいつも阿弥陀さまだなぁ」と思わされます。

庄松さんの言動

その庄松さんの言動は、庄松さんが子ども達と遊ぶ時の光景であります。

「そのままたすくるぞ、そのままたすくるぞ」

庄松さんは、いつも子ども達に、「そのままたすくるぞ、そのままたすくるぞ」と言わして、それを聞いてよろこび、かならず子ども達にお菓子をあげていたそうであります。

阿弥陀さまは、私に向かって「こうしたら救ってやるぞ」、「お前を救うのにこんなに苦労したんだ」、「お前を救うためにこんなに時間がかかったんだ」ということを直接言っておられません。

むしろ、

「煩悩抱えたそのままのお前を、かならずお浄土に生まれゆく身にするぞ」

つまり、

そのままたすくるぞ

それが阿弥陀さまのお誓いであります。

庄松さんが子ども達に「そのままたすくるぞ」と言ってもらっていた時、阿弥陀さまの御心をそのまま伝えていたんですね。

さらに、ただ伝えるだけではなく子ども達の声そのものを阿弥陀さまの喚び声と受け取っておられたのでしょう。

だからこそ、お菓子をよろこんで与えていたのであります。

この庄松さんの言動が、

「子どもが仏法に触れるご縁を作ること」
「私自身が子どもとともに阿弥陀さまのご縁に触れること」

その二つを同時に実践されているのではないでしょうか。

二つのことは別ではなく、同じことだったんです。

「手を合わせ、お念仏申す人」になってもらいたいという願いのままに阿弥陀さまのご縁を伝える運動を実践することにより、私自身がより阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただく。

それが「子ども・若者ご縁づくり」だったのだと、庄松さんの言動から思い知ることができました。

世間では、何かと人と人を区別し傷つけ合うこともありますが、阿弥陀さまは区別しません。

お寺にご縁のある大人も、「子ども・若者」も、誰もが法のもとでは平等であります。

すべての方が同じように救われていく尊い存在だったと、浄土真宗のみ教えを聞かせていただきともに知らされ、ともに阿弥陀さまの方へ向き合掌するご縁が「子ども・若者ご縁づくり」であると言えるでしょう。

浄土真宗本願寺派八代目宗主の蓮如上人は、『御文章』というお手紙の中で、浄土真宗の開祖である親鸞聖人のお言葉を味わわれております。

故聖人の仰せには、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそ仰せられ候ひつれ。「そのゆゑは、如来の教法を十方衆生に説ききかしむるときは、ただ如来の御代官を申しつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。そのほかは、なにををしへて弟子といはんぞ」と仰せられつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。

親鸞聖人は、「私、親鸞は弟子を一人も持つ気はありません」と仰っておられました。その理由について、「浄土真宗のみ教えを伝えることは、ただ阿弥陀さまのお救いを讃えさせていただいているのであって、決して、私、親鸞が作ったみ教えを広めているのではありません。私が尊いと思ったみ教えを他の方とともによろこばせていただこうという気持ちなのです。だから、決して弟子とは言えません」と仰せになっておられます。親鸞聖人自身が、他の方とともに阿弥陀さまを仰ぐ立場におられました。

そして、蓮如上人が残されたお言葉に、み教えのもとでは誰もが平等であることを知らされます。

その言葉は、

これによりて、聖人は「御同朋・御同行」とこそ、かしづきて仰せられけり。

親鸞聖人は同じ浄土真宗のみ教えを聞かせていただく集いを「御同朋・御同行」と「かしづきて」仰せになっていたことを述べられております。

この「かしづきて」という言葉には、「心から大切にして。敬愛して」という意味があります。

同じように浄土真宗のみ教えを聞かせていただき、同じように「阿弥陀さまがいてくれてよかった」とよろこび合える仲間を心から大切に、敬いの気持ちで関わっておられた親鸞聖人のすがたが知らされます。

生きていると、私は、気付いたら人と人を区別して、善悪や優劣を付け合い、互いに傷つけ合うこともあります。

しかし、どんなに区別差別し合う私たちであろうと、そのすべての方々を同じように救おうとはたらき通しの阿弥陀さまでありました。

区別差別のなくならない私たちを「御同朋・御同行」たらしめて下さるみ教えをともに聞かせていただける。

「子ども・若者ご縁づくり」という運動を通して、私自身が、法の尊さを味わわせていただくべきだと思い知らされます。

庄松さんも「御同行御同朋」という言葉を、阿弥陀さまのお誓いあればこそのお言葉として味わっておられました。

「御の字まだまだ沢山付けてもいいわい」

ある人が「御開山が、こんな浅ましき奴に御同行御同朋などとはもったいない」と言うと、庄松さんは「何がもったいない。御の字まだまだ沢山付けてもいいわい。おらに付けたのならもったいないが、如来の御誓いに付けたのなら、なんぼつけてもよいわい」と言われました。

おらに付けたのならもったいないが、如来の御誓いに付けたのなら、なんぼつけてもよいわい

この言葉から、区別差別のなくならない私たちが、「ともに阿弥陀さまを心の拠り所とし、ともにお念仏称えて生きる仲間」たらしめられる阿弥陀さまの御心を味わっていきたいものです。

今日もまた、文章を作りながら阿弥陀さまのお育てに出遇わせていただきました。

なんまんだぶ。なんまんだぶ。

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