五濁悪時群生海 応信如来如実言 〜生きづらい世だからこそ、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただきましょう〜

五濁悪時群生海
応信如来如実言

五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。

五濁と言われるほどに生きづらいこの世を生きる方々は、お釈迦さまの真実のみ教えを信じるべきであります。

「生きづらさ」を抱えながら、歯を食いしばりながら、毎日を精一杯生きなければなりません。

夢や目標を持つ人生を歩んでいたはずが、その夢や目標が「生活が良くなるためのもの」になっていることも多いのではないでしょうか。

毎日を笑って楽しく生きるのを目標にするのではなく、生活を良くすることが目標であるならば、生きている意味がわかりません。

それほど、「生きづらい」世界を、生きているのだと感じます。

そんな私たちの住む世界を「五濁」と表現されているのですが、この言葉は、『仏説阿弥陀経』というお経に出てまいります。

浄土真宗のほとんどのお経本には『仏説阿弥陀経』というお経があります

ほとんどの浄土真宗のお経本に掲載されております『仏説阿弥陀経』というお経があります。

月参りや法事などでお勤めされることも多く、浄土真宗の御門徒さまにとっては慣れ親しまれているお経でしょう。

その『仏説阿弥陀経』に、「正信念仏偈」の今回の場面について次のように説かれております。

釈迦牟尼仏 能為甚難 希有之事 能於娑婆国土 五濁悪世 劫濁 見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁中 得阿耨多羅 三藐三菩提 為諸衆生 説是一切世間 難信之法

釋迦牟尼仏(お釈迦さま)は、世にもまれな難しく尊い行を成しとげられました。
娑婆世界は、五濁悪世と表現されるほど、さまざまな濁りに満ちております。
汚れきった時代の中であり、思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、その寿命はしだいに短くなります。
そのような中にありながら、お釈迦さまは、この上ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになられたのであります。

ここで「五濁悪世」と示されておりますが、「五濁」とは、この世のありさまを示された言葉であります。

劫濁 ・・・時代のけがれ
戦争や疫病が増大。環境問題も深刻

見濁 ・・・思想の乱れ
邪な思想や見解、自己中心な考えが多くなる。

煩悩濁・・・煩悩が盛んになること
貪り、怒り、愚かさの中で悪徳が増える

衆生濁・・・衆生の資質が低下すること
人の心身の素質や能力が低下する

命濁 ・・・衆生のいのちが軽くなること
次第に短くなり、最後には10歳になる

このような意味でありますが、この五濁が満ちた世を「五濁悪世」といい、その時代を「五濁悪時」といいます。

ゆえに「正信念仏偈」において私たちの時代を「五濁悪時」と表現されているのであります。

なお、『仏説阿弥陀経』では、

舎利弗 若有善男子 善女人 聞説阿弥陀仏 執持名号 若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不乱 其人臨命終時 阿弥陀仏 与諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏 極楽国土

舎利弗よ、もしもあらゆる者が、お浄土に生まれたいという想いから、名号南無阿弥陀仏をあるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心に思いを乱さず、心に留めて称えるならば、その人が命を終えようとする時、阿弥陀さまが多くの聖者たちとともにあらわれてくださります。
そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀さまの極楽世界に生れることができます。

と、念仏を励むことにより、いのち終えようとする時に、阿弥陀さまがあらわれて、お浄土へ往生すると説かれております。

しかし、ここで注目したいのが、

上に挙げた五濁の引用箇所でお釈迦さまが五濁悪世にあらわれ、「難信之法」を説かれたと示されております。

『仏説阿弥陀経』が、念仏という行だけを説くためのお経ならば、このような表現をする必要はありませんよね。

『仏説無量寿経』に、「この経を聞きて信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん」という言葉が出てまいります。

この内容と、『仏説阿弥陀経』の内容を、親鸞聖人は同じものであると見られました。

親鸞聖人の著された『唯信鈔文意』では、次のように述べられております。

釈迦牟尼如来は、五濁悪世に出でてこの難信の法を行じて無上涅槃にいたると説きたまふ。さてこの智慧の名号を濁悪の衆生にあたへたまふとのたまへり。

『仏説阿弥陀経』では、名号を称え励むことが説かれておりますが、ここでは「智慧の名号」をあたえると述べられております。

つまり、名号とは阿弥陀さまより授けられたものであり「私が励む」という自力のはからいを説かれているのではありません。『仏説無量寿経』に示されている他力のおはたらきであります。

ゆえに、『仏説阿弥陀経』に説かれる「難信之法」とは、本願他力の法であり、他力の念仏を指すことがわかります。

また、親鸞聖人は「正信念仏偈」で私たちのことを「群生海」と示されております。この「群生」とは、「衆生」と同義でありますので、生きとし生けるもののことです。

そのすがたは煩悩が底無しに深く、迷いの広さは果てしないことを海にたとえて「群生の海」と懺悔されたのであります。ゆえに、この言葉で煩悩の無限性を表現されたのでしょう。

如来如実言」とは、お釈迦様の説かれたまことの教えであり、すべてのいのちをすくいとろうという阿弥陀さまの本願の教えのことであります。

親鸞聖人は「応信」という言葉をつけて、「応信如来如実言」と示されました。

「救われようのないものを救おう」という本願を説かれるお釈迦さまの経説を信じようと人々に勧められるとともに、この道しか助かる方法がないことを、時代を超えて私たちに切なく訴えられているのだと捉えるべきであります。

親鸞聖人がお讃えくださった「正信念仏偈」のお言葉のままに、お釈迦さまの本意である阿弥陀さまのお救いを聞かせていただき、南無阿弥陀仏をもうさせていただく生涯をこれからも共に歩ませていただきましょう。

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