庄松さんはいのちを終えるその時まで、阿弥陀さまのお救いをよろこばれておりました。

庄松さんは元気な言動が多いですが、

臨終(いのちを終えていく場面)でも、

ありがたさと人間らしさを感じられる

言動が多く残っております。

そのような言動の数々から、

「いのちを終えていく」という、

誰もが経験することについて、

みなさまと考えられればと思います。

阿弥陀さまの出遇いをいただき、いのちの終わりは「仏のいのちを賜るご縁」だと知らされました。

「石の下には居らぬぞ居らぬぞ」

石田村の市蔵同行が庄松さんの見舞いに来て、「同行が死んだら墓を建てて遣わしましょう」と言うと、庄松さんは「石の下には居らぬぞ居らぬぞ」と返されました。

庄松さんが亡くなりそうな時、庄松さんが亡くなった後のことを考えて、周囲の方々は心配しておりました。

それはなぜか?

庄松さんは結婚していなかったので、お葬式やお墓、法事といった亡くなった後のことをしてくれる人がいなかったのであります。

そこで、近所の方々で話し合い、庄松さんのお墓を作ろうということになりました。

そのことを庄松さんに伝えると、

石の下には居らぬぞ居らぬぞ」と返されました。

ここでの庄松さんは、「石の下にいない」ことを伝えたかったのではありません。

仏のいのちを賜る」ことを伝えたかったのでしょう。

阿弥陀さまのおはたらきにより、浄土に往かせていただき、仏となって、生きとし生けるいのちが「南無阿弥陀仏」を称えるご縁となるように、この世界に還らせていただき、無限の救済活動をさせていただく。

死んだら石の下に眠るのではなく、

「南無阿弥陀仏」と一つにさせていただくんだ!

そのような庄松さんの力強さを私は感じます。

庄松さんのお墓って、とっても落ち着く雰囲気ですよ

今、香川県の小砂という地域に庄松さんのお墓が建てられていますが、そのお墓の前で合掌していると、

庄松さんが「石の下には居らぬぞ居らぬぞ」と声をかけてくれているようで爽やかな気持ちになります。

お墓とは、亡くなった方のいのちを通して、私が仏さまのご縁に出遇わせていただく場であることを実感させられます。

そのことについては、別のページでつぶやいてみました。

亡くなった方のために購入したお仏壇とお墓は、私のためにあるんだったんだ!

お墓は怖い場所じゃないんですから、デート場所にいかがかしら??笑 

「よろこびどころか、苦しくておれぬは」

ある友同行が、庄松さんの臨終が真近になっている所へ行き、「よろこんでおるか」と言うと、庄松さんは「よろこびどころか、苦しくておれぬは」と言われました。

浄土に生まれることに疑いがなくても、死の苦しさから避けることはできません。

苦しくて居れぬ」という、庄松さんの人間らしい一面が、私は個人的に好きです。

「御文章」に示されている蓮如様のお説教を、私の救いとして聞かせていただく

「あぁ、じょうぶじゃ、じょうぶじゃ」

庄松さんも臨終が近くなった時、眷属の者や同行たちが見舞いに来ると、「五劫思惟の御文章を拝読して聞かせてくれ」と、たびたび拝読させて、庄松さんはそれを聞いて、「あぁ、じょうぶじゃ、じょうぶじゃ」とよろこばれました。

「五劫思惟の御文章」とは、五帖八通目の『御文章』です。

全文をここに掲載してみましょう。

それ、五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願をたてましまして、「まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまゐらせて、もろもろの雑行をすてて、一向一心に弥陀をたのまん衆生をたすけずんば、われ正覚取らじ」と誓ひたまひて、南無阿弥陀仏と成りまします。
これすなはちわれらがやすく極楽に往生すべきいはれなりとしるべし。
されば南無阿弥陀仏の六字のこころは、一切衆生の報土に往生すべきすがたなり。
このゆゑに南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のわれらをたすけたまへるこころなり。
このゆゑに「南無」の二字は、衆生の弥陀如来にむかひたてまつりて後生たすけたまへと申すこころなるべし。かやうに弥陀をたのむ人をもらさずすくひたまふこころこそ、「阿弥陀仏」の四字のこころにてありけりとおもふべきものなり。
これによりて、いかなる十悪・五逆、五障・三従の女人なりとも、もろもろの雑行をすてて、ひたすら後生たすけたまへとたのまん人をば、たとへば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけたまふべし。
このおもむきを疑なく信ぜん輩は、真実の弥陀の浄土に往生すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

非常に短いですが、「私を救うために」阿弥陀さまが修行されたことや、「南無阿弥陀仏」となって私に到り届いていること。そして、その阿弥陀さまのお救い間違いなしという信心ひとつで救われてゆくことが示されております。

特に、「みなことごとくもらさずたすけたまふ」という力強い言葉は、いのちを終える直前の庄松さんを支えたのではないでしょうか。

臨終間近に、阿弥陀さまのすくいを確認していかれる庄松さんでした。

庄松さんは、いのちを終えるその時まで、阿弥陀さまのお救いを伝えておられました

「聖教は読み破れとあるからは、引っ張り回るのがよいのじゃ」

庄松さんが年老いて、遠方にも行けなくなっていた時も、あらゆる場所の同行が籠を持って迎えに来ていました。同行が「御法座をたてて貰う」と言うと、眷属は「叔父も年がよりて苦しいのに、もう引っ張り回らねば良い」と言いましたが、庄松さんは「聖教は読み破れとあるからは、引っ張り回るのがよいのじゃ」と言われました。

自分のすがたを聖教に喩え、いのちを終えていく時まで、み教えを伝える活動を続けていたのが庄松さんでありました。

きっと、「誰かに伝えるため」ではなく、庄松さん自体が、「最期の最期までよろこんでいきたい」という想いのままに布教活動を実践されていたのでしょう。

そして、そのような庄松さんのすがたは現在も語り継がれております。

臨終の際に、強い苦しさもありましたが、その中で阿弥陀さまに抱かれているんだという、安心感の中にいのちを終えていったのが庄松さんであり、今も「南無阿弥陀仏」のご縁となって、私にはたらき続けておられるんですね。

臨終の瞬間まで、安心させてくれる阿弥陀さまの御心に出遇わせていただいて、お互いに本当に良かったですよね。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m