香川県高松市の稱讃寺へお参りに行ってきました。迫力のあるお勤めと、楽しくためになる講演で大満足でした!

香川県高松市大野にあります稱讃寺の報恩講法要へお参りに行ってきました。

 

報恩講法要って難しい名前ですよね。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の法事と捉えていただければと思います。

浄土真宗で最も大切に勤められている法要(仏様のお話を聞くご縁)のことであります。

たくさんの楽器を使ったお勤めはとっても迫力があります。

時間が取れる方は稱讃寺へお参りに行くことをお勧め致します。

 

稱讃寺でのお勤めは迫力があったのと同様に、お勤めの後の講演も、楽しくためになるものでした。

稱讃寺での講演?

報恩講の御講師は、多くの仏教関係の書物を書かれているひろさちや先生でした。

僕がお参りに行った時は、ひろさちや先生の一方的な講演ではなく、住職の瑞田先生による質問をひろさちや先生が答えていく流れでした。

えいかい
ひろさちや先生と瑞田先生での言葉のかけあいは、漫才みたいで面白い場面もありました。笑

ひろさちや先生のお話の内容

ひろさちや先生のお話は、四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)という仏教の根本となる教義の一つひとつを難しい言葉を使わずに説明されていたり、幅広いものでありました。

その中でも、今回は特に、講演の途中で瑞田先生がひろさちや先生の書物に関する質問をされていたのもあり、「アホになる」に焦点が当てられた講演内容になっておりました。

えいかい
全体的に「アホになる」という意味と内容になりましたが、難しい言葉がほとんど使われませんでした。

仏教のみ教えを頭で理解し、体感しているならば、難しい言葉を使わなくても自然と言葉が出てくるんだなぁっと感じました。

ちなみに、今回紹介された本は、次のような内容です。

アホになる

「アホ」って正確にはどういう意味なのでしょうか。

Wikipediaでは次のように示されております。

阿呆(あほう、あほ)とは、日本語で愚かであることを指摘する罵倒語、侮蔑語、俗語。

阿呆 – Wikipediaより引用

確かに「アホ」とは、一般的には悪口の意味を連想される方が多いでしょう。

謎の人
あんた、アホだね!

って急に言われたら「???」という感情とともに、なぜかイラっとするのではないでしょうか。

しかし、ひろさちや先生の仰る「アホ」とは他人から自分への悪口を意味するものではありません。

えいかい
仏教が教えてくれる現代人が忘れている生き方だと思いました。

人生はどうしようもならない

仏教での苦は四苦八苦と表現されます。

細かく、でも簡潔に説明すると次のようになります。

四苦八苦

四苦


  • 生まれてくること

  • 老いてゆくこと

  • 病気になること

  • 死ぬことへの恐怖やその先の不安

残りの四苦

  • 愛別離苦
    愛する方と離ればなれになってしまう
  • 怨憎会苦
    怨み憎んでいる方に会わなくてはならない
  • 求不得苦
    求めても得られないこと
  • 五蘊盛苦
    肉体と精神が思いとおりにならない

これらの「苦」は私たちの生活での「苦」とは意味が異なっております。

私たちの苦は「生活苦」ですが、仏教での苦は「思い通りにならない」ことであります。

「思い通りにならない」のが人生なのに、「思い通りにしたい」と悩んでいる私たちのすがたそのものが「苦」であります。

えいかい
ひろさちや先生の言葉を聞いていると、「思い通りにならないから仕方ない時もある」という人生の大切さを知らされました

アホの生き方

ひろさちや先生は「アホ」と表現されましたが、「悩む必要のない人生」と僕は感じました。

とは言っても、人生は悩むものです。

金銭的にも、人間関係でも、悩みのタネは幾らでもあります。

すべての悩みから避けることはできないでしょう。

ただ、「悩む」だけではなく「思い通りにいかないのが人生だから仕方ない」と知らされて生きることが、より力強く前を向いて生きる力を与えてくれるのではないでしょうか。

引きずって苦しんだり、誰にも打ち明けられずに独りで悩むのではなく、「思い通りにはいかないもんね」と受け取れる心が、私たちが生きる力を与えてくれます。

そんなお話を聞ける稱讃寺はいっぱいの人でした。

えいかい
「仏教は今を生きる私たちの生き方を教えてくれている」ということを改めて知らされたご縁でした。

稱讃寺はこちらです

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