ある牛丼屋さんで考えたこと

住んでいるところから離れた県外で葬儀のご縁があるときがあります。

葬儀でのお勤めの後、一緒に火葬場に行きお勤めします。

それから、初七日の法要を同日にすることが多いのですが、御遺体をお骨にするまで2時間ほど時間が空くことがあります。

初七日の法要は、正式には還骨勤行といいます

基本的に県外での葬儀のご縁では、その時間は葬儀社で待機することが多いのですが、その日は初七日の法要の後に急ぎの用事がありましたので、初七日の法要までに食事をしようと思いました。

当然でありますが、着替えがありませんので、お坊さんの格好のままで飲食店に入ります。

その日は、ある全国チェーンの牛丼屋さんに入りました。

この日は牛丼屋さんで色々なことを考えさせられました

お坊さんの格好で入ると、いつもとは違う周囲の方々の視線を感じます。

そんな時に卑怯な私のすがたを感じます。

なぜ卑怯か?

お坊さんの格好の時に皆様の視線を感じると、自然と背筋が伸びるんです。

すると・・・

自然と言葉遣いが綺麗になるんです。

普段からそうしないといけませんよね。

外見だけ立派に繕う卑怯な私だと思わされます。

元々は、そのようなことすら思っておりませんでした。

そう思うようになったキッカケが親鸞聖人の和歌であります。

外道(げどう)・梵士(ぼんじ)・尼乾志(にけんし)に
こころはかはらぬものとして
如来の法衣をつねにきて
一切鬼神をあがむめり

お坊さんの衣を着て、仏教のみ教えを聞かせていただく生活をしていない私のすがた戒められておられます。

私が卑怯って思わされたのは、この和歌の「如来の法衣」という言葉です。

本当に「如来の法衣」(仏さまの衣)という心をいただいているならば、衣を着た時だけ背筋が伸びるのはおかしいことであります。

着ていようが、着てなかろうが、仏さまのお話をさせていただく者としての責任感を持って生きないといけませんよね。

自分のすがたを知らされるとき、

本当に恥ずかしいことばかりであります。

ってお話は置いといて・・・

その牛丼屋のカウンターに座りました。

すると店員さんがお水を持ってきて、

満面の笑顔で、こう言ってくれました。

「メニューが決まったらお知らせください」

だから私も笑顔で、それはそれは丁寧に、

「ありがとうございます。なんまんだぶ」

そう返事をしました。

私、飲食店で料理を選ぶ時は、かならず財布の中身を先に確認するようにしております。

その癖はお坊さんの格好をしても直りません。

財布の中を見て、少しビックリすることがありました

その日は、「この、わさび山かけ牛丼が食べたい」と思いながら財布を見たら、中身は113円でありました。

心の中で「やばいやばいやばいやばい」と思いつつ、メニューを見たら、とても喜ばしいことがありました。

なんと・・・

おしんこが80円だったんです!

これを注文しようと思い、店員さんを呼んで言いました。

すいません、おしんこを一つください。なんまんだぶ」

この言葉を言った時の店員さんの表情、そして横にいたカップルの驚いた顔が忘れられません。

おそらく、修行僧と思われたのでしょうか。

私は、おしんこを時間をかけて、音を立てずに食べました。

すると、不思議でしたね。

横で話していたカップルもシーンとしながら牛丼を食べておりました。

私の注文一つでこんなに気まずい雰囲気を作ってしまうとは・・・

この私の行動は、浄土真宗のお坊さんとしてあまり好ましくない状況のように、最近は思います。

世間から離れて修行するのでも断食するのでもありません。

世間の中で、みなさまと一緒に阿弥陀さまのご縁に出遇っていこうと実践させていただくのが浄土真宗のお坊さんであります。

だって、阿弥陀さまは「修行しないと救いません」とは仰っておりません。

救いに条件がないからこそ、もっと自由に、でも、

私を間違いなく救い取る阿弥陀さまの御心に触れさせていただきつつ、私のすがたを恥じらい、私を放っておかない阿弥陀さまの御心をよろこぶ生涯を送らせていただく。

それこそが、決して無くなることのない本当の人生の意味であります。

そのような気持ちを恵んでくださり、本当にありがとうございます。

なんまんだぶ。なんまんだぶ。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m