帰敬式

ここに掲載しますのは、庄松さんの中で、おそらく最も知られている言動であります。

この言動の中に、

  • 「誰が相手であっても怯える様子のないすがた」
  • 「仏法を中心としているからこそ、力強いすがた」
  • 「阿弥陀さまがいなければ地獄行きである人間のすがた」

そして、
阿弥陀さまより信心を賜ったからといって、目に見えるような変化はない」そのように言いのける庄松さんのすがた

そのような、庄松さんのすべてが込められております。

帰敬式とは、仏さまのお弟子として法名をいただく大切な儀式であります

「帰敬式」と言いますのは、別名では「おかみそり」と言われております。

本山(浄土真宗本願寺派では本願寺)の御門主さまの前で、仏さまの弟子として生涯を全うする決意を表明し、法名(仏さまの弟子としての名前)を授かる儀式であります。

「戒名」と勘違いされやすいですが、浄土真宗では「戒名」という言葉は用いません。

意味合いも全く異なっております。

詳しいことについては、下のページでつぶやいてみましたので、よろしければご覧下さい。

浄土真宗では戒名ではなく法名と言います。生きている間に授かりましょう!

法名を授かるための「帰敬式」に庄松さんが参った時のお話です

庄松さんが本山(京都の興正寺)へ初めて参った時、5、6人の同行に連れてお参りし、帰敬式を共に受けられました。
門主の本寂上人が剃刀を順番に行っていったのですが、庄松さんの順を終わらせて次の人へ移ろうとすると、本寂上人の法衣の袖を引き止め、

「兄貴、覚悟はよいか」

そのように申しました。
帰敬式が終わると、本寂上人は「今、我が衣を引っ張った同行を呼べ」と取り次ぎ役へ命令しました。
取り次ぎ役は、多くの同行の中に出てきて、「今、大善知識の法衣を引っ張りた同行はどこにおるか。御前へ出られよとの仰せじゃ」と言うと、庄松さんは平気な顔をしていたのですが、一緒に来た同行たちは、「ああ、すまんことをした。こんなことなら連れてこなければよかった。こんな人を残して帰ることもならず致し方ない。我々より御許しを願うより道はない」と思い、取り次ぎ役に「誠に恐れ入りますが、此の者はバカであります。一文二文の銭さえ数えも知らぬ者ゆえ、どうぞ御慈悲で御許しを願う」と言うと、「そうか」と引き返し、取り次ぎ役はその事をお伝えしたのですが、「いや、どうでもよい、一度ここへ連れてこいよ」と本寂上人は命令されました。
そして庄松さんは取り次ぎ役について本寂上人の前にやってきました。
そこで庄松さんは礼儀作法も知らないので、べったりあぐらをかいて座ると本寂上人から、「今、我が衣の袖を引っ張ったのはそなたであったか」
庄松「へぇ、おらであった」
本寂「何と思う心から引っ張った」
庄松「赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄逃れることならぬで、後生の覚悟はようかと思うていうた」
本寂「さぁその心持ちが聞きたいため汝を呼んだ。敬ってくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ。よく意見してくれた。併し汝は信をいただいたか」
庄松「へぇ頂きました」
本寂「其の得られたすがたを一言もうせ」
庄松「なんともない」
本寂「それで後生の覚悟はよいか」
庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる。我の仕事じゃなし。我に聞いたとてわかるものか」
本寂上人は、庄松さんの答えを聞いて満足し、「弥陀を頼むというもそれより他はない。多くは我が機をたのみてならぬ。お前は正直な男じゃ。今日は兄弟の杯をするぞよ」と申され、その日に一緒に酒を飲み交わし、その日以来、庄松さんは本寂上人のことを「あにき、あにき」と慕われたそうであります。

 

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