庄松さんは人を諭し戒めされることもありました

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庄松さんは、

周囲の方々に対して、

「こういう風にしてくれ!」
「こうするのはやめてくれんか!」

そのような思いから戒めれる言動も多くあります。

そのような言動のひとつひとつが、

現代の私たちととても被ります。

これも大切なことですので、ここに掲載いたします。

私たちの苦悩の根本は阿弥陀さまに解決していただいております。ですので、祈る必要も神棚も必要ありません。

「二心を見つけた見つけた」

庄松さんが坂出村の阿田氏の家にいた時、そこの主人は御法義を有難くいただいておりましたが、この世界での幸福を願おうとする心からは離れられませんでした。ある時、庄松さんは祈祷の棚飾りがあるのを見つけ、「二心を見つけた見つけた」と言われたそうです。

「暇をやりても内縁は切れぬぞ切れぬぞ」

阿田氏は庄松さんに諭されて、すぐに祈祷の棚飾りを取り外しました。しかし、取り外したことが気になっていたら、庄松さんは「暇をやりても内縁は切れぬぞ切れぬぞ」と再び諭されました。

上の二つの言動は、「庄松ありのままの記」の中では別々に掲載されておりますが、内容的には続いております。

家に仏壇と神棚の二つがあることを、庄松さんは「二心を見つけた見つけた」と戒め、、ただ阿弥陀さまだけをたよりにすることを勧め、その通りに同行は神棚を外しました。

すると今度は、神棚を外したことが気になってきます。

その同行に、庄松さんは再び、「暇をやりても内縁は切れぬぞ切れぬぞ」と、「離れることのできない凡夫の心」について諭されました。

この話は、同感の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

私は、「神棚を外したことが気になる」のではなく、「生活習慣が変わったことが落ち着かない」という人間の心理を強く感じております。

でも、それは阿弥陀さまの御心を聞かせていただいていないからでありましょう。

お聴聞を続けると、私の人生の指標として浄土真宗のみ教えがあることを知らされます。

その真実を気付かされたら、自ずから二心は無くなってくるでしょう。

そのようなことを、庄松さんは伝えたかったのでしょう。

阿弥陀さまから見た自分自身のすがたを知らされつつ生きておられたのが庄松さんでありました

「御本尊がものを仰せられたら、お前らは一時もここに生きておられぬ」

大川郡某寺の住職と庄松さんの二人で次のような会話がありました。
住職「わが本堂の御本尊は、生きてござろうか」
庄松「生きとる生きとる」
住職「生きてあらっしゃっても、ものを言わぬではないか」
庄松「御本尊がものを仰せられたら、お前らは一時もここに生きておられぬ」

阿弥陀さまから見た私のすがた。

つまり、阿弥陀さまが放っておけなかった「煩悩だらけの私のすがた」とは、いかなるものなのでしょうか。

自身の罪悪性を知らされたら生きていけないほど罪を作り続ける存在なのでしょう。

そのような私のすがたを阿弥陀さまから直接知らされるのは、非常に恐ろしいことですよね。

そして、今回のお話では、私は自分自身の問題として身に刺さる思いがします。

それは、上の言動にありますように、寺院の住職という立場でありながら「阿弥陀さまなんか存在しないだろう」という図々しい態度です。

これほど悲しいことはないでしょう。

私自身の考えでありますが、住職が阿弥陀さまを遠くに置くお寺は存在価値すら感じません。

このような話を拝見すると、非常に悲しく感じます。

庄松さんも悲しさがあったのかも知れません。

或いは、寺の住職という立場でありながら阿弥陀さまの存在を題材に庄松さんをからかう態度に怒りの感情があったのかも知れません。

庄松さんをからかう怒りではなく、阿弥陀さまの存在を題材にすることの怒りであります。

阿弥陀さまとは色も形もない、私を救うというはたらきそのものであります。

そして、あらゆる手立てを持って私にかかりっきりであります。

その証拠が「南無阿弥陀仏」と私の口からこぼれ出る現実です。

言い換えますと、「南無阿弥陀仏」となって私とご一緒くださっておられるのが阿弥陀さまであります。

それでも信じられないという心を持つのならば、阿弥陀さまの存在を疑うのではなく、私の疑い心を恥じるべきであります。むしろ、そのような私の心を知らされていくのが浄土真宗のみ教えを聞かせていただく生活であります。

これは、私自身への戒めの文章です。

本来なら地獄行きの私がすくわれていく唯一つの真実を、そのまま受け取らせていただきましょう。

次の話からも、そのことをともに味わってみましょう。

「お前たちが落ちてゆく真似じゃ、真似じゃ。」

十川村光清寺にて、庄松さんが子ども達のお守りをしながら遊んでおられた時のお話です。
庄松さんが子ども達と遊びながら逆立ちをしていたのを、そのお寺の役員さん達が見つけて、「あれあれ、同行が軽業をやらかしておるぞ」と笑い、からかうと、庄松さんは「お前たちが落ちてゆく真似じゃ、真似じゃ。」と言われました。

本来ならば地獄行きの私を、「決して落とさんぞ」と抱いて抱えて浄土へ導こうとはたらき続けておられる阿弥陀さまです。

しかし、

阿弥陀さまがいるから何をしてもいいんだ」というのは、浄土真宗のみ教えを聞かせていただく方の生き方ではありません。

この話に出てくるお寺の役員さん達は、あまり仏法を聞こうとしなかったですが、役員という肩書きだけで周囲の方々に威張り散らしていたそうです。

自由奔放に生きるのではなく、自身の悲しさを知らされつつ、自身の煩悩にブレーキをかける生き方を、念仏者として実践したいものです。

今回の話でもそうですが、庄松さんは仏法を聞こうとしない方々へは非常に厳しい態度で接しておられます。

庄松さん自体、真剣に仏法と向き合っておられたからこそ、「仏さまのことは無視してはならんぞ!」という気持ちで周囲の方と接していたのでしょう。

「阿弥陀さまのお救い間違いなし」という人生は、より阿弥陀さまのお救いをよろこび、尊く感じる人生であります

「置け置け、その算用より急ぐ算用は、如来様への不足じゃ不足じゃ」

庄松さん、富田村のおよし同行と相談して横田という所へ庵を建てようということになりました。世話人とおよしが、算用の間違いができたので、およしが腹を立てて「算用をしよ」と言うと、庄松さんは「置け置け、その算用より急ぐ算用は、如来様への不足じゃ不足じゃ」と言われました。

ここで庄松さんは、「如来さまへ向かいなさい」ではなく、「如来さまへの報謝が不足している」と言われております。

それでは、報謝はいつまでするべきなのでしょうか。

如来さまへの報謝に、「これで充分」ということはありません。

一生涯、阿弥陀さまの御心を聞かせていただきつつ、お育ていただくのが念仏者の人生であります。

むしろ、阿弥陀さまの御心は、聞けば聞くほどに「もっと聞きたい」という想いにさせられます。

そう感じた時、阿弥陀さまにお育ていただいていることを実感します。

元々、仏法を聞くなんて面倒臭いと、仏壇から避ける人生を歩んでいた私が、気付けば仏法を求めるようになっている。

阿弥陀さまが私に出遇ってくださり、私を目当てにはたらき続けておられる。

阿弥陀さまの広大な御慈悲の中に生かされている私のいのちであります。

だからと言って、「何もしなくていい」というのは、浄土真宗のみ教えではありません。

仏壇を無視するのではなく、真剣に向き合う中で、阿弥陀さまのお育ての真っ只中であったと気付かされていくのが浄土真宗であります。

そのことを、庄松さんは、

置け置け、その算用より急ぐ算用は、如来様への不足じゃ不足じゃ」という言葉で表現されたのですね。

仏さまを讃えるお仏壇を大切にしない方を見ると悲しんでおられました

「薪がなけりゃ仏壇へ行って取ってこい」

ある家へ庄松さんが行くと、その家の女房は「薪がなくて困る」と言っていました。すると庄松さんは「薪がなけりゃ仏壇へ行って取ってこい」と言われました。

薪が無いなら、仏壇へ行って枯れた花を取ってこい」という庄松さんの戒めであります。

仏壇に枯れた花があるということは、毎日のお参りをしていないということですよね。

庄松さんは、「花が枯れているのがダメ」と言いたいのではありません。

毎日、仏さまと向かい合ってください!」と言いたかったのでありましょう。

生きていくためには生活のことを考えるのが大切ですが、生活を大切にしつつ、「仏さまを家庭の拠り所とする生活」が、私たちの心の拠り所となっていきます。

そもそも、お仏壇のある仏間が家庭の場となれば、みんなで一つの方向を向かう時間が作れます。

こういうところから平和な家庭って生まれるのではないでしょうか。

次の話では、そのようなことを庄松さんらしい戒め方で伝えられています。

「御文が相持ですむなら、仲は嫁をもらうのをやめて、兄興左と嫁を相持にしては、どうじゃどうじゃ。」

庄松さんには、興左衛門・仲蔵といふ二人の甥がおられました。
兄は別家して嫁をもらい、弟の仲蔵が跡相続でした。
庄松さんが「兄興左は新家なれば早々御文を迎えてやりたい」と言いますと、みんなは、「御文は当分相持でいい」と留めました。すると、庄松さんは「御文が相持ですむなら、仲は嫁をもらうのをやめて、兄興左と嫁を相持にしては、どうじゃどうじゃ。」と言われました。

嫁より御文が大切じゃぞ!」と、ここで庄松さんは言われております。

「主人も嫁も、すべてをすくう」と誓われた阿弥陀さまの御心をわかりやすく示された御文を先に置くべきではないか。

そのような庄松さんの厳しい言葉の裏に優しさを感じますよね。

「御絵様じゃとばかり拝み、御声は聞こえぬが」

庄松さんが仲蔵同行と丸亀の塩屋別院へお参りに行った時のお話です。
信明院様の御絵を拝み、仲蔵は「有難い御絵じゃ」とよろこんだところ、庄松さんは「御絵様じゃとばかり拝み、御声は聞こえぬが」と言われました。

この時の御絵とは、どのような絵なのか、管理人の勉強不足でわかりません。

親鸞聖人の生涯を、絵を通してわかりやすく示された「御絵伝」の可能性も、阿弥陀さまの絵像の可能性もあります。

庄松さんの言葉から推するに、おそらく阿弥陀さまの絵像かと思われます。

「素晴らしい絵だなぁ」と同行たちが感慨深く見つめてなさったにも関わらず、誰の口からも「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてこなかったことが、庄松さんにとっては違和感だったのでありましょう。

私たちのいのちをすくうという願いのままに、「南無阿弥陀仏」というさとりのすがたを取られた阿弥陀さまですから、絵像も念仏も、ともに有難いものです。

本来ならば有り得ない「南無阿弥陀仏」が、聞こえる声となり、見える仏となって私のもとにはたらき続けております。

しかし、見える仏さまに対しては「有難い」という想いが出てきますが、聞こえる仏さまに対しては「当たり前」という気持ちが出てくるのが私のすがたなのでしょうか。

本当に有難いのは、『重誓偈』というお経さまに「名声超十方」と誓われた声の仏さまだと、私は味わっております。

自然と念仏が口を通して出てくださる現実を、よろこぶ生涯を送られたのが、念仏者である庄松さんなんですね。

そんな尊いお念仏もうさせていただく人生を、ともに歩ませていただきましょう。

「御暇するなら参るなよ。死んでも離れなさらぬとある御真影様へ、おのれが方から暇乞いをすると言うことがあるか」

ある同行が、「私はこの度御真影様へお暇乞いにもう一度御礼を遂げて参ります」と言うと、庄松さんは同行をじっと睨みつけ、「御暇するなら参るなよ。死んでも離れなさらぬとある御真影様へ、おのれが方から暇乞いをすると言うことがあるか」と叱られました。

私はこの話を初めて味わった時、感動しました。

私がたのむ前から、私が仏さまを無視しつづけていた時から、阿弥陀さまは私にかかりっきり。

そんな阿弥陀さまにお願いする理由なんて必要ないですよね。

御暇するなら参るなよ。死んでも離れなさらぬとある御真影様へ、おのれが方から暇乞いをすると言うことがあるか

この言葉が私への戒めのようです。

理由なんていらない。

阿弥陀さまに対する感謝の想いのままに、ただお参りさせていただく。

余計なはからいは必要ありません。すべて捨て去って、ただ阿弥陀さまと向かわせていただく。それだけであります。

それが念仏者としての生き方だと、庄松さんの言葉より知らされます。

ご信心こそ大切であることを、庄松さんは他の人にお勧めになられております

「剣じゃ剣じゃと鞘つかむ。鞘は木じゃもの間に合わぬ。表通りはかたじけないが、善知識の教えを握り、弥陀如来の御まことを貰わんではないか」

ある同行が、「一心に弥陀如来を頼み奉り、昼夜念仏を称えております。これで往生は如何でありましょう」と尋ねると、庄松さんは「剣じゃ剣じゃと鞘つかむ。鞘は木じゃもの間に合わぬ。表通りはかたじけないが、善知識の教えを握り、弥陀如来の御まことを貰わんではないか」と答えられました。

「私は阿弥陀さまを信じている」

「私はお念仏を称えている」

そして、「私の往生は大丈夫でしょうか?」と、自分の頑張りを認めてもらいながら他人に尋ねている様子ですね。

「自分はこんなにしている」という心は必要ありません。

浄土真宗は、自らのはからい心を当てにする自力のみ教えではなく、阿弥陀さまのお任せするばかりの他力のみ教えであります。

また、自分の往生はどうかを他人に尋ねている時点で、往生に対しての疑い心があります。

私の疑いの蓋を外してくれるのは阿弥陀さまだけであります。

その阿弥陀さまの御心を経典や法話を通して聞かせていただくのですが、法話を話す布教使が大切なのではなく、「南無阿弥陀仏」のままを聞かせていただくことが大切であります。

庄松さんは、「善知識の教えを握り、弥陀如来の御まことを貰わん」と仰いました。人に尋ねるのではなく、お念仏に尋ねることが、念仏者として大切なことを示唆してくれているようです。

「それほど古いこと言うのが好きなら、念仏を称えよ。念仏が一番古い」

庄松さんの甥の仲蔵夫婦が言い争いをして、女房が愚痴をつのり、過去に起こったことを言い出しました。すると女房に向かって庄松さんは、「それほど古いこと言うのが好きなら、念仏を称えよ。念仏が一番古い」といい、言い争いを止められました。

上手いこと言いますよね〜。笑

みなさまは、女房は念仏を称えたと思われますか?

そこのところは、資料が見つかりませんでした。泣

と言っても、ただお念仏を称えていたらいいという訳ではありません。

そのことを、庄松さんはわかりやすい喩えで示されております。

「或女が吾が息子を、下關に奉公につかはしておいた、母真実をつくして、袷衣を早くこしらえて、幸便りに送りたれば、息子は袷衣ばかりを受け取りて、母のまことをうけとらなんだと言うことがある。是ではなさけない。弥陀の本願を疑いなくたのんだ喜びはよいが、如来の御真実をたしかに受け取って、よろこんでおられますか?」

三木郡比地村の草瀧三郎の話に、庄松さんがある同行に「往生は如何」と尋ねると、「疑いなく本願を信じて念仏を称えてよろこんでいます」と答えました。すると庄松さんは「或女が吾が息子を、下關に奉公につかはしておいた、母真実をつくして、袷衣を早くこしらえて、幸便りに送りたれば、息子は袷衣ばかりを受け取りて、母のまことをうけとらなんだと言うことがある。是ではなさけない。弥陀の本願を疑いなくたのんだ喜びはよいが、如来の御真実をたしかに受け取って、よろこんでおられますか?」と言われました。

庄松さんには珍しく長い言葉ですので、スポットを当てたいと思います。

上の言葉の中の、「息子は袷衣ばかりを受け取りて、母のまことをうけとらなんだと言うことがある

これは、「南無阿弥陀仏」という念仏ばかり称えて、「南無阿弥陀仏」として届いている阿弥陀さまの御心を聞いていないということであります。

念仏を称えることが条件となってすくわれる「称名正因」ではなく、信心決定により往生が定まる「信心正因」が浄土真宗のみ教えであります。

阿弥陀さまが、「すくわれ難い私をすくうために、願いを起こし、願いが成し遂げられたままにはたらき続けておられる」ことをそのまま聞かせていただくことを信心と言います。

今、「南無阿弥陀仏」という、阿弥陀さまのさとりのすがたが私のもとに至り届いています。

しかし、届いているだけではすくわれません。

そのことを庄松さんが教えてくれましたね。

「南無阿弥陀仏」として届いている阿弥陀さまの御心を、ともに聞かせていただき、ともによろこばせていただきましょう。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m