中央仏教学院通信課程『無倦』掲載法話

平成25年に、中央仏教学院通信教育部の方々が、庄松さんを尋ねて勝覚寺までお参りにお越しくださいました。

お参りに来られた中央仏教学院の皆さまは、きっと私の年齢に驚かれたことだろうと思います。

でも、そのような様子は全く見せずに、ともに阿弥陀さまのすくいの尊さを庄松さんを御縁に味合わさせていただきました。

平均して、月に4回ほど、団体さまがお参りに来られるのですが、その度に、私自身、多大な優しさとお育てをいただいております。

今回掲載させていただく法話は中央仏教学院通信教育部より発行されております『無倦』という冊子に掲載していただいた法話です。

私の拙い法話をテープ起こししてくださり、掲載していただきました。

本当に頭が下がる想いです。ありがとうございました。

尚、題名『妙好人庄松同行の生涯』は、先方に付けていただきました。

また、いつも団体さまの写真を撮らせていただくのですが、この時には許可をとっていないので掲載は控えさせていただきます。

法話内容

『妙好人庄松同行の生涯』

真宗興正派 勝覚寺 副住職 赤澤英海

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明見ざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

ただいま拝読させていただきました御讃題は、「阿弥陀如来のすくいから逃げ続けている私」、「そんな私を見捨てず、常に包み込む阿弥陀さまの御慈悲の尊さ」という、本当の私のすがたと、阿弥陀如来のすくいの両面について親鸞聖人が味合われた御和讃の一首であります。

「摂取の光明見えねども」ではなく「摂取の光明見ざれども」。つまり、阿弥陀さまのおはたらきを「見えない私ではなく、見ようとしていない私」

「煩悩にまなこさえられて」いる私は、「見ようとしていない私ということにさえ、気付けない私」なのかも知れません。そのような私に届いているおはたらきを、「ものうきことなくて」と示されています。

つまり、決してあきらめることなく、決して倦きることなく、決して見捨てることのない、常に届いている、大悲のおはたらきについて示されています。

常のすくいとは、言い換えますと今のすくいであります。

私たちが、今、当たり前のように聞かせていただいているすくいの現実を、庄松さんはどのように受け取っていかれたのか。妙好人と呼ばれている方々の御心を聞かせていただく時に、妙好人を過去の念仏者であったと終わらせないためにも、私たちが本当に阿弥陀さまの教えを聞かせてもらっているかが大切になってくるように思われます。

時代が変わっても、「なんまんだぶ」となって私のいのちに至り届き、はたらき続けておられる阿弥陀さまのすくいに変わりはありません。

どこにいても、何をしていても、「なんまんだぶ」の仏さまが私とご一緒してくださっています。

このお念仏の一つひとつを大きくよろこばれた庄松さんの次のようなお話があります。

ここ勝覚寺は、香川県でも、東の端の方にあります。香川県の西の端の方のお同行さんに、庄松さんが呼ばれたことがありました。まぁ全国で最も小さな県なので、大げさに言うものでもないですけどね。

お同行さんは、庄松さんにありがたいお話をしてもらおうと、香川県の西から、東の方へ、籠をもって庄松さんを屋敷へ招いたんです。そして、その屋敷で夜のお勤めに『正信偈』がよまれました。『正信偈』が終わったあとに、庄松さんのありがたいお話が聞けるんじゃないかと、お参りに来られた方は楽しみにされていたのですが、庄松さん、『正信偈』が終わった後に、急に、鐘を鳴らしながら、「なんともない、なんともない」と、言うだけで何もお話をしてくれない。お参りに来られた方々は、「何かお話をしてくれるだろう」と、待っていましたが、ひたすら待っても、庄松さん、「なんともない」と言いながら鐘を鳴らし続けるだけ。お参りにこられた方々が一人、また一人と、気付けば全員が帰ってしまいました。 屋敷の主人が怒りを抑えながら、「どうしてくれるんだ!」と庄松さんに不足を言ったら、庄松さんは、「何をいうか。今夜はありがたい話があったではないか」というと、主人は「そんなもの、どこにもなかったぞ」というと、庄松さんは、「おらは非常にありがたかった。あちらにもナンマンダブツ、こちらにもナンマンダブツ、実にありがたかった。それでは、この辺りには、ナンマンダブツより他にありがたい話のあるところなのか、おらはナンマンダブツより他はなにもないぞ」そのようにおっしゃいました。

庄松さんは、ナンマンダブツのお念仏一つひとつが、「われをたのめ、かならずたすける」との、阿弥陀さまの呼び声であり、現に自分自身をすくおうとはたらき続けておられるさとりのすがたであると、はからいなく、疑いなく聞かれていた、いえ、入っていたというべきでしょう。
この庄松さんの話を味わうたびに、原口針水和上の詩が思い出されます。

「われとなえ、われきくなれど、なもあみだ、つれてゆくぞの、おやのよびごえ」

私が称え、私が聞いている、そのままが、「かならず、見捨てず、私を連れて行く」の呼び声である。後生たすかる手だてを何一つ持っていない、そのような私を、必ず、「浄土という悟りの世界に連れていく」ただ、そのために佛となられた阿弥陀さまです。そして、名号として、おはたらきとなって、今、届いている我を喚ぶ声です。「ナンマンダブツより他になにもない」この庄松さんの言葉より、他に何もないとしかいいようがないですね。そのように味併せていただくところです。
話が後先になりますが、この庄松さんの性格について、明治初期の『庄松ありのままの記』の編者は次のように示されています。

「その人となり、頑愚無欲にして、娶らず、世を見ず、生涯、東西に意行して、よく人をさとせり。そのさとしぶり質朴、ありのままにして、みなよく自ら法義にかのうて面白くかつありがたし」

もう一度言います。

「ありのままにしてみなよく自ずから法義にかのうて面白くかつありがたし。」

もう一度言います。

「面白くかつありがたし。」

なかなか、仏法に関する方の紹介で、面白いという言葉は使われないですよね。実際におもしろい。私は、庄松さんの言動を見てたら、おもしろさとともに、スパッと物事を言うところを気持ちよく感じる事があります。
また庄松さんは、文字が読めず、お金の勘定もできなかった方でした。それでいて非常に純粋で、私たちのいうところの、世間での愛想というものも、ほとんどなかったんですね。そちらに貼ってある、逆立ちをしている絵も、よく庄松さんの性格をあらわしています。あの絵の説明をしますと、

庄松さんが、本堂の中で子ども達と遊んでいた時のお話です。子どもと遊んでいて、庄松さんが逆立ちをしたら、お寺の世話人の方々が、「庄松が軽業をしてるぞ、うまいうまい」と、庄松さんをからかったんですね。すると庄松さんは、「お前たちが地獄へ堕ちていく真似をしてみせたんじゃ」そのように言ったんです。

その時の世話人の方々は、法義がまったくなく、それでいて、他の人たちに威張っていたのを、庄松さんはよく知っていたんです。 世話人といって、遠慮されていた方も、たくさんおられたでしょう。そのままの相手の姿よりも、相手の身分、背負っている看板の方を無意識に考えてしまうのが、私たちがものさしで作り出した常識というものではないでしょうか。庄松さんには、そのような見方はなかったです。ズバッと言い切る。まさに、「ありのまま」な性格と表現できるでしょう。
また庄松さんは、阿弥陀さまを、実際に、生きておられる方のように見られていました。このようなお話があります。

庄松さんは、どこの家に行っても、まず如来様に挨拶をしてから、家の人とお話をしていたのですが、その時に、仏壇が汚れていたり、お花が枯れていると、「ここの親さんは枯れておる」と、非常に悲しい顔を見せておりました。逆に、常に手入れがされていて、新しいお花の飾っている仏壇を見ると、「ここの親さんは、よう肥えておる」と、まるで自分の親を見るように喜ばれたそうです。

また、夏の暑い頃、畑の草をとり、昼休みに家に帰り、涼んでいたとき、何かを思い出したように仏壇の方へ行きました。ご本尊さまを外して、竹の先に結びつけて、「やれやれ、親さまも涼しかろう」と言われました。

どうしても、木像、絵像は「作られたもの」という固定観念が無くならないので、一般的にはなかなか考えられない行動かも知れません。しかし、こちらの木像は、「なんまんだぶ」の声と同じく、阿弥陀如来というさとりのすがたそのものです。現実には「作られたもの」でありましても、手を合わせる気にもなれない私のために、木像というかたちをとって現れてくださっている仏さまです。決して「物」として見るべきではないでしょう。庄松さんのように、「阿弥陀さまが安心できないと、私が安心できない」という自然と湧き上がってくるのが、念仏者の本来のすがたなのかもしれません。庄松さんの言動からは、「阿弥陀さまと私」との関係を大切にされていたことを感じることができます。また先ほどの二つの話にも共通していますが、「阿弥陀さま」のことを「親さま」と仰せになっているんですね。
庄松さんにとっての「親さま」とは、いかなる存在なのでしょうか。庄松さんの言動を見ていますと、礼拝の対象。救いのおはたらき。そのような阿弥陀さまというよりも、安心して甘えることのできる存在としての阿弥陀さま、親さまという感覚が強かったように思われます。本当に安心して甘えることのできる存在って、どのような存在なのでしょう。
「自分のことを理解してくれる方・悲しい時一緒にいてくれる方・頼れる方」人によって、様々な答えがあると思います。この世界では、誰もが「我」を持っており、知らず知らず、自分を中心に考えたたり、見返りをもとめてしまう。御本願の誓いは、見返りを求めているものではありませんでした。そして、自分が仏になることが第一の阿弥陀さまではありませんでした。
むしろ、「私を浄土に生まれゆく身できないようならば、仏にはならない」と、私たちをすくうことが先立った御本願でした。「なんまんだぶ」の声となり、「われをたのめ、必ず助ける」と、たえず呼びかけ続けておられる阿弥陀さまです。
「ナンマンダブより他なにもない」と言い切られた庄松さんにとって、この御念仏となってとどいている親の呼び声一つひとつが「庄松をたすくるぞ」「庄松をたすくるぞ」と聞こえておられたのでしょう。そのような仏さまだからこそ、親さまと安心して甘えることができたのだと感じます。
さらにいえば、庄松さんだからこそ、阿弥陀さまを親さまと呼んでいるのが、さすがだなぁと感じます。というのも、庄松さん、もともとは三業派の講で仏法を学ばれていたんです。今から200年程前の三業惑乱の三業派です。今では邪説であると、論破されていますが、簡単に説明しますと、三業というのは、体・口・心のことであり、まとめていいますと、身口意の三業をあげて、「後生をどうかおたすけくださいませ」と、お願いするところに、救いが成立するという、自力的要素の三業帰命説を学ばれていたんです。そのような厳しい修行の中で、庄松さん、行き詰まってしまったんです。どんなに、一心にご本尊さまに向かおうとしても、どこか向かいきれない自分がいる。必死になろうと、必死になろうとしても、かえって悩みが大きくなるばかり。

そんな庄松さんを、周天さんという方がさとしたんです。「弥陀をたのむというは、我が心をたのむことではないぞ。必ず助けると仰せになられている阿弥陀さまに、ただ、この身をゆだね、ただ、おたすけなさいませと、そのまま従うばかりではないか」

長い間、三業安心の教えを学んでこられた庄松さんにとって、衝撃的なことであったと思います。それとともに、迷うしかなかった自分であったが、そのような自分を哀れみ、一方的に救おうと誓われた本願であった。そのことに気づかせていただいた周天さんに合う度に、手を合わせて「周天如来、周天如来」と敬っていかれたそうです。妙好人には、かならず善知識がいらっしゃったんですね。

その後、他のお同行さんに聞かれました。
「そなたは、三業安心の教えを学んでいたそうじゃがどうじゃった?」
すると、庄松さんは、このようにおっしゃいました。
「三業どころか、一業もないのには困る困る」

体・言葉・心、そのうちの一つも、往生に間に合うものがない。そんな、自身に対する悲しみが伝わってきます。しかし、この言葉から、悲しみ以外の感情も、伝わってきます。一業も間に合うものがない、そんな私に、「間に合わせろ」という御本願ではなかった。
むしろ、「大丈夫、心配いらないよ」という御本願であった。そんな気持ちが、阿弥陀さまを親さまと仰いでいかれた庄松さんの生涯にあらわれています。念仏者として、我が身の迷いの深さに悲しむとともに、そんな私を「かならず導く」と誓われた御本願のもと、絶対の安心感の中で前向きに生きる姿について考えさせられます。
ずっと聞いているのも疲れますよね。少し背伸びをしましょうか。ちょっと香川県の話でもしますね。みなさま、香川県と言えば何が思い浮かびますか?香川県のうどん屋には、おでんを置いているお店が多いんです。うどんが茹で上がるまで、おでんを食べて時間をのばすんですね。大根とすじ肉が好きで好きで、いつも、この近くのうどん屋に行くと、大根とすじ肉をとって、カラシをたっぷり塗って、大根とすじ肉を一口づつ食べるんです。どちらかが先に無くならないように、気を付けながら食べるんですね。そんなことを、ひそかに楽しんでいる訳です。みなさんは、おでんで何が好きですか?たとえば、こんにゃくと豆腐なら、どちらの方が美味しいですか?

庄松さんが、その質問をある僧侶にされたことがあったんです。ある僧侶が、「庄松よ、こんにゃくがうまいか?豆腐がうまいか?」そうきくと、庄松さんは「こんにゃくがうまい」と言いました。すると僧侶の方がこのように言われたんです。「おれは豆腐がうまい」そしたらまた、庄松さんが「こんにゃくが好きじゃ、こんにゃくが好きじゃ」と、とても嬉しそうに言われたんですね。嬉しそうに言うから、僧侶の方が「なぜこんにゃくが好きなのじゃ」と、聞くと、庄松さんはこのように仰せになりました。「若不生者とあるからじゃ」

若不生者という言葉に、法蔵菩薩、阿弥陀さまのお誓いの温かさがありますよね。
「若不生者不取正覚」
「もしも、あらゆる衆生を浄土に生まれゆく身とできないようなら、仏とはならない」
自分が仏となるのが先ではなかったんですね。あらゆる命をおさめとりたいから、仏となる。自分が仏になるより、私へのすくいが先だっているお誓いでした。この「若不生者」という言葉の温かさを喜ばれ、「こんにゃくが好きじゃ。こんにゃくが好きじゃ。」と嬉しそうに言われていた庄松さんでした。
そんな庄松さん、ただ純粋に、ご本願をありのままに喜ぶ念仏生活を送っていかれていましたが、他の人にねたまれることもあったんです。ただひたすら、仏法を喜ぶ生活においても、いかり、はらだち、そねみ、ねたむ心のなくなることのない私たちの人生の悲しさを感じます。

その頃の庄松さんのダンナ寺の住職。このお寺のことですが、庄松さんが、素直な念仏者になっていくのを、大変喜ばれ、庄松さんを非常に可愛がっていたそうです。何かにつけて「しょうま、しょうま」と可愛がっていたことに、寺の役僧の一人が、ねたましく思ったんです。そして、庄松さんをみんなの前で困らせてやろうと考えました。そして大無量寿経の下巻の五悪段を取り出し、庄松さんに、「お前も念仏者なら、この大無量寿経は読めなくては話にならんぞ。読んで聞かせてくれ」。そう言いました。庄松が文字一文字も読めないことを知った上での嫌がらせです。ところが、庄松さんは、経本を丁寧にいただき、「庄松を助くるぞよ、庄松を助くるぞよ。と書いてある」そのように読んだそうです。

見事ですよね。これ以上の御取り次ぎは存在しないのではないでしょうか。また、庄松さんだからこそ、このような読み方ができたのだと感じます。庄松さんは文字が読めませんから、文字を読んでいたのではなく、『仏説無量寿経』に説かれている、御本願のお心を、そのまま口から出していたんです。親鸞聖人は、その主著『教行信証』の中で、『仏説無量寿経』について、このようにおっしゃっています。
「如来の本願を説きて経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって経の体とするなり」
『仏説無量寿経』では、如来の本願。すなわち第十八願のいわれを説くことを肝要としています。そして、南無阿弥陀仏となって、今、届いている名号こそがこの経の本体であることを示されています。その親鸞聖人が「本願召喚の勅命なり」と示された名号を疑いなくいただくならば、「われにまかせよ、かならずたすける」といただくばかりです。庄松さんから見れば、「庄松をたすくるぞ、庄松をたすくるぞ」と、いただく他にはないですよね。
妙好人と呼ばれる方々は、頭で考えたり、勉強することを大切にしていたというより、すでに名号となって届いている呼び声を、そのままよろこぶ念仏の生活をされていました。その妙好人というのは、元々はお釈迦様が『観無量寿経』という経の中で念仏者の徳を讃えて、フンダリケと言われたのが始まりです。フンダリケとは、白蓮華のことです。真っ暗な泥の中において、泥に染まることなく美しく、白く咲く蓮華の花のことです。泥の中にありながら、泥を白く美しく荘厳していくことから、オデイケともいわれることもあります。そのフンダリケを、善導大師という方が、このように言われました。「お念仏に生きる方は、人の中の、好人です。妙好人です。上々人です。希有人です。最勝人です。」と、五種類の言葉で、念仏者を讃えられている、そのうちの一つが妙好人です。
妙好人という言葉について、善導大師は中国の方なので、中国の漢字の意味を調べてみますと、妙には、妙なる、言葉にできない、という意味があり、好は、日本では好きと使われることが多いですが、中国では、「よい、すばらしい」という意味があります。つまり、念仏するひとは、言葉に言い表せない程、すばらしい人という意味になります。 真っ暗な泥の中にいるように、毎日、気付けば楽をもとめて苦にしずみ、続けて迷い続けている私たちですが、その中で、阿弥陀様のご本願を信じ、本願のおいわれのままに念仏をとなえながら生きる人は、出家も在家も区別なく、賢者も愚者も区別のない、真の仏弟子であり、真実の徳を与えられている者であると、讃えられています。本来ならば、行き着く先もわからず、ただむなしく終わるかも知れない人生と、浄土という、目指すべき場所のある人生では、中身は大きく違います。妙好人と呼ばれている方々は、みな、浄土という、決してなくなることのない目指すべき場所に向かう人生を送られていました。

その妙好人の一人である、庄松さんのすべてがあらわされている。そう表現してもいいでしょう。そのお話をしたいと思います。それは、庄松さんが5、6人のお同行と共に本山へ帰敬式に行かれた時のお話です。その頃、本寂上人という方が御髪剃をしていました。順番に並んで、次から次へと本寂上人がカミソリをあてていくのですが、庄松さんの頭にカミソリを当て、次の人のところに移ろうとした時、庄松さんは、本寂上人の衣を引き留め、「アニキ覚悟はよいか。」そのように申しました。シーン、とした本堂にその声が響きわたりました。上人が振り返ると、庄松さんは手を離し、本尊の方を向いておりましたので、上人はそのまま儀式を続けられました。帰敬式が終わると、本堂は大騒ぎになりました。一緒に来ていた御同行も「無茶にもほどがある。上人の衣を引っ張る奴があるか。きっと何かおとがめがあるに違いない」みんなが不安で焦っているところに、奥から一人のお取り次ぎの僧が出てきました。そして、「今、善知識さまの衣を引っ張った御同行はどこにおるか。正直に御前に出られよとの、本寂上人の仰せじゃ」その言葉を聞いた庄松さんは、平気な顔をして立ち上がりましたが、気が気でない一緒に来ていた御同行は、庄松さんを必死で止めて、こんなことになるなら連れてこなければよかったと考えながら、お取り次ぎの僧に向かって、「まことに恐れ入りますが、この者は馬鹿でございます。一文二文の銭さえ数えることができない者であります。どうか、今回のご無礼を上人様の御慈悲を持ってお許しください」そのように申しますと、お取り次ぎの僧は「わかった。その旨をお伝えしよう」と言って、いったん引っ込みましたが、またすぐ出てきて「その者を連れてこいとの仰せじゃ。私に付いてこい」そういうと庄松さんは、ノコノコと付いていきました。そして世間的な愛想、礼儀の知らない庄松さんは、本寂上人の前であぐらをかいて座ったんです。
すると本寂上人は「私の衣を引っ張ったのは、そなたであったか」というと、
庄松「へぇおらであった」
上人「何と思う心から私の衣を引っ張った」
庄松「へぇそんな赤い衣を着ていても地獄をのがれることにはならぬで、後生の覚悟はよいのかと案じた時、気づけば衣を引っ張っておった」
上人「さぁそこじゃ。その心持ちが聞きたいために、そなたをここに呼んだのじゃ。私のことを敬ってくれる人は沢山おるが、後生の意見をしてくれたのは、そなた一人じゃ。よく意見してくれた。礼を言うぞ。さて、今度は私がそなたの後生の意見をする番じゃ。そなたはご信心を頂いたか」
庄松「へぇ頂きました」上人「ならば御信心を頂いた姿を一言もうしてみよ」
庄松「なんともない」
上人「なんともないじゃと、それで後生の覚悟はよいのか」
庄松「それはアミダ様に聞いたら早うわかる。おらの仕事じゃなし、おらに聞いたとてわかるものか」
上人「よう言うた。弥陀を頼むというも、それより他にはない。多くの者は我が機を頼んでおる。それは自力のはからいになる。そなたは非常に正直な男じゃ。今日は兄弟の杯をするぞ」
本寂上人は、庄松さんの純粋で正直な姿を、大変喜ばれました。この日から、庄松さんは京都に行く度に本寂上人にまぬかれ、庄松さんも本寂上人のことを「アニキ、アニキ」と慕われたそうです。 このやり取りの中に、庄松さんのすべてが入っています。袖を引っ張ったり、上人の前であぐらをかいて座る姿は、庄松さんの性格をよくあらわしています。また、「地獄逃れることはあらぬで」という言葉の中に、凡夫は、本来、地獄行き。そんな自分であるという自覚があるんです。言い方を変えると、この迷いの世界を抜け出す、その手がかりになるようなものは何一つ、自分にはない。そんな自信の姿を、一言でいいのけています。そして、「ご信心をいただいた姿を一言もうしてみよ」の後、庄松さんは、本当に一言でしたね。「なんともない」。私自身、この言葉に深い感銘を受けます。庄松さんにとって、次のような想いだったのではないでしょうか。

長い間、三業安心の教えを学び、行き詰まり、それでも、自分の救われていく道だと信じ、一心に向かって向かって、それでも、どうしても、向き合うことが出来ず、苦しんでおった。その私に、周天さんが、阿弥陀さまのご本意を教えてくれた。ただ悩むだけの自分だと思っておったが、そんな私をかならずおさめとろうというお誓いであった。「なんともない」「何ともない」この身そのままを、安心してまかせられる親さまであった。
「おらの仕事じゃなし。」「あれにきけ」ただ、今、ナンマンダブとなって、届いておる、おはたらき、阿弥陀さまの呼び声に、そのまま、身をゆだねるだけ。余計なはからいは無用じゃった。安心できる親さまがおって、本当によかった。

純粋な性格で、自身の本来のすがたという、大きな壁にぶつかり、その中で、すでに届いていた「庄松をたすくるぞ」という、の阿弥陀さまの大悲のはたらきのもと、庄松さんは、前向きに、力強くお念仏をよろこぶ生活を送っていたんですね。

庄松さんの知り合いの同行が重い病気にかかり、臨終の床に入っていた時のお話です。医者にもサジを投げられ、もう亡くなるのを待つしかない時です。この病人の方は、仏法を大変喜ばれていた方でしたが、いざ自分が臨終の床につきますと、そのようなことは忘れてしまい、不安で不安で「私の後生が暗い、こんなことでは死んでいけん、一体どうすればいいのじゃ」と、もだえ始めました。誰が声をかけても、耳には全く届かず、身内の方々もどうすればいいかわからない時、病人は急に、「庄松をよんでくれ」と叫びましたので、病人の息子が急いで庄松さんを呼びに行きました。急いでやってきた庄松さんは、病人の枕元を素通りして、アミダ様に挨拶し、その場から全く動きません。庄松さんが仏壇の前から動こうとしないので、息子が庄松さんに言いました。「今日、あなたを呼んだのは、仏壇にお参りしてもらう為ではない。父に、お浄土参りのお話をしてもらいたくて呼んだのだから、お浄土参りのお話をしてください」すると、庄松さんは、大きな声でこのように申しました。「何を言うか。おらが本願を作ったのではない。助けてやるものは一つも持っていないわい。なんの役にも立たない、おらやお前を、浄土に生まれさせることができないならば、正覚をとらないと誓われた仏が、いまこうして正覚をとりてあるじゃないか。これでもまだ不足なのか」と、申しますと、その言葉が病人の耳に届きました。病人の方は、「あ〜そうじゃったの。そのように言ってくれるのが庄松さんであるの、役にも立たない自分の姿を心配する必要はなかったんじゃなあ。ありがとうございます、ありがとうございます、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と念仏を申しました。

これ以上のお浄土参りのお話が存在するんでしょうか。自分の身内が亡くなった時、この話を思い出し、悲しさのなかに不思議な安心感があったのが、昨日のことのようです。 庄松さんが、臨終が近くなって、横になっている時、眷属の者や、同行たちが見舞いに来たら、よくお願いしていたことがあるんです。それは、枕元に置いている御文章を指差して、「五劫思惟の御文章を読んで聞かしてくれ」その言葉を聞いて、御文章を聞き、非常によろこびながら、このように言われてたんです。「ああ大丈夫じゃ、大丈夫じゃ」
亡くなる直前まで、御法義をよろこばれ、臨終の苦しみとともに、どこか安心感を見せながら、明治4年3月4日、73歳で亡くなっていきました。庄松さんの生涯を見てみますと、阿弥陀さまのご本願の元だからこそ、前向きに力強く生きることが出来る。行く先のわからない人生ではなく、お浄土という、一つの目指すべき場所がある人生において、それは単に、死に向かうための道ではない。導かれていく道だと、甘えていい阿弥陀さま、親さまがおる。そんなよろこび、安心感の中の人生を送られました。命を終えて、今もなお、私たちに、本願を中心として生きる人生の充実感を教えてくれている気がします。
本日は、皆さまのおかげで、私自身、尊い仏縁の恵まれました。四国の楽しい旅を送られることだと思います。もしもうどんを食べるなら、おでんのコンニャクを一緒にどうぞ。本日は、庄松さんを通して、ともに阿弥陀さまの御心に触れさせていただくご縁をありがとうございました。なんまんだぶ、なんまんだぶ

真宗興正派 勝覚寺 副住職 赤澤英海

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m