法事で呼ぶ人を勝手に限定しない方がいいと感じているお坊さんの所感。

下のような状況ってよくあると思います。

大好きだった祖母を亡くしての三回忌

法事一つ勤めるのにも、食事の手配や品物の準備、また遠近各地の方々への連絡など、しなければならないことはたくさんあります。

その準備もようやく終わり、やっと祖母の三回忌を開くことができました。

いつものお寺さんを呼んで、みんなでお勤めして、
これできっと祖母もよろこんでくれているだろう・・・」と安心安心。

僕もお坊さんとしてお勤めしておりますが、帰り際に「祖母も喜んでいると思います」と声をかけていただくことがあります。

そんな時、

「あれ??」

と感じることがあります。

法事の主役は誰でしょう?

浄土真宗というみ教えでは、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただきますので、すべての仏事の中心は阿弥陀さまです。

では、法事の時の主役は人間では誰でしょう?

法事中に聞くと、「祖母」という答えが返ってくることが多いですが、実は、浄土真宗の法事では私たちが主役であります。

法事の準備を主だってされた施主さま、祖母と仲の良かった近所の方々、いつも祖母と仏さまのお話をされていたお坊さんなど。法事にはたくさんの方が関わりますが、その主役は私たち全員です。

何故ならば、

祖母の死を無駄にせず、祖母の死をご縁として、私たちが阿弥陀さまのお心を聞かせていただくのが法事であります。

ですので、法事の参拝者は招待客ではありません。

法事にお客さんはいません!

法事に招待客は一人もいません。

確かに、法事を勤める時は、その家に住んでいる方が中心となってご縁のある方を招き、段取りもすべて決定することを求められます。

しかし、施主さまだけが故人とご縁のあった方ではありません。

たとえば、故人の子どもは全員が故人と何にも変えられない血縁というご縁があります。

離れて住んでも、血縁が切れることはありません。みなともに法事の施行者であります。

ならば、法事にかかる費用も折半するべきではないでしょうか。

法事に決まった主役はいなければ、準備も全員でするべきであります。

誰もが故人と思い出があり、故人をご縁として阿弥陀さまのお心に出遇わせていただく立場ですもん。ちなみに、僧侶も同じ立場です。

僧侶もともに出遇わせていただくのですが、みなさまで一緒に阿弥陀さまのお心に出遇うためのお手伝いが僧侶のいる意味です。

法事を通して、みんなで故人を思い出しつつ、みんなで阿弥陀さまのご縁を恵まれていることをよろこばせていただきましょう。

みんなで一つのことをよろこべることって、日頃の生活では有るようで無いですもん。

ともに恵まれているよろこびを与えてくれるのが浄土真宗であり、みんなで同じ方向に向ける法事の素晴らしさだと思います。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m