「法事」で気になった「正信念仏偈」についてつぶやいてみた・・・

僕はお寺の環境で育って、学校でも仏教の勉強をさせていただいていたので違和感がないですが、「正信念仏偈」って言葉だけで、漢字ばかりでややこしく感じますよね。

お坊さんがお参りに来た時に、気軽に尋ねられたらいいのですが・・・

尋ねることも難しいようですね。

施主様
わからないことがあるけど、お坊さんに聞きづらいよなぁ・・・
法事の意味やお経の意味が気になることもあるけど、尋ねてもいいのかなぁ・・・

様々な疑問があっても、特に風格があるお坊さんには聞きづらいそうです。

私自身、お坊さんとして生活させていただいておりますが、私は風格も何もない、そこら辺のあんちゃんみたいな感じですが、お坊さんの服装を着ているだけで話しかけづらいような雰囲気を感じることもあるかも知れないな〜。

そのような不安を感じることがあります。

しかし、今は便利な時代です!!

直接聞きづらいことは、お寺関係者にこっそり電話番号を聞いて、勝手にLINEを送っちゃえばいいんです!

超便利なLINEで解決した話

英海
お坊さん、法事ってほんまに面白くないですよね!

お坊さん
英海くん、何かあったのかな?

英海
何もないけど・・・
先週、おばあちゃんの法事があったんです。

お坊さん
うんうん。
英海くんが昔から好きだったおばあちゃんの法事だね!

英海
そうなんです!
だから楽しみだったんですけど・・・

お坊さん
楽しみだったけど?

英海
ただしんどいだけでした。

お坊さん
しんどかったんだ・・・

英海
ずっと正座で、漢字ばかりの本を読まされて、食事の時間にはお坊さんや近所の人に気を使うばかりでした。
(-.-;)y-~~~

お坊さん
それはしんどかったね。

英海
おばあちゃんとの思い出を話し合う時間もなかったしな・・・

お坊さん
僕でよければ、いつでも聞かせて(^^)

英海
俺はそんなにヒマじゃない!

お坊さん
えっ!? Σ(゚д゚lll)

英海
今日はお坊さんに聞きたいことがあるんです。

お坊さん
どうしたの?

英海
なんで法事では、あんな漢字ばかりの難しい本を読まなきゃいけないんですか?

お坊さん
お経のことだね。
別に読まなくてもいいよ。

英海
えっ!? Σ(゚д゚lll)

法事なのにお経を読まなくていい??

お坊さん
正確には、「おばあちゃんのため」に読む必要はないよ。

英海
えっ!? Σ(゚д゚lll)
じゃあ読む意味は何なんですか?

お坊さん
英海くんのためだよ!

英海
俺のため?

お坊さん
英海くんを救うための仏さまがいたんだってことをお経を通して聞かせていただくのが大切なんだよ。

英海
それ聞いたことあります!
阿弥陀さまって仏さまですよね!

でも、俺じゃなく、「おばあちゃんが救われた」ってことを法事では考えたいです。

お坊さん
なんでかな?

英海
おばあちゃんのためにみんなで準備した法事だからです!

お坊さん
そうだよね!
阿弥陀さまによって、国に生まれさせていただき、仏さまとしてのいのちを授かったおばあちゃんのためだよね!

英海
そうです!
あれっ??

おばあちゃん、阿弥陀さまのおかげでもう救われてる・・・?

お坊さん
そうだよ!

今度は、おばあちゃんのいのちのご縁を通して、阿弥陀さまはおばあちゃんだけじゃなく、英海くんを救いたい仏さまだってことを、「おばあちゃんのいのちを無駄にしないため」に聞かせていただかないとね。

英海
それが法事?

お坊さん
そうだよ。

英海
なんかわかったような・・・
丸め込まれているような・・・

お坊さん

英海
それで、なんでお経を読むのは俺のためなんですか?

お坊さん
どんなお経を読んだのかな?

英海
「きみょーむりょーじゅにょーらーい」ってやつです。

お坊さん
正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)だね。

あれは、正式にはお経じゃないんだよ。

英海
えっ!? Σ(゚д゚lll)
じゃあ何なんですか?

「正信念仏偈」はお経じゃない??

お坊さん
浄土真宗を開かれた親鸞聖人っていう方の気持ちが込められた言葉だよ!

英海
???

どんな気持ち???

お坊さん
予想だけどね。おそらく親鸞聖人はこんな気持ちだったんじゃないのかな。

阿弥陀さまのみ教えを聞かせていただいて本当によかった!阿弥陀さまの「あらゆるいのちを救いたい」というお誓いは、誰よりもこの私を救いたいという想いのままのお誓いだったんですね!阿弥陀さま、そして、阿弥陀さまの御心を私に伝えてくださった七人の僧侶のみなさま、本当に有難うございます。この返しきれないご恩のままに、お伝えくださったままを、「正信念仏偈」としてここに記します。この文を見られる方は、私親鸞が七人の僧侶方よりお知らせいただいた阿弥陀さまのみ教えを、一緒に聞かせていただきませんか?

英海
そっか・・・
その阿弥陀さまのお救いを「正信念仏偈」を通して聞かせていただくのが大切なんですね!

お坊さん
そう。
それが法事さ(⌒▽⌒)

英海
なんかスッキリしました!

お坊さん
よかった。
おばあちゃんのいのちを無駄にしないために、おばあちゃんの残された法事のご縁で、「英海くんを救いたい」という阿弥陀さまの御心を聞かせていただこうね。

英海
オーケイ牧場!!

お坊さん
えっ!? Σ(゚д゚lll)

「正信念仏偈」って一体なんだろう・・・

私(英海)は僧侶として生活させていただいておりますが、法事の時に「みなさまは、浄土真宗のお経といえば何が思い浮かぶでしょうか?」と尋ねることがあります。

すると、ほとんどの方が、

プトリ・プトラ
「きみょーむりょーじゅにょーらーいってやつ」

 という返答をしてくださいます。

「きみょーむりょーじゅにょーらーい」とは、漢字では「帰命無量寿如来」と書きます。

これは、『顕浄土真実教行証文類』という長い名前の親鸞聖人の主著の中に出てまいります「正信念仏偈」の文頭であります。

実は、浄土真宗でのお経とは、浄土三部経(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)のことを言います。ですので、「正信念仏偈」は正式にはお経ではありません。

浄土真宗のお経本の多くが、「正信念仏偈」ではじまることが多く、本願寺でも毎朝お勤めされますし、毎朝お勤めされる地域も多くありますので、最も耳に残りやすく、最も親しまれやすいのでしょう。

 浄土真宗では、様々なご縁で「正信念仏偈」がお勤めされます

この「正信念仏偈」が日常のお勤めになったのは、浄土真宗本願寺派八代目宗主である蓮如上人という方によります。

蓮如上人は、宗祖親鸞聖人が著された「正信念仏偈」に、宗祖が七五調の和歌で阿弥陀さまのお救いを讃えられた「ご和讃」を加えて、「正信偈和讃」とし、文明五(一四七三)年に木版をおこし、日常での勤行とされました。

蓮如上人御一代記聞書』という書物に、

蓮如上人、幼少なるものには、まづ物をよめと仰せられ候ふ。またその後は、いかによむとも復せずは詮あるべからざるよし仰せられ候ふ。ちと物に心もつき候へば、いかに物をよみ声をよくよみしりたるとも、義理をわきまへてこそと仰せられ候ふ。その後は、いかに文釈を覚えたりとも、信がなくはいたづらごとよと仰せられ候ふ。

蓮如上人は、年少の方に対しては、「ともかくまずお聖教を読みなさい」 と仰せになりました。また、その後は、「どれほどたくさんのお聖教を読んだとしても、繰り返し読まなければ意味がない」と仰せになりました。そして、成長して少し物事がわかるようになると、「どれほどお聖教を読んで漢字の音などをよく学んだとしても、書かれている意味がわからなければ、本当に読んだことにはならないと仰せになりました。さらに、 「お聖教の文やその解釈をどれほど覚えたとしても、信心がなければ何の意味もない」と仰せになりました。

このように、

「読経すべきである」
「繰り返し読経すべきである」
「意味がわかるようになるべきである」

 

そして最も大切なことは・・・

「信心を賜ることである」

ということを、蓮如上人は仰っておられます。

私たちが「正信念仏偈」をお勤めさせていただく時も、単に読んで終わらせるのではなく、意味を理解し、そこに示されている自分こそが本当の救いの目当てである阿弥陀さまの御心を知らせていただくことが大切なのだと知らされます。

なお、ここでは「正信念仏偈」という名前を用いておりますが、一般的には「正信偈」と言われることの方が多いようです。

宗祖の主著である『顕浄土教行証文類』には「正信念仏偈」という言葉が出てきますので、正式名称は「正信偈」ではなく、「正信念仏偈」というべきでしょう。

もちろん、宗祖は「正信偈」という名称も使用されております。

『尊号真像銘文』という書物の中で「正信念仏偈」の一部を解釈されるのですが、そこでは、

「和朝愚禿釈親鸞「正信偈」文」

と述べられております。

ゆえにどちらも正式名称ではありますが、『尊号真像銘文』は「正信偈」の解釈であり、その原文は『顕浄土教行証文類』でありますので、原文の「正信念仏偈」を今ブログでは用いることにします。

親鸞聖人はなぜ、『顕浄土教行証文類』に「正信念仏偈」を書かれたのでしょう

『顕浄土教行証文類』とは浄土真宗のみ教えを体系的にまとめられたものであります。

ですから、「正信念仏偈」を書かれた意図は、「私たちに浄土真宗のみ教えを伝えるため」と考えるのが普通ですが、「正信念仏偈」を書かれる宗祖の言葉からは、「伝道」という言葉一つでは決して終わらせることのできない重みを感じます。

そこでは、次のように述べられております。

是以為知恩報徳披宗師釈言夫菩薩帰仏如孝子之帰父母忠臣之帰君后動静非己出没必由知恩報徳理宜先啓又所願不軽若如来不加威神将何以達乞加神力所以仰告{已上}

ここをもつて知恩報徳のために宗師(曇鸞)の釈(論註・上 五一)を披きたるにのたまはく、「それ菩薩は仏に帰す。孝子の父母に帰し、忠臣の君后に帰して、動静おのれにあらず、出没かならず由あるがごとし。恩を知りて徳を報ず、理よろしくまづ啓すべし。また所願軽からず、もし如来、威神を加したまはずは、まさになにをもつてか達せんとする。神力を乞加す、このゆゑに仰いで告ぐ」とのたまへり。{以上}
 ここで、宗祖が尊敬なされた七高僧の一人である曇鸞大師の言葉を引用されます。
「菩薩が仏に帰依するありさまは、あたかも孝子が父母の恩を知り、忠臣がその君后の恩を知るがゆえに、自分自身の立ち振る舞いをむなしくして、ただ父母・君后のためにすべての行動をするようである。菩薩は仏の恩を知り、徳に報いる心があるために、まず恩を受けた仏に何事によらず、その感謝の意を申し上げるのである」と語られております。
阿弥陀さまへの御恩は、教師の教え子に対する愛情であり、母親の子どもに対する愛情にもたとえられます。教え子や子どものことを想い続けておられる親の心のもとで育まれるものです。教え子や子どもが、自然と愛情を感じるのと同じように、阿弥陀さまの大悲の御心は自然と私たちの心を揺るがしていきます。

このような阿弥陀さまの大悲の御恩と、そしてその御恩に対する感謝のままに書かれたのが「正信念仏偈」であります。

また、阿弥陀さまの大悲のはたらきは宗祖の時代だけのものではありません。

今を生きる私たちに変わらず届いております。

宗祖が報いずにはおれなかった阿弥陀さまの大悲の御心を、「正信念仏偈」をともに拝読させていただくことで、みなさまとともに味わっていければと思っております。

合掌

「正信念仏偈」に関するおすすめ本

僕は、こちらの本を通して、「正信念仏偈」で讃えられている阿弥陀さまのお救いを楽しませていただいております(*^^*)

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m