得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 〜お浄土で仏のさとりを開かせていただける身に「今」定まります。

得至蓮華蔵世界
即証真如法性身

蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。

阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいたならば、即座に阿弥陀さまと同じ仏のさとりを開く身になります。

仏教の目標は仏のさとりを開くことであります。

決して、仏さまの国に生まれることで目標の達成ではありません。

私の能力では、仏になるどころか、お浄土に生まれることすらできません。

そのような私と見抜いた上で、阿弥陀さまはお浄土に生まれたならば即座に仏のいのちを賜ると与えようとお誓いになられました。

お浄土に生まれるまでではなく、仏教の目標である仏のさとりを開かせていただくところまで阿弥陀さまのおはたらきの中でありました。

天親菩薩の『浄土論』に説かれるお浄土での私のすがた

この二句は、天親菩薩のお書きになられた『浄土論』に説かれているお浄土に往生して得る功徳である五果門(近門・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯地門)の中、宅門屋門によって讃えられたものであります。

そこでは、次のように示されております。

入第三門とは、一心専念にかしこに生ぜんと作願し、奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入第三門と名づく。入第四門とは、専念にかの妙荘厳を観察し、毘婆舎那を修するをもつてのゆゑに、かの所に到りて種々の法味楽を受用することを得。

入の第三門である宅門では、一心専念にお浄土に生まれようと願い、散乱の心をとどめ寂静三昧の行を修めることによって、蓮華蔵世界に至ることができます。
入の第四門である屋門では、専らお浄土の不思議な荘厳を念じて観察の行を修めることにより、お浄土に往生していろいろな法味楽を受け楽しむことができます。

蓮華蔵世界」について、親鸞聖人は『唯信鈔文意』という書物の中で詳細に説明されております。

「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり。曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には、「蓮華蔵世界」ともいへり、

「極楽」というのは阿弥陀さまの安楽浄土のことであります。そこではあらゆる楽しみが絶えることなく、苦しみがまじることはありません。その国を安養といわれるのであります。
それで曇鸞大師は、『讃阿弥陀仏偈』に「浄土をほめたたえて安養と申しあげる」と述べておられます。また、『浄土論』には「蓮華蔵世界」ともいわれております。

この内容から、「蓮華蔵世界」とは阿弥陀さまのお浄土であることがわかります。

その阿弥陀さまのお浄土に生まれたならば、「即証真如法性身」と親鸞聖人は讃えられております。

お浄土に生まれたならば、ただちに仏のさとりを開かせていただけます

即証」とは「ただちにさとる」という意味でありますので、「ただちに真如法性身を悟る」という意味になります。

真如法性身」については『一念多念文意』に、

一実真如と申すは無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり、法性すなはち如来なり。

と、この上無い阿弥陀さまと同じさとりを開き、仏にならせていただくことを示されております。

ゆえに、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいたならば、ただちにこの上無い仏のさとりを開かせていただきます。

お浄土に生まれさせていただいたならば、長い年月をかけて修行するのではなく、即時に阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただき、衆生救済の仏に成らせていただきます。

それが定まるのは、現生で一心すなわち信心が決定した時であります。

ゆえに、阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただくのも一心の利益であるといえます。

それほどの利益を与えられている現実のままに、ともに阿弥陀さまへのご恩を知らされる生涯を送らせていただきましょう。

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