愛するペットを亡くされたあなたへ つらく悲しい気持ちをペット葬儀で和らげませんか?

なぜでしょう?

愛するペットを亡くした時、
人を亡くした時と同じように、

時にはそれ以上に、
深いつらさにおそわれる時があります。

でも、
その悲しみを周囲の方々は理解してくれません。

人が亡くなった時は、
みんなで悲しさを共感し合えるのに・・・

そんな私たちの気持ちも、
「ペット葬儀」を通して、
少しはラクになれるかも知れません。

いえ、なれます!!

ペット葬儀をお願いしても、お坊さんに断られることがあるそうです

今ブログでは、仏教の中でも宗派(み教え)はたくさんありますが、その中でも浄土真宗のことを中心につぶやいていきます。

拝見してくださる方にお坊さんも多いので、たまに難しい言葉を使用しますがご了承くださいm(_)m

ちなみに、私はペット葬儀賛成派でありますので、賛成意見にかたよった文章になっていることをご了承ください。

浄土真宗でも、ペット葬儀が断られることも多いそうであります。

ペット葬儀が断られることも、まったく不思議なことではありません。

なぜならば、浄土真宗では、「かならずたすける」という阿弥陀さまのお心を疑いなく、そのまま聞かせていただく信心一つで成立します。

その浄土真宗のみ教えは、阿弥陀さまのお救いを説かれた『仏説無量寿経』という経典が中心であります。

その『仏説無量寿経』の中でも中心となるのは、阿弥陀さまがお誓いになられた四十八願(四十八のお誓い)であり、その中の第十八願である「本願」であります。

そのお誓いは次のようなものであります。

設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法

もしも私が仏となったならば、すべての世界のすべてのいのちが、疑いなく私の作る浄土に生まれたいと思い、「南無阿弥陀仏」とお念仏称えさせましょう。それでも私の作る浄土に生まれることができないようならば、私は阿弥陀という仏にはなりません

ややこしいですね。

この意味をお釈迦さまによってあきらかにされた「本願成就文」では、次のように示されております。

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住不退転 唯除五逆 誹謗正法

あらゆるいのちが、南無阿弥陀仏となって到り届いている「かならずたすける」という阿弥陀さまの御心を疑いなく聞かせていただく信心を賜ったちょうどその時、その信心は阿弥陀さまより賜ったものでありますので、お浄土に生まれたいという心のままにお浄土に生まれさせていただき、かならず仏のさとりをひらかせていただけるでしょう

この「本願成就文」によって、「阿弥陀さまの御心を疑いなく聞かせていただく信心を賜ったちょうどその時」に救われてゆくことが説かれておりますので、阿弥陀さまより賜った信心ひとつで救われてゆくことはあきらかでありましょう。

逆に、その信心がなければ救われることはありません。

だから、ペット葬儀が断られることもあるのでしょう。

ペットは救われるのでしょうか?

信心ひとつで救われてゆくのであれば、ペット(動物)は救われるのでしょうか?

ペット葬儀を執り行う時、

「この子が安らかになって欲しい」
「ちゃんと成仏して欲しい」

そのような気持ちが自然と湧いてくるでしょう。

ペットが救われてゆくのかは、大きな関心ごとのひとつだと思われます。

浄土真宗のみ教えである「信心ひとつで救われてゆく」のならば、動物は阿弥陀さまのみ教えを聞くことができませんから、阿弥陀さまのお浄土に生まれることはできないと考えられます。

しかし、もし救われないのならば、前に挙げた阿弥陀さまのお誓いである、

「本願」に、
十方衆生(すべての世界のすべてのいのち 

「本願成就文」に、
諸有衆生(あらゆるすべてのいのち

という、すべてのいのちを救う」とはお誓いになられないはずであります。

また、浄土真宗本願寺派前宗主の大谷光真氏は次のような言葉を書物に残されております。

動物が死後ただちに極楽浄土へ行けるかどうか、仏ではない私たち人間にはわかりませんが、生きとし生けるものを照らし、仏にしたいと願われている阿弥陀様ですから、人間とは別な手立てをご用意されていることでしょう。

『世の中安穏なれ』 90頁

この教示の通りに、すべてのいのちを救いの目当てとされている「阿弥陀さまのお救いの尊さ」を味わっていくべきであります。

「私のペットはちゃんと救われたのかな?」という不安は、阿弥陀さまへの疑い心であります。阿弥陀さまの疑いようのないお誓いの通りに、かならず救われていると聞かせていただくべきでしょう。

そもそも葬儀ってなんのためにあるんでしょう・・・

浄土真宗の葬儀とは、亡くなった方に対する供養ではありません。

阿弥陀さまのおはたらきによって、生きている今、信心を賜り、いのち終える時にお浄土に生まれさせていただき、仏のさとりをいただくのが浄土真宗のみ教えであります。

私の努力を当てにするのではなく、阿弥陀さまのお救いをただ聞かせていただくのであります。

煩悩を抱えて生きている私の努力で仏になるのは、至難の技であります。そのような私のすがたを知りぬいた上で、私を救い取るために仏となられた阿弥陀さまであります。

その阿弥陀さまのおはたらきによってお浄土に生まれさせていただき仏のいのちを賜るのですから、私が供養する必要はありません。

詳しいことは、下のページにつぶやいてみました。

「お葬式」は正式には「葬送儀礼」と言います。「葬送儀礼」には色々なお勤めがあってビックリした件!

お葬式(正式には葬送儀礼)には迷信がいっぱいだった!

じゃあ、なんで葬儀をするの?

葬儀をする理由については、お坊さんによって言葉が異なる可能性があります。

私にとって、葬儀を執り行う理由はたった一つです。

亡くなった方のいのちを無駄にしないためです。

亡くなっていかれた方のいのちを無駄にしないために、葬儀といういのちのご縁を通して、生き残っている方々で一緒に、「阿弥陀さまっていう仏さまがいてくれて本当によかったね!」そう知らせていただくことを、私は大切にしております。

亡くなっていかれた方は阿弥陀さまによって仏のいのちを賜り、亡くなっていかれた方が残してくれた葬儀というご縁で、阿弥陀さまは私にかかりっきりということを知らせていただく。

そのように、亡き方のためのご縁だけではなく、私のためのご縁でもあったと知らされた時、次のことが知らされるのではないでしょうか?

ペット葬儀はとても大切です!!

愛するペットを亡くした時、経験したことがないほどの悲しみに襲われることがあります。

そんな時に、「あの子が幸せになってほしい」という想いのままに葬儀を執り行いますよね?

ここでひとつ考えたいことがあります。

そうしてペット葬儀で手を合わしている時、ペット葬儀が終わったその時、いったい誰がスッキリしているでしょうか?

愛するペットを亡くした私じゃないでしょうか?

それだけではありません。

愛するペットが、
私に合掌させてくれてるんです。
私に、仏さまのお話を聞くご縁を与えてくれてるんです。

人が亡くなった時と同じように聞かせていただけます。

愛するペットのいのちも助けると誓われた、
十方衆生」、「諸有衆生」と誓われた、
阿弥陀さまのお誓いを。

愛するペットの死を無駄にしないようにしたいですよね

そのような想いから、ペット葬儀を行っている葬儀社さんもたくさんあります。

今では、こんなに素敵なペット用のお仏壇も販売されております。

人も動物も、阿弥陀さまが放っておけなかった尊いいのちであります。

そのいのちのご縁を、ペット葬儀を通して、さらに味わっていくという姿勢が、お坊さんにはもっと必要だなぁと、私自身、さらに考えさせていただきました。

まとめ

  • 浄土真宗では、信心が救いの因であるが、動物は阿弥陀さまのみ教えを聞くことができないので浄土に生まれることができないと、一応は考えられます。しかし、阿弥陀さまは人間だけを救おうと誓われたのではなく、「すべてのいのち」を救おうと誓われていることに注目すべきであります。
  • 浄土真宗の門徒として、浄土真宗本願寺派前宗主の大谷光真氏の「生きとし生けるものを照らし、仏にしたいと願われている阿弥陀様ですから、人間とは別な手立てをご用意されていることでしょう」という教示の通り、「すべてのいのちを見捨てない」という阿弥陀さまの御心を味わうべきであります。
  • そもそも浄土真宗における葬儀とは、「私が読経することによって故人を送り届ける」のではなく、「阿弥陀さまの御心に私が出遇わせていただく」ための場でありますので、「ペットとの死別の機縁を無駄にしないため」にも大切に勤めるべきです。
  • ペット葬儀に対して否定的な態度を取られる僧侶もおられるそうですが、理屈を言う前に、「ペットが合掌する御縁を与えてくれている」という現実と、門信徒さまの気持ちを大切に、丁重に勤めさせていただくべきかなと、若輩者ながらおもうところであります。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m