私たちの歩む人生は、お浄土という目指すべき方向を与えられた意味のある人生であります

浄土真宗とは、
『仏説無量寿経』という経典のみ教えです。

そこには、
阿弥陀さまのお救いが説かれております。

そして、
阿弥陀さまが放っておけなかった私のすがたが説かれております。

その内容は、
2500年前に説かれたと思えないほど、
今を生きる私たちが共感できる内容ばかりでありました。

なんぞ衆事を棄てざらん。おのおの強健の時に曼びて、つとめて善を勤修し精進して度世を願ひ、極長の生を得べし。いかんぞ道を求めざらん。いづくんぞすべからく待つべきところある。なんの楽をか欲するや。かくのごときの世人、善をなして善を得、道をなして道を得ることを信ぜず。人死してさらに生じ、恵施して福を得ることを信ぜず。善悪の事すべてこれを信ぜずして、これをしからずと謂うてつひに是することあることなし。

どうして人々は世間の雑事をふり捨てないのか。各自が元気なうちにつとめて善い行いをし、ただ無量寿仏の国に生れたいと願うなら、限りない命が得られるのである。どうしてさとりを求めないのだろうか。何を期待しているのだろうか。いったいどういう楽しみを望んでいるのでしょう。
このような世間の人々は、 善い行いをして善い結果を得ることや、 仏道を修めてさとりを得ることを信じません。人が死ねば次の世に生れ変ることや、人に恵み施せば福が得られることを信じません。善悪因果の道理をまったく信じず、そのようなことはないと思い、あくまで認めようとしません。

「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)

上の見出しの言葉、少し難しいですよね。

私なんかは、お坊さんなのに読みづらい漢字がただ並んでいたら、見るだけで頭が痛くなってきます。

そこで、わかりやすく整理してみましょう。

厭離穢土欣求浄土

穢土」を「厭離」して、
浄土」を「欣求」する。

穢(けが)れたこの世をはなれて、清浄なお浄土に生まれることを願いましょう!

どれほど、私たちの世界が迷いの世界だと聞かされても、実感しても、「この世界を離れて仏さまの世界を願い求めよう!」という心は生じてきません。

この世界での快楽ばかりを追い求めて、気付いたら自分の欲望を大きくしてしまっているようであります。

そして、自分の欲望が叶ったら、また新たな欲望を叶えようと必死にもがき苦しんでいきます。

決して、私たちは満足しません。

そのような欲望の中を生きて、最終的にはいのちを終えてゆきます。

いのちを終えてしまっては、この世界で手に入れたすべてのものは失ってしまいます。

そうして、むなしく終わってしまう人生感では、自分自身があまりにも惨めです。

そのような私への呼びかけの言葉が、「厭離穢土欣求浄土」だと私は感じております。

この世界での欲望に埋もれてもがき苦しむ人生ではなく、お浄土という阿弥陀さまによって知らされた目指すべき方向性に向かってともに歩んで生きましょう!!

この「厭離穢土欣求浄土」という言葉を人生の指針とし、本当に意味のある充実した人生を送っていきたいものであります。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m