浄土真宗の勉強は、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただく楽しい時間

「安心論題」

難しそうな言葉ですが、「あんじんろんだい」と読みます。

現代では、「安心」は「あんしん」と読まれることが多いですが、本来は「あんん」と読むそうです。

安心 – Wikipedia

そして、一般的に使用される安心には「心が安らかに落ち着いていること」という意味がありますが、仏教では「安定した心」といった意味になります。

どちらも同じような意味ですね^^;

つまり、浄土真宗を開かれた親鸞さまと同じく、阿弥陀さまのお救いを正しく受け取らせていただき、心が安定していることであります。

「安心」という語は、善導大師の『往生礼讃』の前序(真聖全一―六四八)(往生礼讃 P.654)に、安心・起行・作業ということが述べられてありますが、その語を用いられたものでありましょう。この場合、安心の安とは安置・安定の意味であって、安心とは、どのように心を安置するか、どこに心を安定するかという意味と見られます。したがって、『往生礼讃』の前序では、安心として、至誠心・深心・廻向発願心の三心を示され、殊にそのなかの深心については、「真実の信心なり」と釈されています。こういうわけで、安心と信心とでは言葉のニュアンスはちがいますけれども、結局は同じことであるといえましょう。

(『やさしい安心論題の話』灘本愛慈著)より引用

親鸞さまのみ教えと違いがあってはいけませんので、浄土真宗本願寺派では「安心論題」として現在は17論題にまとめられており、「殿試」という試験の問題にもなっております。

その「安心論題」の勉強をしていると、「親鸞さまのみ教えが間違いなく伝わってきているんだなぁ」と尊く感じるとともに、ありがたかったので、その内容について図々しく僕の勉強としてつぶやいてみました。

本来、「安心論題」はそういうものではないと思いますが、固くならないように様々な表現を使用しております。ご了承ください。

【聞信義相】

聞信義相 〜そのまま聞いていることが、そのまんま信心〜

【三心一心】

三心一心 〜阿弥陀さまのお救いに疑い無くよろこぶ信楽一つ〜

【歓喜初後】

歓喜初後 〜み教えに出遇わせていただいたよろこびの人生〜

【二種深信】

二種深信 〜「何の役にも立たない私」のままが、「阿弥陀さまに救われている私」〜

【信心正因】

信心正因 〜絶対の信頼の中で、力強く生きる人生〜

【信一念義】

信一念義 〜信心を賜った時は意識されるべきものではありません。いつの間にやら賜った心豊かな人生を歩んでおりました〜

【タノムタスケタマヘ】

タノムタスケタマヘ 〜阿弥陀さまのお救いが先。「たのむ」心すら賜りもの〜

【所帰人法】

所帰人法 〜仏様と名号は別ものではありません。南無阿弥陀仏を通して阿弥陀さまのお救いを味わわせていただきましょう〜

【機法一体】

機法一体 〜私の信心と阿弥陀さまのおはたらきは、本来一体の南無阿弥陀仏〜

【十念誓意】

十念誓意 〜南無阿弥陀仏が出てくる尊い今を生きる〜

【六字釈義】

六字釈義 〜南無阿弥陀仏ひとつを恵まれた今を生きる〜

【念仏為本】

念仏為本 〜声になってまで至り届いている。私を救う阿弥陀さまのおはたらき〜

【行一念義】

行一念義 〜念仏は賜りもの。声にまでなってくださった阿弥陀さまのおはたらき〜

【称名報恩】

称名報恩 〜返しきれないご恩をよろこぶ人生。救いに関係ないけど、お念仏の努力はさせていただきましょう〜

【正定滅度】

正定滅度 〜お浄土に生まれて仏になる。間違いのないゴールを南無阿弥陀仏に賜る人生〜

【往還分斉】

往還分斉 〜命を終えることは「滅び」ではありません。尊い意味を賜っております〜

【平生業成】

平生業成 〜すでに間に合っています。いのち終える時まで不安を抱える必要はありません〜

【仏凡一体】

仏凡一体 〜私の心は真実になりませんが、阿弥陀さまの心と「ひとつになる」〜

【彼此三業】

彼此三業 〜阿弥陀さまと私たちは遠く離れた存在でありません〜

【五重義相】

五重義相 〜私の歩むただ信心のお救い。そして、信心の生活の尊さを知らされました。〜