キンカン大事件!善いも悪いも「自分の考え」「自分の都合」によって判断してました。

私が小学生の頃、学校帰りに一つの楽しみがありました。

いつも友達3人で向かっていた場所がありました。

それは、キンカン取り放題の路地です。笑

正確には、キンカンの実がはみ出している路地です。

みなさまも、近所の家から取ったことがあるのではないでしょうか?

僕は甘さと酸っぱさを味わえるキンカンを、学校の帰りにいつも食べておりました。

それが何よりの幸せでした・・・

その時は罪悪感すらなかったです・・・

放課後になると、友達3人で当たり前のようにキンカンを食べにいく。

そんな青春の最中、ある事件がありました。

いつものキンカンが「美味しくない」大事件勃発!

ある日曜日、いつもキンカンを一緒に採っていた友達の家に遊びに行きました。

するとおやつに、友達のお母さんがキンカンを出してくれました。

「あの路地にあるやつがこんなにたくさん!!」

そんなハイテンションのまま、いつもの友達3人でキンカンを食べたのですが、何か違和感が・・・

「なんかいつも食べてるのより不味い・・・」

結局、いつもならむさぼるように食べるのですが、その日は3粒だけゆっくり食べて終わりました。

せっかく出してくれているにも関わらず、残念な気持ちしかありませんでした。

友達も同じことを考えていたらしく、次の日の学校で、「なんで美味しくなかったんだろう?」そのような話し合いになりました。

その頃の僕たちの頭脳で答えが出るはずもありません。

悩みに悩んでいたのですが、友達はもっと悩みに悩んでいたそうです。

その日に友達は学校の先生にこう言ったそうです。

「先生、なんで買ったキンカンって不味いの?」

先生はこう思いました。

「買ったキンカン?」

その日の放課後、友達3人揃って先生に呼ばれました。

いつも他の家のキンカンを勝手に盗んで食べていたことを涙ながらに白状したことを覚えております。

それとともに、自分勝手な私は、友達に対して、「先生にチクリおって〜」という感情をいっぱいでした。

翌日に、いつも採っていたキンカンの家に、先生と一緒に謝りにいくことになりました。

翌日の放課後、その家に先生と向かいました。

その家のインターホンを先生が押しました。

私は、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしておりました。

家の人が僕たちの顔を見て一言、「あらっ、今日はどうしたの?

家の人がこちらを知っている感じだったので、僕たちは呆気に取られました。

先生が事情を説明した後に謝ると、こう言われました。

「そんなこといいわよ、いつも道まで綺麗にしてくれてたでしょ?」

取れる範囲にあるキンカンをむさぼるように食べていた僕たちにとって、最も取りやすいのは道に落ちているやつだったんです。

落ちているキンカンを拾って食べていたので、確かに道を綺麗にしていたことになっていたのでした。

そのあと家の人に言われた言葉があります。

「いつもありがとうね」

もう謝りに行ったのか、何をしに行ったのか全くわかりませんね。笑

次の日は、堂々と家の中庭には入らせていただき、キンカンを水道を借りてよく洗って食べさせていただきました。

その家は御門徒さまの御宅でした。

先日、法事でその話ばかりされて、法事に来られている方々に笑われながら、一緒にお勤めをして、阿弥陀さまのお話をさせていただきました。

家の方にとって、僕たちの存在は相当面白かったそうです。

そりゃあ学校帰りの小学生が道端に落ちているキンカンを食べまくっているんですもの。

今の時代では考えづらいことですよね。

そして、今になって考えることがあります。

それは、私が一緒にキンカンを食べていた友達のことをどう思っていたかです。

友達の家でキンカンを食べられた時、

「善いやつだなぁ〜」

そのように思っておりました。

ところが先生にキンカンを取っていたことをチクられたと思った時、

「悪いことしおって」

そのように思いました。

でも、家の方に謝った後は、

善いも悪いも考えておりませんでした。

なんか、私にとっての、「善い」、「悪い」とは、ぜんぶ私の都合ですね。

気付いたら自分の都合で、自分にとって都合のいいことを「善い」と捉え、都合のわるいことを「悪い」と捉える。

そんな私のすがたに気付かされた出来事でありました。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m