「本願力回向」という言葉で浄土真宗のみ教えは表現されます

「誰かが亡くなった時、あるいは法事の時に、お坊さんはお勤めをする」

そのようなイメージがあるでしょう。

お勤めをしている時、浄土真宗のお坊さんは、決して「亡くなった方のために供養している」のではありません。

当然のことながら、亡くなった方のためという気持ちも大切であります。

しかし、浄土真宗のお坊さんは、決して「亡くなった方のために供養している」のではありません。

法事とは、亡くなった方のいのちを無駄にしないためのご縁であります。

そのことについて、下のリンクでつぶやいてみました。

「法事」で気になった「正信念仏偈」についてつぶやいてみた・・・

浄土真宗では「供養」をしないだけで、亡くなった方のために供養する宗派ももちろんございます。

そのような、亡くなった方を供養するためのお勤めを「追善回向」と言います。

法事の目的は「追善回向」であると勘違いされやすいです

回向」とは、「回転して趣向すること」という意味であります。

コトバンクでは、次のように示されております。

回向(えこう)とは – コトバンク

仏教用語。廻向とも書く。自分が行なった善をめぐらし翻して,他人をも悟りの方向にさしむけること。転じて仏事法要を営んで死者を追善すること。

要するに法事での「追善回向」とは、「亡くなった方を供養するために、善を追って差しむける」という意味であります。

浄土真宗では、決して「追善回向」はしません

見出しの通り、浄土真宗では、決して「追善回向」はしません!

その理由は明確です。

私たちが亡くなった方のために「追善」したり、「供養」したりする必要がないからです。

ご存知の通り、浄土真宗というみ教えでは、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただきます。

阿弥陀さまのお救いは、今、私たちに至り届いております。

そして、今、信心を賜り、いのちを終えるというご縁によって阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただきます。

つまり、阿弥陀さまによって私たちの救いは完結されておりますので、私が「追善回向」するといった余計なことをする必要はありません。

自然と湧いてくる、愛する方のために「供養したい」という気持ちは大切にしたいですし、その気持ちがダメなのではありません。

しかし、「亡くなった方が仏様になれるように」という祈りは、阿弥陀さまのお救いを疑っているような気がして、違和感があります。

「私が心配する必要はなかったんだ!」
「それほどの阿弥陀さまのお救いを、今、当たり前のように恵まれているんだ!」

そのような心持ちで、法事などの仏縁を大切にしたいものです。

「本願力回向」〜今、功徳を恵まれております〜

「私が追善する必要がない」理由は、「私が決して積み上げることのできないほどの功徳を、阿弥陀さまによって与えられている」からであります。

そのような事実を、「本願力回向」と言います。

あらゆる方々を、阿弥陀さまのお誓いを疑いなく信じ、お念仏を称える人生を歩む身に育て上げ、お浄土に導く」という一方的な阿弥陀さまのおはたらきを「本願力」と言います。

詳しくは、下のリンクでつぶやいてみました。

「他力本願」の主体は阿弥陀さま。「阿弥陀さまが支えとなってくださる人生」を教えてくれる言葉。

阿弥陀さまの「本願力」というはたらきは、南無阿弥陀仏となって私たちに至り届いております。

このように、あらゆる方々に南無阿弥陀仏を与えて救うことを、親鸞聖人は「本願力回向」と示されました。

親鸞聖人は『浄土文類聚鈔』という書物に次のように示されております。

しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。

「本願力回向」に「往相」、二つには「還相」という二種類のはたらきがあると示されております。

「往相」とは「お浄土に往くはたらき」という意味であり、「還相」とは「お浄土から還るはたらき」という意味であります。

阿弥陀さまによる本願力回向のはたらきによって、お浄土に往かせていただき、仏のいのちを賜ったならば、今度は、この世界に還ってあらゆる方々をお浄土に導いて往く活動をさせていただけます。

そのことについて、下のリンクでつぶやいてみました。

お浄土に生まれて終わりではありません。仏のいのちを賜ってから、本当の自由がはじまります!

浄土真宗のみ教えとは、お浄土に生まれて終わりではありません。この世界に還らせていただくところまで阿弥陀さまに先に誓われております。

そして、その功徳のすべてが「南無阿弥陀仏」に込められ、南無阿弥陀仏となって私たちにはたらき続けておられるままが、「本願力回向」であります。

また、親鸞聖人の主著である『教行証文類』でも、前に挙げた『浄土文類聚鈔』と同様の意味で述べられている箇所があります。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

『浄土文類聚鈔』では「本願力の回向」と言われていた箇所が「浄土真宗」になっております。

このお示しにより、浄土真宗とは、本願力回向のみ教えであることがわかります。

本願力とは、「阿弥陀さまが私を救うというはたらき」であり、そのおはたらきのままに「南無阿弥陀仏」と私たちにはたらき通しのすがたが本願力回向でありました。

そして、「お浄土に生まれるはたらき」と「この世界に還らせていただくはたらき」まで、本願力回向によって成し得るものであり、それこそが浄土真宗のみ教えの根幹であったのであります。

浄土真宗のみ教えを聞かせていただくということは、「南無阿弥陀仏」一つによって私が救われてゆくという、本願力回向のはたらきを賜る生涯であります。

私が阿弥陀さまのお誓いをありがたいと思わせていただき、お念仏称えているという不思議な現象そのものが本願力回向のはたらきの賜物であったと知らされる、他人とともによろこんでいける南無阿弥陀仏の人生をともに歩ませていただきましょう。

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