「お葬式」は正式には「葬送儀礼」と言います。「葬送儀礼」には色々なお勤めがあってビックリした件!

葬送儀礼」とは、お葬式に関するすべてのことであり、
葬送に関する儀礼全般」のことであります。

お葬式の時には、何度もお勤めがありますよね。

そのすべてを挙げてみましょう。

臨終勤行
納棺勤行
通夜勤行
出棺勤行
葬場勤行
火屋勤行
収骨勤行
還骨勤行

葬送儀礼それぞれの意味は?

臨終勤行

「臨終勤行」とは、いのち終えていく時に臨んで、故人自身が阿弥陀さまへの御恩を報謝のために執り行う勤行であります。

しかし、故人が勤行することは不可能なため、僧侶が変わって親族とともにお勤めをします。また、故人の枕元で勤行されるため「枕経」と言われることがありますが、正式には「臨終勤行」と言います。

納棺勤行

「納棺勤行」とは、ご遺体を棺に納めた後に執り行う勤行であります。

礼拝の対象は故人ではなく、棺中に納められる「南無阿弥陀仏」の六字が書かれた「納棺尊号」です。

故人も、遺された者も、ともに尊号となってあらわれている阿弥陀さまに導かれていることを思わせていただく御縁であります。

通夜勤行

「通夜勤行」とは、葬場勤行までの夜毎に、親近者をはじめ、有縁の人々で、ともに夜を通して執り行われる勤行であります。

生前の故人を思い出しつつ、厚情に感謝しつつ、ともに阿弥陀さまに抱かれていることを思わせていただく御縁であります。

出棺勤行

「出棺勤行」とは、ご遺体を納めた棺を葬場に送り出すにあたって執り行われる勤行であります。

なお、同じ場で、「出棺勤行」に続いて、次の「葬場勤行」が執り行われることが多くなっております。

葬場勤行

「葬場勤行」とは、有縁のものが集まり、葬場において執り行われる勤行であります。

この葬場勤行が、一般的には「お葬式」と言われており、葬送儀礼の中心と捉えられている儀式です。

なお、弔辞・弔電の披露は対象を故人とされていますが、葬送儀礼の対象は阿弥陀さまです。ゆえに、本来ならば、弔辞・弔電の披露と葬送儀礼は区別されなくてはなりません。

火屋勤行

「火屋勤行」とは、火葬場において、ご遺体を火葬する前に執り行われる勤行です。

収骨勤行

「収骨勤行」とは、収骨した後に、火葬場において、御本尊の前で執り行われる勤行です。

還骨勤行

「還骨勤行」とは、火葬場から遺骨を持ち帰り、御本尊の前に置き、御本尊に対して執り行われる勤行であります。

これらの勤行を、まとめて「葬送儀礼」といいます。

現代の葬送儀礼について

「葬送儀礼」では、亡き方を縁として、私たちが法縁に出遇わせていただくべきなのですが、現代では宗教的要素や社会的要素が失われつつあります。

たとえば、無宗教を謳った「お別れ会」のような形態や、社会的規模を縮小した遺族や近親者のみの「家族葬、直葬」などが増加している傾向にあります。

どのような葬儀の形態であれ、ご遺族の気持ちが込められているので決して否定することはできません。

しかし、現代の葬儀の形態では宗教的、社会的な意味合いが失われつつある現状を明確に示しているように思われます。

なぜこのような時代になってきたのでしょうか。

理由は多く挙げることができますが、特に強く感じる理由が一つあります。

人間関係の希薄化が葬儀の形態を縮小させています

いつの間にか、葬送儀礼だけではなく法事なども親族にとっては負担のかかる行事のようになっているように感じます。来られた方に気を使うことに終始し、法縁に出遇わせていただくという、本来の目的を感じづらいのかも知れません。

話が飛びますが、お釈迦様が死を迎えた時、あらゆる人々にとって大きな衝撃でありました。

その時、弟子の阿難尊者は悲しみに打ちひしがれていたのですが、阿泥樓駄尊者はお釈迦様の死の現実を受け止め、泣き崩れる阿難尊者に、お釈迦様から聞いていた教えを夜通し説いたと伝えられています。

この場面から、死の悲しみを通して、いのちの儚さを知らされるとともに、お釈迦様の説法を聴聞するという法縁が開かれていることを感じ取れると思います。

葬送儀礼は、親近者の死を通して、遺されたものが親近者の厚情に感謝しつつ、法縁に出遇わせていただくように勤められるべきです。

愛する方との別れの悲しさや、様々な感情が湧き上がるご縁を通して、合掌をしたことがなかった方も、すべての方を受けいれてくれる阿弥陀さまがおられることを感じあえればと思います。

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