『仏説無量寿経』には、悲しく恥ずかしい、今を生きる私の本当のすがたが説かれております。「五悪段」

浄土真宗というみ教えでは、阿弥陀さまのお救いを聞かせていただきます。

阿弥陀さまのお救いを説かれた経典の中でも、「救われ難い私を救う」ための阿弥陀さまのお誓いが説かれている『仏説無量寿経』こそが真実の経典であると親鸞聖人は示されました。

『仏説無量寿経』の中では、私たちの本当のすがたを説かれている箇所があります。

その箇所を味わいますと、まるで今を生きている私たちをご覧になっているようで、本当に悲しく恥ずかしい思いにさせていただくところであります。

人と比べて内省しても、それは真実ではありません。

しかし、仏さまが説かれた私のすがたですから、間違いのない真実であります。

ここでは『仏説無量寿経』「五悪段」を、「原文」、「書き下し文」、「現代語訳」から味わっていきたく思っております。

なお、今ページでは「五悪段」そのままをコピーするだけであります。
別ページにてその味わいをつぶやいていきたく思っておりますので、ご了承ください。

原文

仏言其一悪者諸天人民蠕動之類欲為衆悪莫不皆然強者伏弱転相剋賊残害殺戮迭相呑噬不知修善悪逆無道後受殃罰自然趣向神明記識犯者不赦故有貧窮下賤乞丐孤独聾盲愚痴弊悪至有狂不逮之属又有尊貴豪富高才明達皆由宿世慈孝修善積徳所致世有常道王法牢獄不肯畏慎為悪入罪受其殃罰求望解脱難得免出世間有此目前見事寿終後世尤深尤劇入其幽冥転生受身譬如王法痛苦極刑故有自然三塗無量苦悩転貿其身改形易道所受寿命或長或短魂神精識自然趣之当独値向相従共生更相報復無有絶已殃悪未尽不得相離展転其中無有出期難得解脱痛不可言天地之間自然有是雖不即時卒暴応至善悪之道会当帰之是為一大悪一痛一焼勤苦如是譬如大火焚焼人身人能於中一心制意端身正行独作諸善不為衆悪者身独度脱獲其福徳度世上天泥之道是為一大善也
仏言其二悪者世間人民父子兄弟室家夫婦都無義理不順法度奢婬驕縦各欲快意任心自恣更相欺惑心口各異言念無実佞諂不忠巧言諛媚嫉賢謗善陥入怨枉主上不明任用臣下臣下自在機偽多端践度能行知其形勢在位不正為其所欺妄損忠良不当天心臣欺其君子欺其父兄弟夫婦中外知識更相欺誑各懐貪欲瞋恚愚痴欲自厚己欲貪多有尊卑上下心倶同然破家亡身不顧前後親属内外坐之而滅或時室家知識郷党市里愚民野人転共従事更相利害忿成怨結富有慳惜不肯施与愛宝貪重心労身苦如是至竟無所恃怙独来独去無一随者善悪禍福追命所生或在楽処或入苦毒然後乃悔当復何及世間人民心愚少智見善憎謗不思慕及但欲為悪妄作非法常懐盗心望他利消散糜尽而復求索邪心不正懼人有色不予思計事至乃悔今世現有王法牢獄随罪趣向受其殃罰因其前世不信道徳不修善本今復為悪天神剋識別其名籍寿終神逝下入悪道故有自然三塗無量苦悩展転其中世世累劫無有出期難得解脱痛不可言是為二大悪二痛二焼勤苦如是譬如大火焚焼人身人能於中一心制意端身正行独作諸善不為衆悪者身独度脱獲其福徳度世上天泥之道是為二大善也
仏言其三悪者世間人民相因寄生共居天地之間処年寿命無能幾何上有賢明長者尊貴豪富下有貧窮廝賤劣愚夫中有不善之人常懐邪悪但念婬煩満胸中愛欲交乱坐起不安貪意守惜但欲唐得眄細色邪態外逸自妻厭憎私妄入出費損家財事為非法交結聚会興師相伐攻劫殺戮強奪不道悪心在外不自修業盗窃趣得欲繋成事恐熱迫帰給妻子恣心快意極身作楽或於親属不避尊卑家室中外患而苦之亦復不畏王法禁令如是之悪著於人鬼日月照見神明記識故有自然三塗無量苦悩展転其中世世累劫無有出期難得解脱痛不可言是為三大悪三痛三焼勤苦如是譬如大火焚焼人身人能於中一心制意端身正行独作諸善不為衆悪者身独度脱獲其福徳度世上天泥之道是為三大善也
仏言其四悪者世間人民不念修善転相教令共為衆悪両舌悪口妄言綺語讒賊闘乱憎嫉善人敗壊賢明於傍快喜不孝二親軽慢師長朋友無信難得誠実尊貴自大謂己有道横行威勢侵易於人不能自知為悪無恥自以強健欲人敬難不畏天地神明日月不肯作善難可降化自用偃謂可常爾無所憂懼常懐驕慢如是衆悪天神記識頼其前世頗作福徳小善扶接営護助之今世為悪福徳尽滅諸善鬼神各共離之身独空立無所復依寿命終尽諸悪所帰自然迫促共趣頓之又其名籍記在神明殃咎牽引当往趣向罪報自然無従捨離但得前行入於火身心摧砕精神痛苦当斯之時悔復何及天道自然不得蹉跌故有自然三塗無量苦悩展転其中世世累劫無有出期難得解脱痛不可言是為四大悪四痛四焼勤苦如是譬如大火焚焼人身人能於中一心制意端身正行独作諸善不為衆悪者身独度脱獲其福徳度世上天泥之道是為四大善也
仏言其五悪者世間人民徙倚懈惰不肯作善治身修業家室眷属飢寒困苦父母教誨瞋目怒言令不和違戻反逆譬如怨家不如無子取与無節衆共患厭負恩違義無有報償之心貧窮困乏不能復得辜較縦奪放恣遊散串数唐得用自賑給耽酒嗜美飲食無度肆心蕩逸魯扈牴突不識人情強欲抑制見人有善憎嫉悪之無義無礼無所顧難自用職当不可諫暁六親眷属所資有無不能憂念不惟父母之恩不存師友之義心常念悪口常言悪身常行悪曾無一善不信先聖諸仏経法不信行道可得度世不信死後神明更生不信作善得善為悪得悪欲殺真人闘乱衆僧欲害父母兄弟眷属六親憎悪願令其死如是世人心意倶然愚痴矇昧而自以智慧不知生所従来死所趣向不仁不順悪逆天地而於其中望僥倖欲求長生会当帰死慈心教誨令其念善開示生死善悪之趣自然有是而不肯信之苦心与語無益其人心中閉塞意不開解大命将終悔懼交至不予修善臨窮方悔悔之於後将何及乎天地之間五道分明恢廓窈窕浩浩茫茫善悪報応禍福相承身自当之無誰代者数之自然応其所行殃咎追命無得縦捨善人行善従楽入楽従明入明悪人行悪従苦入苦従冥入冥誰能知者独仏知耳教語開示信用者少生死不休悪道不絶如是世人難可具尽故有自然三塗無量苦悩展転其中世世累劫無有出期難得解脱痛不可言是為五大悪五痛五焼勤苦如是譬如大火焚焼人身人能於中一心制意端身正念言行相副所作至誠所語如語心口不転独作諸善不為衆悪者身独度脱獲其福徳度世上天泥之道是為五大善也

書き下し文

仏のたまはく、「その一つの悪とは、諸天・人民、蠕動の類、衆悪をなさんと欲へり、みなしからざるはなし。強きものは弱きを伏し、うたたあひ剋賊し、残害殺戮してたがひにあひ呑噬す。善を修することを知らず、悪逆無道にして、後に殃罰を受けて、自然に〔悪道に〕趣向す。神明は記識して、犯せるものを赦さず。ゆゑに貧窮・下賤・乞丐・孤独・聾・盲・愚痴・弊悪のものありて、狂・不逮の属あるに至る。また尊貴・豪富・高才・明達なるものあり。みな宿世に慈孝ありて、善を修し徳を積むの致すところによるなり。世に常道の王法の牢獄あれども、あへて畏れ慎まず。悪をなし罪に入りてその殃罰を受く。解脱を求望すれども、免れ出づることを得がたし。世間に、この目前に見ることあり。寿終りて後世に〔受くるところの苦しみは〕もつとも深く、もつとも劇し。その幽冥に入り、生を転じて身を受くること、たとへば王法の痛苦極刑なるがごとし。ゆゑに自然の三塗無量の苦悩ありて、うたたその身を貿へ、形を改め、〔生死輪廻して〕道を易へて、受くるところの寿命、あるいは長く、あるいは短し。魂神精識、自然にこれに趣く。まさに独り値ひ向かひ、あひ従ひてともに生れて、たがひにあひ報復して絶えやむことあることなかるべし。殃悪いまだ尽きざれば、あひ離るることを得ず。そのなかに展転して出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。天地のあひだに自然にこれあり。即時ににはかに善悪の道に至るべからずといへども、かならずまさにこれに帰すべし。これを一つの大悪・一つの痛・一つの焼とす。勤苦かくのごとし。たとへば大火の人身を焚焼するがごとし。人よくなかにおいて一心に意を制し、身を端しくし行ひを正しくして、独りもろもろの善をなして衆悪をなさざれば、身独り度脱して、その福徳・度世・上天・泥の道を獲ん。これを一つの大善とす」と。

仏のたまはく、「その二つの悪とは、世間の人民、父子・兄弟・室家・夫婦、すべて義理なくして法度に順はず。奢婬・驕縦にしておのおの意を快くせんと欲へり。心に任せてみづからほしいままにたがひにあひ欺惑す。心口おのおの異にして、言念実なし。佞諂不忠にして、巧言諛媚なり。賢を嫉み善を謗りて、怨枉に陥し入る。主上あきらかならずして、臣下を任用すれば、臣下自在にして機偽多端なり。度を践みよく行ひてその形勢を知る。位にありて正しからざれば、それがために欺かれ、みだりに忠良を損じて天心に当らず。臣はその君を欺き、子はその父を欺く。兄弟・夫婦・中外・知識、たがひにあひ欺誑す。おのおの貪欲・瞋恚・愚痴を懐きて、みづからおのれを厚くせんと欲ひ、多くあることを欲貪す。尊卑・上下、心ともに同じくしかなり。家を破り身を亡ぼし、前後を顧みず、親属内外これによりて滅ぶ。ある時は室家・知識・郷党・市里・愚民・野人、うたたともに事に従ひてたがひにあひ利害し、忿りて怨結をなす。富有なれども慳惜してあへて施与せず。宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。かくのごとくして、竟りに至りて恃怙するところなし。独り来り独り去り、ひとりも随ふものなけん。善悪・禍福、命を追ひて生ずるところなり。あるいは楽処にあり、あるいは苦毒に入る。しかる後に、いまし悔ゆともまさにまたなんぞ及ぶべき。世間の人民、心愚かにして智少なし。善を見ては憎み謗りて、慕ひ及ばんことを思はず、ただ悪をなさんと欲ひて、みだりに非法をなす。つねに盗心を懐きて他の利を望す。消散し糜尽してしかもまた求索す。邪心にして正しからざれば、人の色ることあらんことを懼る。あらかじめ思ひ計らずして、事至りていまし悔ゆ。今世に現に王法の牢獄あり。罪に随ひて趣向してその殃罰を受く。その前世に道徳を信ぜず、善本を修せざるによりていままた悪をなさば、天神、剋識してその名籍を別つ。寿終り、神逝きて悪道に下り入る。ゆゑに自然の三塗の無量の苦悩あり。そのなかに展転して世々に劫を累ねて出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。これを二つの大悪・二つの痛・二つの焼とす。勤苦かくのごとし。たとへば大火の人身を焚焼するがごとし。人よくなかにおいて一心に意を制し、身を端しくし行ひを正しくして、独りもろもろの善をなして衆悪をなさざれば、身独り度脱して、その福徳・度世・上天・泥の道を獲ん。これを二つの大善とす」と。

仏のたまはく、「その三つの悪とは、世間の人民、あひより寄生してともに天地のあひだに居す。処年寿命、よくいくばくなることなし。上に賢明・長者・尊貴・豪富あり。下に貧窮・廝賤・劣・愚夫あり。なかに不善の人ありてつねに邪悪を懐けり。ただ婬を念ひて、煩ひ胸のうちに満ち、愛欲交乱して坐起安からず。貪意守惜して、ただいたづらに得んことを欲ふ。細色を眄して邪態ほかにほしいままにす。自妻をば厭ひ憎みて、ひそかにみだりに入出す。家財を費損して、事非法をなす。交結聚会して師を興してあひ伐つ。攻め劫ひ殺戮して強奪すること不道なり。悪心ほかにありてみづから業を修せず。盗窃して趣かに得れば、欲繋して事をなす。恐熱迫して妻子に帰給す。心をほしいままにし、意を快くし、身を極めて楽しみをなす。あるいは親属において尊卑を避けず。家室・中外患へてこれに苦しむ。またまた王法の禁令を畏れず。かくのごときの悪は人・鬼に著され、日月も照見し、神明も記識す。ゆゑに自然の三塗の無量の苦悩あり。そのなかに展転して世々に劫を累ねて出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。これを三つの大悪・三つの痛・三つの焼とす。勤苦かくのごとし。たとへば大火の人身を焚焼するがごとし。人よくなかにおいて一心に意を制し、身を端しくし行ひを正しくして、独りもろもろの善をなして衆悪をなさざれば、身独り度脱して、その福徳・度世・上天・泥の道を獲ん。これを三つの大善とす」と。

仏のたまはく、「その四つの悪とは、世間の人民、善を修せんと念はず、うたたあひ教令してともに衆悪をなす。両舌・悪口・妄言・綺語、讒賊闘乱す。善人を憎嫉し、賢明を敗壊して、傍らにして快喜す。二親に孝せず、師長を軽慢し、朋友に信なくして、誠実を得がたし。尊貴自大にしておのれに道ありと謂ひ、横に威勢を行じて人を侵易し、みづから知ることあたはず。悪をなして恥づることなし。みづから強健なるをもつて、人の敬難せんことを欲へり。天地・神明・日月を畏れず、あへて善をなさず、降化すべきこと難し。みづからもつて偃して、つねにしかるべしと謂ひ、憂懼するところなく、つねに驕慢を懐けり。かくのごときの衆悪、天神記識す。その前世にすこぶる福徳をなせるによりて、小善扶接し営護してこれを助く。今世に悪をなして福徳ことごとく滅しぬれば、もろもろの善鬼神、おのおのともにこれを離る。身独り空しく立ちて、またよるところなし。寿命終り尽きて諸悪の帰するところ自然に迫促してともに趣きてこれに頓る。またその名籍、記して神明にあり。殃咎牽引して、まさに往いて〔悪道に〕趣向すべし。罪報自然にして従ひて捨離することなし。ただ前み行いて火に入ることを得て、身心摧砕し精神痛苦す。この時に当りて悔ゆともまたなんぞ及ばん。天道自然にして、蹉跌することを得ず。ゆゑに自然の三塗の無量の苦悩あり。そのなかに展転して、世々に劫を累ねて出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。これを四つの大悪・四つの痛・四つの焼とす。勤苦かくのごとし。たとへば大火の人身を焚焼するがごとし。人よくなかにおいて、一心に意を制し、身を端しくし行ひを正しくして、独りもろもろの善をなして衆悪をなさざれば、身独り度脱して、その福徳・度世・上天・泥の道を獲ん。これを四つの大善とす」と。

仏のたまはく、「その五つの悪とは、世間の人民、徙倚懈惰にして、あへて善をなし身を治め業を修せずして、家室眷属、飢寒困苦す。父母、教誨すれば、目を瞋らし怒りてふ。言令和らかならず。違戻し反逆すること、たとへば怨家のごとし。子なきにしかず。取与に節なくして、衆ともに患へ厭ふ。恩に負き義に違して報償の心あることなし。貧窮困乏にしてまた得ることあたはず。辜較縦奪してほしいままに遊散す。しばしばいたづらに得るに串ひて、もつてみづから賑給す。酒に耽り、美きを嗜みて、飲食、度なし。心をほしいままに蕩逸して魯扈牴突す。人の情を識らず、しひて抑制せんと欲ふ。人の善あるを見て、憎嫉してこれを悪む。義なく礼なくして〔わが身を〕顧み難るところなし。みづからもつて職当して諫暁すべからず。六親眷属の所資の有無、憂念することあたはず。父母の恩を惟はず、師友の義を存せず。心につねに悪を念ひ、口につねに悪をいひ、身につねに悪を行じて、かつて一善もなし。先聖・諸仏の経法を信ぜず、道を行じて度世を得べきことを信ぜず、死して後に神明さらに生ずることを信ぜず。善をなせば善を得、悪をなせば悪を得ることを信ぜず。真人を殺し、衆僧を闘乱せんと欲ひ、父母兄弟眷属を害せんと欲ふ。六親、憎悪してそれをして死せしめんと願ふ。かくのごときの世人、心意ともにしかなり。愚痴矇昧にしてみづから智慧ありと以うて、生の従来するところ、死の趣向するところを知らず。仁ならず、順ならず、天地に悪逆してそのなかにおいて僥倖を望し、長生を求めんと欲すれども、かならずまさに死に帰すべし。慈心をもつて教誨して、それをして善を念ぜしめ、生死・善悪の趣、自然にこれあることを開示すれども、しかもあへてこれを信ぜず。心を苦きてともに語れども、その人に益なし。心中閉塞して意開解せず。大命まさに終らんとするに、悔懼こもごも至る。あらかじめ善を修せずして、窮まるに臨んでまさに悔ゆ。これを後に悔ゆともまさになんぞ及ばんや。天地のあひだに五道〔の輪廻の道理〕、分明なり。恢廓窈窕として浩々茫々たり。善悪報応し、禍福あひ承けて、身みづからこれに当る。たれも代るものなし。数の自然なり。その所行に応じて、殃咎、命を追うて、縦捨を得ることなし。善人は善を行じて、楽より楽に入り、明より明に入る。悪人は悪を行じて、苦より苦に入り、冥より冥に入る。たれかよく知るものぞ、独り仏の知りたまふのみ。教語開示すれども、信用するものは少なし。生死休まず、悪道絶えず。かくのごときの世人、つぶさに〔述べ〕尽すべきこと難し。ゆゑに自然の三塗の無量の苦悩あり。そのなかに展転して世々に劫を累ねて出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。これを五つの大悪・五つの痛・五つの焼とす。勤苦かくのごとし。たとへば大火の人身を焚焼するがごとし。人よくなかにおいて一心に意を制し、身を端しくし念を正しくして、言行あひ副ひ、なすところ誠を至し、語るところ語のごとく、心口転ぜずして、独りもろもろの善をなして衆悪をなさざれば、身独り度脱して、その福徳・度世・上天・泥の道を獲ん。これを五つの大善とす」と。

現代語訳

第一の悪とは次のようであります。

天人や人々をはじめ小さな虫のたぐいに至るまで、すべてのものはいろいろな悪を犯しているのであって、強いものは弱いものをしいたげ、互いに傷つけあい殺しあっております。

善い行いをすることを知らずに、五逆十悪の罪を犯して道にはずれているものは、後にその罪の罰としておのずから悪い世界へ行かなければなりません。天地の神々がその人の犯した罪を記録していて、決して許しません。それでこの世には、貧しいものや、身分の低いものや、身よりのないものや、心身の不自由なものや、才知の劣ったものなどさまざまな不幸な人がいるのであります。また身分の高いものや、裕福なものや、才知のすぐれたものなどがいるのは、みな過去世で人を慈しみ、親に孝行を尽すというような善い行いをして徳を積んだことによるのであります。

世の中には法令に定められた牢獄があるのに、少しも恐れないで悪い行いをし、罪を犯してその刑罰を受けます。それをどれほど逃れたいと思っても、逃れることはできません。この世にも現にこのような苦痛があります。さらに命を終えて後の世には、ひときわ深く激しい苦痛を受けなければなりません。苦しみの世界に生れ変ることは、この世界でもっともきびしい刑罰を受けるのと同じほどの苦痛なのです。

このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界で、はかり知れない苦しみを受けます。次々ととその身を変え姿を変えて苦しみの姿をめぐり、長短の寿命を受けるのであって、そのこころはおのずから行くべきところに行くのです。そしてたとえひとりで行っても、前世に憎みあったもの同士は同じところに生れあわせ、かわるがわる報復しあって尽きることがなく、犯した罪が消えない限り、互いに離れることができません。こうして地獄や餓鬼や畜生の世界を転々とめぐって、浮かび出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しい。その痛ましさはとてもいい表すことができません。

世の中にはこのような因果の道理があります。たとえ善悪の行いによって、すぐにその結果が現れなくても、いつかは必ずその報いを受けなければなりません。これを第一の大悪、第一の痛、第一の焼といいます。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようであります。

もしこのような迷いの世界の中で、悪い心が起きないように努め、身も行いも正しくし、さまざまな善い行いをして悪を犯さなければ、その人は苦しみを逃れて功徳を得、迷いの世界を離れて浄土に生れ、さとりを得ることができるのであります。これを第一の大善といいます。

第二の悪とは次のようであります。

世間の人々は、親子も兄弟も夫婦など一家のものも道義をまったくわきまえず、規則にしたがわず、贅沢を好み、みだらで、人を見下し、勝手気ままで、各自が快楽を求め、思いのままに互いを欺き惑わしあっています。言葉と思いが別々で、そのどちらも誠実でなく、へつらい上手でまごころに欠け、言葉巧みにお世辞をいい、賢いものをねたみ、善人を悪くいい、他人をけなしおとしいれるのであります。

もし上に立つものが愚かであり、よく考えずに下のものを用いると、下のものは、思うがままにいろいろな策を弄して巧みに悪事をはたらきます。国法を守り世情によく通じたものがいても、上に立つものがその地位にふさわしい力量をそなえていないから、そのために欺かれて、忠義を尽すものはかえって不遇な目にあうばかりであります。これは道理に反しております。
このように下のものが上のものを欺き、子は親を欺き、兄弟・夫婦・親族・知人に至るまで、互いに欺きあっているのであります。それは各自が貪りと怒りと愚かさをいだいて、できるだけ自分が得をしようと思うからであって、この心は身分や地位にかかわらず、みな同じです。そのために家を失い身を滅ぼし、先のことも後のこともよく考えないで親類縁者まで被害にあって破滅してしまうのです。

あるときは、親族や知人、町や村のもの、また素性の知れないものたちが、ともに悪事にたずさわり、互いに利害を争って腹を立て、 恨みをいだくこともあります。また裕福でありながらも物惜しみして人に施し与えようとせず、財産に執着するばかりで身も心もすりへらしてしまいます。こうしていよいよ命が終るときには何もあてにできるものがなく、結局、独り生れ来て独り世を去るのであって、何も持っていくことはできません。善も悪も禍も福も、すべては因果の道理にしたがうのであり、天人や人間として生れるものもいれば、地獄や餓鬼や畜生の世界に生れるものもいます。そうなってからいくら後悔しても、もはやどうにもなりません。

世間の人々は愚かで智慧も浅く、善い行いを見ればそれを悪くいい、その行いを見習おうと思わず、ただ悪事を好んで、道義に背いたことばかりをするのであります。他人が得をしていると、それを見ていつもうらやみ、盗んで手に入れようと思い、盗めばすぐに使いはたして、また手に入れようとします。心がよこしまで正しくないから、いつも他人の顔色をうかがい恐れ、先のことなど考えもせず、事が起きてようやく後悔するというありさまであります。

この世には現に法令に定められた牢獄があるから、罪に応じてその刑罰を受けなければなりません。前世においてさとりの徳を信じず、功徳を積まずに、この世でまた悪を犯すなら、天の神がその罪を漏らさず記録しているから、命が終れば悪い世界に落ちなければならないのであります。

このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界ではかり知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって、果てしなく長い間浮び出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しいのです。その痛ましさはとてもいい表すことができません。これを、第二の大悪、第二の痛、第二の焼というのです。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようであります。

もしこのような迷いの世界の中で、悪い心が起きないように努め、身も行いも正しくし、さまざまな善い行いをして悪を犯さなければ、その人は苦しみを逃れて功徳を得、迷いの世界を離れて浄土に生れ、さとりを得ることができるでありましょう。これを第二の大善というのであります。

第三の悪とは次のようであります。

世間の人々は、みな寄り集まって同じ世界の中に住んでいるが、その生きている年月はそれほど長くはありません。しかしその短い生涯の中にも、上は賢いものや力のあるもの、また身分の高いものや裕福なものなど、下は貧しいものや身分の低いもの、また力のないものや愚かなものなどにわかれます。そしてそのどちらの中にも、善くないものがいるのであります。

そのものはいつもよこしまな思いをいだき、みだらなことばかり考えて、悶々と思い悩み、愛欲の心が入り乱れて、何をしていても安まることがありません。そしてあくまで執念深く、みだらな思いをとげようとばかりします。きれいな人を見ては流し目を使ってみだらな振舞いをし、自分の妻をうとましく思ってひそかに他の女性のところに出入りするのです。そのために家財を使いはたして、ついには法を犯すようになるのであります。

あるものは徒党を組んで互いに争い、相手をおどかし攻め殺してまで欲しいものを強奪するという非道な行いに及びます。あるものは他人の財産に目をつけ、自分の仕事をおこたり、それを盗んで少しでも得られると、欲にかられて一層大きな悪事をはたらくようになります。そしてついには、びくびくしながらも他人をおどして財産を奪い取り、それによって妻子を養い、手当たり次第にみだらな楽しさをむさぼる。ときには親族に対してさえも、年の上下に関係なく礼儀を乱して、家族や親類などがそのために憂え苦しむのであります。

このような人々は法令で禁じていることを恐れないものであるが、こういう悪は人にも鬼神にも知られ、太陽や月の光も照らし出し、天地の神も記録しています。このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界ではかり知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって、果てしなく長い間浮び出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しいのです。その痛ましさはとてもいい表すことができません。これを第三の大悪、第三の痛、第三の焼といいます。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようであります。

もしこのような迷いの世界の中で、悪い心が起きないように努め、身も行いも正しくし、さまざまな善い行いをして悪を犯さなければ、その人は苦しみを逃れて功徳を得、迷いの世界を離れて浄土に生れ、さとりを得ることができるでしょう。これを第三の大善というのであります。

第四の悪とは次のようであります。

世間の人々は善い行いをしようとせず、互いに次々と人をそそのかして、さまざまな悪を犯しています。二枚舌を使い、人の悪口をいい、嘘をつき、言葉を飾りへつらって、人を傷つけ争いを起こすのであります。

あるいは善人をねたみ賢いものをおとしめて、自分は陰にまわってよろこぶのです。また両親に孝行をせず、恩師や先輩を軽んじ、友人に信用なく、何ごとも誠実さを欠いています。しかも自分自身は尊大に構えて、自分ひとりが正しいと思い、むやみに威張って人を侮り、自分の誤りを知らずに悪を犯して恥じることがありません。また自分の力を誇って、人が敬い恐れることを望むというありさまであります。

このような人々は天地の神々や太陽や月に知られることを恐れず、教え導いても善い行いをせず、まったく手の施しようがありません。自身は横着を決めこんで、いつまでもそうしていられると思い、将来を憂えることなどなく、いつも傲慢な心をいだいているのであります。

このようなさまざまな悪は天の神によって残らず記録されるのです。だから、その人が前世で少しばかり功徳を積んでいたことにより、しばらくの間はそのおかげで都合よくいくとしても、この世で悪を犯して功徳が尽きてしまえば、多くの善鬼神に見放され、ひとりきりとなり、もはや何一つ頼るものがなくなってしまいます。そうして寿命が尽きると、これまでに犯したさまざまな悪がおのずからその身に集まってきて、その人とともに次の世に至ります。また天の神がその行いをすべて記録しているから、その罪に引かれて行くべきところへ行くのです。罪の報いは必然の道理で、決して逃れることができません。やがては必ず地獄の釜に入って、身も心も粉々に砕かれて痛み苦しむことになります。そのときになってどのように後悔しても、もはや取り返しはつきません。まことに因果の道理は必然であって、少しのくい違いもないのであります。

このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界ではかり知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって、果てしなく長い間浮び出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しいのです。その痛ましさはとてもいい表すことができません。これを第四の大悪、第四の痛、第四の焼といいます。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようであります。

もしこのような迷いの中で、悪い心が起きないように努め、身も行いも正しくし、さまざまな善い行いをして悪を犯さなければ、その人は苦しみを逃れて功徳を得、迷いの世界を離れて浄土に生れ、さとりを得ることができるでしょう。これを第四の善というのであります。

第五の悪とは次のようであります。

世間の人々は、おこたりなまけてばかりいて、善い行いをし、身をつつしみ、自分の仕事に励もうとはいっこうにせず、一家は飢えと寒さに困りはてます。親が諭しても、かえって目を怒らせ、言葉も荒く口答えをします。その逆らうようすはまるでかたきを相手にするようであって、こんな子ならむしろいない方がいいと思われるくらいであります。

また物のやりとりにしまりがなくて、多くの人々に迷惑をかけ、恩義を忘れ、報いる心がありません。そのためますます貧困に陥って、取り返しのつかないようになります。そこで、自分の得だけを考えて、他人のものまで奪い取り、好き放題に使ってしまいます。それが習慣となって、ひとり贅沢な生活をし、むやみに美食を好み美酒にふけるのです。そうして勝手気ままに振舞い、自分の愚かさは省みずに人と衝突します。相手の気持ちを考えることなく、無理に人を押さえつけようとし、人が善いことをするのを見てはねたんで憎み、義理もなければ礼儀もなく、わが身を省みず、人にはばかるところがありません。それでいて自分は正しいものとうぬぼれているのであるから、戒め諭すこともできません。親兄弟や妻子など、一家の暮しむきがどうあろうと、そんなことには少しも気を配らないのです。親の恩を思わず、師や友への義理もわきまえません。心にはいつも悪い思いをいだき、口にはいつも悪い言葉をいい、身にはいつも悪い行いをして、今まで何一つ善い行いをしたことがないのであります。

また古の聖者たちや仏がたの教えを信じません。修行により迷いの世界を離れてさとりを得ることを信じません。人が死ねば次の世に生れ変ることを信じません。善い行いをすれば善い結果が得られ、悪い行いをすれば悪い結果を招くことを信じません。さらに心の中では、聖者を殺し、教団の和を乱し、親兄弟など一家のものを傷つけようとさえ思っています。そのため身内のものから憎みきらわれて、そんなものは早く死ねばいいと思われるほどであります。

このような世間の人々の心はみな同じであります。道理が分らず愚かでありながら、自分は智慧があると思っているのであって人がどこからこの世に生れてきたか、死ねばどこへ行くかということを知らないのです。また思いやりに欠け、人のいうことにも耳を貸しません。このように道にはずれたものでありながら、得られるはずもない幸福を望み、長生きしたいと思っています。しかし、やがては必ず死ぬのです。それを哀れに思って教え諭し、善い心を起させようとして、生死・善悪の因果の道理が厳然としてあることを説き示すのですが、これを信じようとしません。どれほど懇切丁寧に語り聞かせても、それらの人には何の役にもたたず、心のとびらを固く閉ざして、少しも智慧の眼を開こうとしません。そして、いよいよこの世の命が終ろうとするとき、心に悔いと恐れがかわるがわる起きるのであります。以前から善い行いをせずにいて、そのときになってどれほど後悔しても、もはや取り返しはつきません。

この世界は五道輪廻の因果の道理が明白であり、それは実に広く深いものであります。善い行いをすれば自分自身にしあわせをもたらし、悪い行いをすれば自分自身にわざわいをもたらすのであって、だれもこれに代るものはありません。まことに因果応報の道理は必然であります。悪い行いをすれば罪はそのものにつきしたがい、決して捨て去ることはできません。善人は善い行いをして、より好ましい世界へ生れ変り、ますますさとりの世界へ近づくのであり、そして悪人は悪い行いをして、より苦しい世界へ生れ変り、ますます深く迷いの世界へ沈むのであります。この道理はだれも知るものがなく、ただ仏だけが知っています。そのため、わたしはこの道理を人々に教え示しているのであるが、信じるものは少ないのです。それでいつまでも生れ変り死に変りして、迷いの世界を離れることができないのです。このような世間の人々のありさまは、そのすべてを述べ尽すことなどとてもできません。

このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界で、はかり知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって、果てしなく長い間浮び出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しいのです。その痛ましさはとてもいい表すことができません。これを第五の大悪、第五の痛、第五の焼といいます。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようであります。

もしこのような迷いの世界の中で、悪い心が起きないように努め、身も心も正しくし、言行を一致させ、行いも言葉もすべて誠実で、思いと言葉が相違せず、さまざまな善い行いをして悪を犯さなければ、その人は苦しみを逃れて功徳を得、迷いの世界を離れて浄土に生れ、さとりを得ることができるでありましょう。これを第五の大善というのであります。

 

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