『仏説阿弥陀経』に説かれる阿弥陀さまのお浄土は遠い国ではありません。今、私たちの国で味わってみましょう!

浄土真宗の御門徒さまにとって、身近なお経の一つに『仏説阿弥陀経』があります。

月忌参り(月参り)をされている地域では、おそらくこの『仏説阿弥陀経』がお勤めされる地域が多いのではないでしょうか?

あるいは、法事の時などにも、よくお勤めされるお経であります。

毎朝、お勤めされている御門徒さまも多いです。

たまにお参りで一緒にお勤めさせていただくと、暗記してしまっているようで、僕よりもスラスラお勤めされる方もおられます。

恥ずかしい反面、嬉しくもあります。

その『仏説阿弥陀経』では、阿弥陀さまのお浄土の様子が説かれている箇所があります。

浄土真宗のお坊さんがお浄土の様子をお話する時は、この『仏説阿弥陀経』の内容をもとにされていることが多いです。

今ページでは、『仏説阿弥陀経』より、お浄土の様子を味わってみましょう。

書き下し文

舎利弗、かの土をなんがゆゑぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆゑに極楽と名づく。
また舎利弗、極楽国土には七重の欄楯・七重の羅網・七重の行樹あり。みなこれ四宝周匝し囲繞せり。このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ。
また舎利弗、極楽国土には七宝の池あり。八功徳水そのなかに充満せり。池の底にはもつぱら金の沙をもつて地に布けり。四辺の階道は、金・銀・瑠璃・玻合成せり。上に楼閣あり。また金・銀・瑠璃・玻・赤珠・碼碯をもつて、これを厳飾す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。また舎利弗、かの仏国土には、つねに天の楽をなす。黄金を地とし、昼夜六時に天の曼陀羅華を雨らす。その国の衆生、つねに清旦をもつて、をもつて、もろもろの妙華を盛れて、他方の十万億の仏を供養したてまつる。すなはち食時をもつて本国に還り到りて、飯食し経行す。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。
また次に舎利弗、かの国にはつねに種々奇妙なる雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜六時に和雅の音を出す。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この音を聞きをはりて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。舎利弗、なんぢこの鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂ふことなかれ。ゆゑはいかん。かの仏国土には三悪趣なければなり。舎利弗、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし。いかにいはんや実あらんや。このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。舎利弗、かの仏国土には、微風吹きて、もろもろの宝行樹および宝羅網を動かすに、微妙の音を出す。たとへば百千種の楽を同時にともになすがごとし。この音を聞くもの、みな自然に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるの心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

現代語訳

舎利弗よ、その国の人々は何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けているから、極楽というのです。

また舎利弗よ、その極楽世界には七重にかこむ玉垣と七重におおう宝の網飾りと七重につらなる並木があります。そしてそれらはみな金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、国中のいたるところにめぐりわたっております。それでその国を極楽と名づけるのであります。

また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不思議な力を持った水が溢れている。池の底には一面に金の砂が敷きつめられており、四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があります。岸の上には楼閣があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲・赤真珠・瑪瑙で美しく飾られております。また池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、とても美しく、素晴らしい香りがします。

また舎利弗よ、阿弥陀さまのお浄土では、常にすぐれた音楽が奏でられております。そして大地は黄金でできていて、一日に六回、きれいな曼荼羅の花が降りそそぎます。その国の人々はいつも、朝にそれぞれの器に美しい花を盛り、他の国々の数限りない仏がたを供養します。そして食事の時までには帰ってきて、食事をとってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、身と心をととのえます。

 また舎利弗よ、その国にはいつも白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命鳥などの色とりどりの美しい鳥がいます。この鳥たちは、一日に六回、優雅な声で鳴き、その泣き声はそのまま五根・五力・七菩提分・八聖道分といった尊い教えを説き述べております。そこでその国の人々はみな、この鳴き声を聞いて仏を念じ、方を念じ、僧を念じるのであります。
舎利弗よ、そなたはこれらの鳥が罪の報いとして鳥に生れたのだと思ってはなりません。なぜなら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないのであります。舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないので、そのようなものがいるはずがありません。このさまざまな鳥はみな、阿弥陀さまが法を説きひろめるために形を変えて現されたものにほかならないのでります。
舎利弗よ、阿弥陀さまのお浄土では宝の並木や宝の網飾りがそよ風に揺れ、美しい音楽が流れております。それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、その音色を聞くものは、だれでもおのずから仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起こすのであります。

お浄土そのものが阿弥陀さまのはたらきそのもの

ここに説かれるお浄土は、阿弥陀さまによって作られた国であります。

お浄土そのものが阿弥陀さまのおはたらきそのものと言っていいと思います。

『仏説阿弥陀経』には、次のように説かれております。

このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。

お浄土に住んでいる鳥もすべてが阿弥陀さまであります。

阿弥陀さまの願いのままに作られたお浄土なので当然のことですよね。

つまり、お浄土そのものは阿弥陀さまの願いそのものの世界であり、阿弥陀さまのおはたらきそのもののすがたであるということができます。

私は、このような阿弥陀さまのおはたらきそのものであるお浄土の世界を、現実の世界に当てはめて味わっております。

お浄土を現実世界で味わっていきましょう!

「お浄土がある」という真実が、私たちに目指すべき場所であることを教えてくれます。

つまり、今を生きる私の原動力となるはたらきそのものがお浄土であり、阿弥陀さまのはたらきそのものです。

これは、現実の世界でも同じことが言えるのではないでしょうか?

私が浄土真宗のみ教えを聞かせていただくまで、様々な方に出会ってきました。

お念仏をするように勧めてくださった祖母がいます。

もちろん、すべての方が仏法を勧めてくれた訳ではありません。

時には、仏法を否定しようとする方もいらっしゃいました。

人だけではなく、動物や植物を見ても、「私と同じように、阿弥陀さまが放っておけなかったいのち」と味わうことができます。

お浄土という、阿弥陀さまのおはたらきそのものの場を知らされることで、この現実世界で出会う方々の言葉を通して阿弥陀さまのお浄土を想わせていただけます。

お浄土そのものが阿弥陀さまのおはたらきそのものであるのと同じように、この現実世界も、すべてが阿弥陀さまのおはたらきを味わう場であります。

そのような、心豊かな生き方を与えてくれるのが『仏説阿弥陀経』であり、お浄土のはたらきなんだと知らせていただくところであります。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m