「同窓会」の会話内容って定番ですよね。誰もが違う人生を歩んでいることに驚かされます。

30歳を超えて久々に会った友人とは、かならず次のような言葉が出ます。

「今なんしよん」

「最近どうしよん」

中学・高校と一緒に勉強していたみんなが、社会人になったら、弁護士になっていたり、フリーではたらいていたり、証券会社ではたらいていたり、驚かされることばかりです。

久々に会ったら、みんなで順番に自分の状況についてお話していくことが多いです。

私の順番になったらこう言います。

「俺、今はお坊さんしよるよ」

そしたら、みんな驚くわけですね。

そして、昔していた悪いことを掘り起こされるのが恒例のパターンです。

同窓会でも関係なしに仏さまのお話をしてしまうお坊さん

私は、お坊さんですのでもちろん仏さまのお話をします。

「元気なうちに仏教は聞いとけって」

っていうお話をします。

こういう時に不思議に感じることがあります。

それは、仏さまの存在を否定する人はいないんですね。

私の友人だけかも知れませんが、目に見えない存在にも関わらず、誰も否定しないことを不思議に感じます。

内心では、現代は科学で証明されることが多い時代ですので、科学を超えた仏さまの存在を信じない方も多いのではと思うことがあります。

でも、誰も否定しないんですね。

私たちは、知らず知らずのうちに仏さまの出遇いをいただいているのかも知れません。

お通夜や法事の時、亡くなっていかれた方々が起こされたご縁として、私はひたすら仏さまの話をします。

お話した内容を覚えてくれていて、後日、お話して来られる方もいます。

そんな時に感じることがあるんです。

目に見えず、声も聞けないけど、「仏さまは存在しているんだ」と、受け取ってくれているんですね。

それはきっと、「私が信じよう」という思いで受け取ったのではないでしょう。

仏さまが、「お願いだから信じる身になっておくれ」そのように私たちにはたらきかけておられたからでしょう。

そのおはたらきを「他力」と言います。

私を信じるものに育て上げ、私を念仏するものに育て上げ、私をお浄土に導いていく仏さまのおはたらきです。

そのおはたらきは、みなさまが勤める法事でも届いていることを実感できるはずです。

だって、六字のお言葉となって届いているのですもの。

「どんな言葉だ?」って?

その六字こそが、

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

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