矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 〜光となり、声にまでなって私を導いておられる仏さま〜

矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁

定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。

善導大師は、自力の修行によってお浄土へ生まれようとされる方や、一生涯、悪をつくり続けるようなすべての方をお哀れみになり、光明と名号が因縁となり私たちにはたらき続けておられる阿弥陀さまのお救いを示されました。

阿弥陀さまは仏像として私たちを見守っておられる方ではありません。

光明となり私たちを照らし護り続けておられます。

名号となって、私たちとご一緒くださっておられます。

光明と名号のおはたらきによって、私に信心が恵まれ、その信心を護ってくださります。

そんな、いつもご一緒のおはたらきを善導大師はあきらかにしてくださいました。

自力の修行によって仏になろうと足掻く方々をお憐れみになられた阿弥陀さま

今回の句に出てくる「定散」とは、定善」と「散善」の省力語であります。

定善」とは、高度な精神集中である定に入り、お浄土や仏・聖衆を観想する定善観法十三観を修する人のことであり、「散善」とは、定に入ることができない人が、散心のまま修する善である散善三福の人のことであります。

つまり「定散」とは、自力で善行を修する人のことであります。

逆悪」とは、五逆罪と十悪をつくり続ける悪人のことであります。それは、以下のような方々のことであります。

五逆罪ってなに??

1 殺父(父を殺すこと)
2 殺母(母を殺すこと)
3 殺阿羅漢(阿羅漢を殺すこと)
4 出仏身血(仏の身体を傷つけて出血させること)
5 破和合僧(教団の和合一致を破壊し、分裂させること)

十悪ってなに??

1 殺生(せっしょう・命あるものを殺す)
2 偸盗(ちゅうとう・ぬすむ)
3 邪婬(じゃいん・みだらな男女関係を犯す)
4 妄語(もうご・うそいつわりをつく)
5 両舌(りょうぜつ・人を仲たがいさせる言葉)
6 悪口(あっく・きたないののしりの言葉)
7 綺語(きご・まことでないかざった言葉)
8 貧欲(とんよく・むさぼり)
9 瞋恚(しんに・いかり)
10 愚痴(ぐち・おろかさ)

そして「矜哀」とは、哀れむということでありますので、「矜哀定散与逆悪」とは、自力で善行を修する人も、五逆罪や十悪をつくり続ける悪人も、善導大師は哀れみ悲しまれたという意味になります。

五逆・十悪の罪をつくり続ける人とは、他人事ではありません。無意識に自分中心に、自分にとっていい世界を築こうと足掻いている私自身のことであります。

そのような私が救われていく阿弥陀さまのおはたらきを、善導大師は『往生礼讃』に、

弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。

阿弥陀さまは、法蔵菩薩と名乗られていた時、深重の誓願をおこされ、光明と名号とをもって十方の衆生を救済なさるのであります。

と、光明と名号が因縁となることを示されました。

そのお言葉を承けて、親鸞聖人は「光明名号顕因縁」と、善導大師の功績を讃えられております。

私を救う阿弥陀さまのおはたらきに焦点を当てた句でありました

矜哀定散与逆悪」とは、どのような者であっても決して放っておかないという、阿弥陀さまであってはじめて実践可能な無縁の大慈悲を讃えられたものであり、「光明名号顕因縁」とは、光明の縁、名号の因によって、五逆・十悪の凡夫を如来の一方的なはたらきによりお浄土に往生させていただくという他力の極まりをあきらかにされたものといえます。

つまり、今回の二句はともに、善導大師の心というよりも、阿弥陀さまのおはたらきに焦点を当てて詠まれたものであります。

どのような方であっても決して放っておかないという阿弥陀さまの大悲は、光明となって私を照らし続け、名号となって私を導こうとはたらき続けておられます。

その光明・名号という因縁のお育てにより、信心という果を賜ります。

今回の二句で、私の信心まで誓われているご本願の尊さを感じずにはおれませんね。

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