三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦 〜現世での永遠の命よりも、永遠の仏の命を賜る方が大切〜

三蔵流支授浄教
焚焼仙経帰楽邦

三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。

曇鸞大師は、菩提流支三蔵から阿弥陀さまのお救いを説かれた経典を経典を授けられました。
そして、曇鸞大師はいのちを終えることのない術が説かれた仙経を手に入れてよろこんでおられたのですが、それを焼き捨てて、阿弥陀さまのお救いを説かれたみ教えを大切にする生涯を送られたのであります。

苦労して手に入れた仙経を捨てて阿弥陀さまのお救いを説かれた経典を大切にされたのが曇鸞大師でありました。

そのような行動そのものも驚くべきところであります。

しかし、私なんかは菩提流支三蔵菩提流支三蔵の説得力はいかなるものであったのかが気になるところであります。

きっと、菩提流支三蔵に出遇われた曇鸞大師自身が、私たちがみ教えに出遇ったのと同じように、阿弥陀さまのお育ての真っ最中だったんでしょうね。

阿弥陀さまのお救いこそが、私の救われていく道

蓮如上人の書かれた『正信偈大意』では、次のように示されております。

「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」といふは、かの曇鸞大師、はじめは四論宗にておはせしが、仏法のそこをならひきはめたりといふとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならんとて、陶隠居といふひとにあうて、まづ長生不死の法をならひぬ。すでに三年のあひだ仙人のところにしてならひえてかへりたまふ。そのみちにて菩提流支と申す三蔵にゆきあひてのたまはく、「仏法のなかに長生不死の法は、この土の仙経にすぐれたる法やある」と問ひたまへば、三蔵、地につばきを吐きていはく、「この方にはいづくのところにか長生不死の法あらん。たとひ長年を得てしばらく死せずといふとも、つひに三有に輪廻すべし」といひて、すなはち浄土の『観無量寿経』を授けていはく、「これこそまことの長生不死の法なり。これによりて念仏すれば、はやく生死をのがれて、はかりなきいのちを得べし」とのたまへば、曇鸞これをうけとりて、仙経十巻をたちまちに焼きすてて、一向に浄土に帰したまひけり。

曇鸞大師が菩提流支三蔵に、
仏法の中に、中国の仙経に勝るほどの長生不死の法があるのでしょうか?
と尋ねますと、菩提流支三蔵は地に唾を吐いて、
これはおかしなことをおっしゃいますね。この中国の一体どこに長生不死の法があるというのでしょうか。たとえ長寿を得ることができて、しばらくの間は長生きができても、いずれは迷いの世界を輪廻するだけではありませんか?
といい、さらに浄土三部経の中の『仏説観無量寿経』を授けて、
これこそ、真実の長生不死の法であります。この『観経』の通りに称名念仏することにより、即座に迷いの世界を離れる身となり、はかりなきいのちを得ることができます
そのように教えられ、曇鸞大師は仙経を焼き捨てて、浄土教を信じる身となられたのでありました。

というのが、この句の内容であります。

ここでは、曇鸞大師が、阿弥陀さまのお救いを信じる身となったことを重要な点として示されております。

それにしても、曇鸞大師が長生不死の法を学ぼうとされたキッカケが常人とはかけ離れておりますよね。

その部分を『正信偈大意』では「仏法のそこをならひきはめたりといふとも、いのちみじかくは、ひとをたすくることいくばくならん」と示されております。

つまり、「素晴らしいみ教えにあうことができたけれども、人の寿命は限られているから、すべてのものを救うことはできない」という悩みからでありました。

当然のことながら、本人の気持ちはわかりませんが、『正信偈大意』の文面より、「ただ自分が長生きしたい」という気持ちではなく、「あらゆる人を救済したい」という気持ちがキッカケとなって仙経を学びに行かれたことに、仏教を学ぶものとして姿勢について考えさせられます。

また、この話は曇鸞大師が浄土教を学ぶキッカケとなった話でありますが、人が縁となっております。

現代においても、仏壇に向かうご縁は、愛する方と別れた時や、自分の身内が仏壇に向かう後ろ姿が多いのではないでしょうか。

いずれも人がキッカケとなっております。今、私のところまでみ教えが伝わるまでにどれほどの方々がご縁となってくれたか、考えさせられます。

素朴な疑問です。長生不死に価値を感じますか??

いつ終えていくかわからず、一つしかないから、命って大切なんだと思います。

そして、いずれ終わっていくから、生まれる命が美しいのだと思います。

人としてのいのちはとても儚く、長生きしてもたった百年余りであります。

一つのことを極めることすら困難な長さではないでしょうか。

たった百年余りでは、あらゆる世代の方にみ教えを伝えることはできませんし、普通の人生を送っていたら、世界中でも本当に少ない人数としか接することはできません。

しかし、お浄土での寿命は無量であります。量ることすらできません。

そのような世界に生まれさせていただき、阿弥陀さまと同じようにあらゆるいのちを救済させていただける。

そのようなみ教えだからこそ、曇鸞大師の気持ちと合致し、それを信じる身となられたのでありましょう。

そのようなみ教えを当たり前のように聞かせていただいている尊い今を大切に、ただ阿弥陀さまのお救いをよろこぶ生涯を全うしたいところであります。

みなさまの優しいシェアをありがとうございますm(__)m